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【校閲ダヨリ】 vol.55 逆接は心の準備ポイント


みなさまおつかれさまです。
今回は、少しテクニック的なお話になるかと思います。
……その前に少し持論を述べますね。
   
国語のテストではとにかく「このときの主人公の気持ちを答えよ」「筆者のいいたいことは何か」といった設問が多いですよね。
正直なところ、私はこの種の問題は論説文評論文などに限ってすべきであり、小説・物語文でこれをやるのはナンセンス甚だしいと思っているのです。なぜなら、小説のよいところは「読者に解釈が委ねられる」ことですからね。百歩譲って、「物語上ここの部分の解釈は揺らぎようがない」ところで心情把握の問題を出すにしても、似通ったような選択肢を並べて「より確からしい」ものを答えにするのは、これは酷というものでしょう。国語を嫌いになってしまうほどに、これは酷だと私は考えています。

さて、とはいえ「そういう問題」が多いのは現実問題としてあり、今回はこの点で役に立つようなテクニックのお話です。


なんだ、受験生用か。

   
   
はい。これが一番役に立つのは受験生かもしれませんが、大人だってこれを捨て置くのはもったいないと私は思います。読み手だけではなく、書き手にも生かせるテクニックなのですから。
   
   
タイトルから察しがついていらっしゃる方もいるかもしれませんが、キーポイントは「逆接」です。
大手予備校の現代文読み解き講座では、特に有名なテクニックなのでご存知の方も多いとは思いますが、大切なのは「なぜそうなるか」。この本質の説明がなくひとつ覚えで「逆接はマーキング」と叩き込んでも、虚しい結果が待ち受けているだけです。
   
   

逆接って「しかし」だっけ?

   
   
そうです。逆接の接続詞には「しかし」「けれども」「ところが」などがあります。対して順接は「それで」「だから」「そこで」「すると」などですね。
   
逆接」とは、基本的には「それが使われている一文、及び前文」が効果範囲となります。たとえばこんな感じです。
   
   

例1:2月14日は本当に、なぜ存在しているのかわからない日だ。世の中の全ての人がチョコをもらえる日であれば、存在をゆるしてもよい。ところが私はいつだってもらえないのだ。

   
   
逆接を考えるときにやめたほうがよい解釈の仕方は「打ち消し」と混同することです。「否定」とは異なるので、前文の内容を「読まない」ということをすると、文章の本旨がつかめなくなったりします。
   
例1では、逆接「ところが」の効果範囲は「世の中の全ての人がチョコをもらえる日であれば、存在をゆるしてもよい」〜「私はいつだってもらえないのだ」までですが、逆接を打ち消しと勘違いして前文を省略して読んでしまうと
   
   

例1’:2月14日は本当に、なぜ存在しているのかわからない日だ。私はいつだってもらえないのだ。

   
   
となり、スピードアップのつもりで読み飛ばしたがゆえに「何が」の部分がわからなくなってしまっています。
   
   
「順接/逆接」の解釈の仕方として妥当なラインは「前文の内容を受けて、真っ当な内容をつなぐ=順接」「前文の内容を受けて、反対の(ような)内容をつなぐ=逆接」です。
   
記号で表すと
   

順接:「+→+」「−→−」
逆接:「+→−」「−→+」

   
という感じになります。
読み手目線だと、「逆接は、言いたい・言っていることが変わるところ」という捉え方になり、この「言いたい・言っていることが変わる」ことこそが、すなわち本質なのです。
   
   

わかりづらいんだけど。

   
   
確かに。では、こういう説明の仕方に変えてみます。ここからは、少々人間臭い話になります。
   
   
あなたが誰かと話しているときや、誰かが書いたものを読んでいるとき、その誰かが「自分の主張」ばかりを展開していたらどう感じますか? 単純に「面倒臭い」印象をもたれると思います。
もしあなたが話し手・書き手の側だったら、受け手が思考・共感を閉ざしてしまうような「面倒臭い」印象は少なくとも持たれたくはないはずです。(ここの共感が得られなければ論が破綻するのですが)
なので、自分の主張はよく選んで、少数精鋭でいくわけです。ただし、この少数の主張は「可能なら通したい」とします。
   
この場合、「対面で話をしているとき」には比較的多くのテクニックが存在します。相手の主張に対してうなずいてひとまずの同意を示したり、自分の主張では少し声色や音量を変えたり、いわゆるノンバーバルな技法が使えるためです。
対して「文章(書き言葉)で伝える場合」においてはこれらノンバーバルなアクションがあまり期待できません

そこで武器のひとつとなるのが「ギャップ」なんです。
上げて落とす」も「落として上げる」も、どちらもギャップが生じるわけですが、人間はこういうものに心が動きやすい性質があります。トンネルを抜けた先が別世界だったりすると、感動しますよね。
逆接というのはつまりそれで、「ギャップ」を生み出す効果があるというわけです。これは、書き言葉だけでなく、話し言葉でももちろん使うことができますが、話し言葉においてはほかに手段がいくつもあるために、相対的に「マーカー」としての効果は薄まっている印象があります。
   
もうひとつ、本質の話ですが、逆接(効果範囲内で)の「前の部分」が「主張」になる場面はほとんどないといってよいかと思います。前の部分が主張であるならば、後ろの部分は必要ないからです。
   
   

例2:ケーキって食べるぶんにはおいしいけど、作るのは大変だよね。
   
例3:山登りはつらい時間のほうが多い。しかし、それに見合うだけの対価は必ず得られる。

   
   
(例2)」の場合でも、「(例3)」の場合でも、逆接の後が主張になっていることがわかるかと思います。
   
   

なるほど。でも、上の例では、逆説の前の部分についても「言いたくないこと」ではないんじゃない?

   
   
おっしゃる通りです。これが「否定」や「打ち消し」とは違うところです。主張はあくまで「ことさら強く言いたいこと」といった捉え方をしていただければわかりやすいかと思います。「前の文よりも、『もっと』言いたいこと」なんです。
   
   

ふむふむ。「逆接を探せば主張につながりやすい」ということはわかった。でもこれがテスト以外でも役に立つの?

   
   
個人差はあると思いますが、日常生活において、私は逆接が出てきたら「心の準備」をするようにしています。
   
   

例4:(LINEなどの通知画面で)こないだ誘ってもらった食事の話なんだけど……

   
   
と表示されていれば、キャンセル予定変更の可能性が高いので、あらかじめがっかりしておくことができます。開いてみてもし、「こないだ誘ってもらった食事の話なんだけど、楽しみにしてるね!」と逆接的にはイレギュラーな使い方(不自然さが少ないのは、「けど」に話題提示の機能もあるためです)がされていれば、ギャップの分だけ嬉しさは跳ね上がるでしょう。ローリスク、ハイリターンです。
   
新聞など、長い文章をなるべく早く読んで内容を把握しなければならない場合は、逆接表現箇所を中心に流し読みすると効率がよくなるかもしれません
   
対して、自分が何かを書く場合は逆接表現を効率的に用いることで、嫌味なく主張をすることができます
   
   

例5:(自社製品キャッチコピーなどで)消費期限が短くなりました。でも、地球にはもっとやさしくなりました

   
   
いかがでしょうか。
逆接は、接続詞はもちろんのこと、接続助詞「」「けど」などのかたちでも登場することがあります。「でも」は接続詞「それでも」の省略表現としても、接続助詞「でも」としても捉えることができます。
   
このあたりを足がかりとして、文法の研究をしてみるのもおもしろいですね。
   
   
最後に、これはおまけ的に捉えていただきたい話ですが、
特に会話(話し言葉)において、順接でも成り立つ場面で逆接の(もしくは、逆接と捉えることができる)接続詞・接続助詞を用いてしまうと「しこり」が残る場合があります
   
   

例6:(パートナーがつくったお弁当に対して)
「今日のお弁当、美味しかったけど
けど?」
「いや、おいしかった」

   
   
この後の展開を想像すると胃が痛くなってきますね。
けど」には終助詞としての用法もありますが、ぱっと見た(聞いた)感じでは逆接としてのウェイトが大きいです。逆接を「うっかり」で使う人はあまりいないと思われますが、ひとたび用いてしまうと一瞬で場の雰囲気を壊すこともできてしまうほどにパワーを秘めている修辞です。
(特に物語を書いている方、共感していただけますでしょうか……)
   
   
   
コミュニケーションは、想像力ですね。
それでは、また次回。
   


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