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デザイナーがうつ病で命絶ちそうになって生還した話

Webデザイナーのこばやす(@kobayas_s)です。
思えばこの1年を振り返ると、年の半分はうつ病と闘っていました。
今は寛解して普通の日常生活を送れるようになったし、嫌な思い出は2021年に置いていきたい。そんな気持ちで、半年を費やした時間の供養としてこれを書きます。

何故こんな開けっ広げに「うつ病」について書こうと思ったのか。
それは、もう同じ思いをしたくないという自戒と、うつ病を知らない人や偏見を持っている人への啓蒙、そして今まさにこの病にかかっている人へ希望を与えたかったからです。

自分自身がうつ病になって一番辛かった時、名前も知らない誰かの闘病記を貪り読んだ事や、実際にうつ病になった友人のアドバイスがキッカケで回復する糸口となりました。
なので自分もその助けの一つになれば良いなと思い、このテーマで書く事にしました。

初めに言っておきますが、私は病院の先生では無いので、記事の内容は個人の見解です。
「私はうつ病なんでしょうか?」などのご相談をされても、お答えは出来ませんのでご了承ください。

私は去年2020年夏頃からうつ病を発症して、今年の夏に生還しました。
闘病1年ほどになりますが、この経験をお話しします。

いつもより少し暗めの話になるので、華々しく年末を終えようとしていた人には不快に思うかもしれません。苦手な人はこの先は見ないようにしてくださいね。


うつ病ってどんな状態?

うつ病を例えるなら、パソコンがひたすら不穏なエラーを吐く状態です。
そしてメモリー(脳みそ)を使いすぎて強制シャットダウンしてしまい、頑張って問題を解決しようと試行錯誤しようとしているけど、上手くいかなくてパソコン本体が立ち上がらない状況。

こうなると自力でメモリーを復活させるのは困難です。
病院に行って、メモリー不具合(脳機能の障害)の原因になっているのは何かを見て貰う必要があります。

うつは脳の情報を司る細胞同士が通信する信号(セロトニンという物質)が正しく伝達されない事が原因で起こります。

セロトニンが不足すると、不安になったり、体が思うように動かなくなったりします。これはすべて脳内で起こっている事なので、咳や熱が出たりはせず、外見はとても普通に見えます。
でも発言の端々から不穏な空気が漏れているので、周りの人からは「心が弱い、メンヘラな人」と言われがちで、理解してくれる人はほぼいません。
だって、この病にかかった事がある人しか分からない症状なのだから。

私も初めてうつ病になって、これは本当になってみないとと分からない気分だと思いました。
普通はネガティブな事を考えても、寝て次の日になったら忘れるし、好きな事をしていれば気分が変わります。でも、うつ病はそうじゃない。
四六時中ずーっと、まだ起こってもない事への不安やどうでもいい些細な事までクヨクヨ考えてしまうんです。
それはポジティブに考えられる脳の機能が働かなくなっている「脳の病気」だから起こるのです。

この脳のバグを直すにはすごく時間がかかります。(私は正常になるまで1年かかりました)
周りは「まだ治らないの?」とヤキモキしますし、自分も焦ります。でも慌てると悪化します。
でも、根気よく付き合っていけば少しずつ回復しますし、治る病気です。
だからもし、うつ病の人を見かけても周りは急かさず静かに見守って欲しいです。
うつ病になってしまった人も絶望せず、1歩ずつ踏みしめるつもりで明日に希望を持って過ごしましょうね。
そうしていれば必ず治りますから。


発症の前兆

私は当時フリーランスを始めて数ヶ月、感染症の影響で世の中は大混乱していた時期だったけど、ありがたいことに仕事の依頼は絶えず忙しい日々を過ごしていた。

在宅で仕事をしていたので、好きな動画や音楽をかけながら作業をしていたが、ある時
「あれ、楽しみにしていたのに、面白くない…」
毎回私のツボにハマっていたバラエティ番組が突然、しょうもないものを見ている気分になった。
気のせいかな、と他にブックマークしていた違う動画を再生する。
これも面白くない。じゃあこっちで、あれ、これも…これも、全部面白くない!
気が付いたら、いつも巡回していた動画リストのブックマークを全て外していた。その時は「飽きたのかな」程度の気持ちでなんとも思わなかった。

この出来事から数週間後、今度は頭痛が続くようになった。
その時期は爆弾低気圧で1週間くらい不安定な天候が続いていて、片頭痛持ちだった私は頭痛薬に何度も助けられながら時期が過ぎるのを待った。

次はぎゅうっ…と締め付けられるような腹痛が襲いかかり、1日寝込む。
しかしそれだけでは治らず、鎮痛剤を3日飲むが治らない。寝る時間になってもお腹の痛さで眠れない。
変に汗が出る。ご飯が食べられなくなる。無理やり食べても嘔吐する。

いい加減ヤバいと思って病院に行く事に。
「急性胃腸炎ですね」
淡々と先生から言われ、整腸剤・眠剤を処方された。

それから腹痛は1週間ほどで収まった。
だけど、不眠、食欲の無さは改善されない。
眠剤を飲めば何とか眠れるけど、翌朝眠気が取れず怠さも抜けないので飲むのを止めた。

食欲はゼリー飲料など流動食は食べられたけど、それ以外のものは全く口に出来ない。大好きなフライドポテトも食べられない。

そうこうしているうちに、体重は5kg落ちた。
ズボンを履くと、浮き出た腰の骨と布が擦れて痛い。人と会うたび「痩せた?」と開口一番言われるまでに。

急性期

気分転換に県内にある実家へ行く事にした。
親には自分の体調が思わしく無い事をさり気なく伝えたが「お薬飲んで安静にしてればそのうち治るよ」と風邪を引いた子どもに言い聞かせるように言うだけだった。

「老い先短いだろうから、私らも終活しないとね」
親は冗談交じりにそういって、終活ノートを広げて書き始める。
最近祖母が亡くなってから相続が大変だった事もあり、親はこの話題ばかりするようになっていた。

私もいつ死ぬか分からないから今のうちに書いておこう…そんな事を悶々と考えながら、特にリフレッシュにもならずに帰宅後、同じ終活ノートを買って書き始めた。

終活ノートの中を見ていると、介護、相続、遺言状…そんな言葉が並んでいる。
「フリーランスだと、仕事受けてる最中に死んだらヤバいよな。この仕事だれかに引き取ってもらわなきゃな」
唐突にそんな事をを考え始めて、仕事の引き継ぎ書まで書き出した。
だんだんと、頭がぐるぐる、モヤモヤしてきて、気付いたら涙で書類の文字が滲んでいた。
いや、何やってるんだろう。まだ若いし、フリーになったばかりだし、こんな事してる段階じゃないでしょ。
そう思い直して、今ある仕事を再開した。

それから、坂を転がり落ちるように体調は更に悪化した。
「ご飯、座って食べないの?」
家族がビックリした顔でこちらを見ていた。
私はお茶碗を持って立ち上がっていた。慌てて座る。
しかし、直ぐに立ち上がってソワソワ、ウロウロ。
その場に座っていると、言葉に出来ない不安が襲ってきて、頭の中の警鐘がずっと鳴り響いている。擬音で言うなら「ガサガサ、ザワザワ」こんな音が頭の中を駆け巡っていて煩い。落ち着かない。

「ねぇ、最近おかしいよ。ちょっと半日出かけて来るだけなのに、毎回状況連絡しろって言うし」
私は誰もいない家に一人では居られなくなっていた。
人の気配が無いと、異常なほどの寂しさを感じ、全身が震える。
普段は一人でいる事が好きで何ともなかったのに、一体どうしてしまったんだろう。

遂には仕事にも支障が出てくるようになってしまった。
情報量が多いデザインが出来ない。レスポンシブのコーディングが出来ない。今まで出来ていた事がどんどん出来なくなっている。
このままで仕事は出来ないので、迷惑をかける前に今受けている案件以外は全て断った。

更にどんどん異変は続く。
狭い空間にいるとドキドキする。
頭の中がザワザワして、早朝叫ぶように起きる。
家族が事故や病気で死ぬんじゃ無いかと頻繁に連絡、様子を見に行くようになる。
出産などおめでたい連絡を見ると、自分と比べて過剰に不安になる。
ずっと部屋にいると外が宇宙に思えてきて、慌てて外に出て床を触って確かめる。

そして、毎日に面白味を感じなくなった。
趣味が無い。自分の中が空っぽになってしまった。
デザインが出来ない、コーディングが出来ない、本が読めない、温泉に入っても気持ちよさが分からない、友達や家族と遊びに出かけても楽しめない。今までそんな事無かったのに。
無くなったら新しい事を開拓していたのに、それも出来なくなった。

「いつものあなたじゃないよ。病院行こう」
自分はまだ大丈夫、と思っていたけど、周りが口を揃えてこう言うようになった。
体のどこかが痛いとかは無い。ただ、頭の中はずっと蝕んでいる。
病院に言って本当に治るか分からないし、精神科なんて恥ずかしくて行きたくない。

「私もそうだったから、大丈夫。治るよ」
今までの流れを打ち明けると、友達の一人がそういった。
「私もそうだったから。でもお医者さんで薬貰って治療したらホント良くなったの。時間はかかるけどね」
その言葉はとても私の中に響いた。

私は仕事でも、生活の分からない事でも大抵はネット検索で解決してきた。この異変の症状もググったら解決できる。
そう思って過ごしてきたけど、不穏な話ばかりのニュースや小難しく書かれた学術書の引用ばかり出てきて良く分からなかったし、行動する気分にもなれなかった。
でも、リアルの友達の話はすんなり入ってきた。

今目の前にいる子は明るく笑っている。新しい仕事も順調そうだし、趣味の音楽もやっていて楽しく今を過ごしている。
私もそこへ戻りたい。
その一心でようやく重い腰を上げて病院に行く事にした。
体に不調が出始めて4ヶ月目の事だった。

回復期

精神科というと、奇声を上げて走ったりしているような人達が行くような所と思っている人も多いかもしれない。私もそう思っていた。

実際は普通のサラリーマンや学生、おじいちゃんおばあちゃんが静かに座って診察を待っていて、特に異常な行動をするような人は見られなかった。
私はというと、焦燥感が止まらず、ずっと立ちっぱなしのまま貧乏ゆすりが止まらなかった。
「診察まだですか」何度も受付の人に聞いては困らせるくらい焦る感情が抑えらず、結構キている状態。

診察は、はい・いいえで答えるだけの簡単なアンケートと10分の問診。
「あー、軽度のうつ病ですね。お薬出すのでしばらく様子見てください」
これだけで、特に詳しい説明もなく終わった。

え、これで軽度?意味が分からない。
一人でいるとナチュラルに命絶ちそうなくらい頭の中は絶望感でいっぱいなのに。

そんな不満をぐるぐる考えながら処方された薬を飲む。
薬剤師さんは診察室にいた先生とは違い、病気の事を丁寧に説明してくれた。

2種類の薬が処方され、片方はセロトニンを出す手助けをする薬で、もう片方は焦燥感を抑える薬。
始めの2週間は「ホントにこれ治ってるの?」と言うぐらい、大きな変化は無かった。

だけど焦燥感は和らぎ、続いていた貧乏ゆすりは収まっていた。

何が原因だったのか

それから少しだけ落ち着いた私は「何が原因でうつ病になったのか」を考えてみた。
新しい働き方による不慣れ、昼夜逆転した生活、家庭の事情、感染症の不安、突然悪化したPMS…上げてみるとキリがない。
今まで会社でも結構ブラックな働き方をしていて、それに比べたら随分良い環境になったと思う。
だからはっきりと「これ一つが原因」とは言えない。

ただ、今までにない感染症ニュースの煽りに関しては、見えない未来に影を落としていてHSP気質の私には割と辛かった記憶がある。

「うつ病になる奴は元々心が弱い」とか聞く事もあったけど、それは違うと思う。
「元々心が弱い」のでは無く、たまたま嫌な事が重なって脳がストレス負荷に耐えられなくなったから発症するものなのだと思う。

人はそれぞれにストレスに感じる事は違うし、不幸に会う時期だって違う。
うつ病になった事が無い人は、たまたまストレスが重なっていないから、うつ病になった事が無いだけ。

うつ病になってから色んな知り合いにこの病の話をする機会が増えたけど、意外とみんな発病していたことにもびっくりした。自分が知らなかっただけだ。

死と隣り合わせの病気

「うつ病になる奴は元々心が弱い」という考えを持っている人は多い。だから、うつ病になった人達は表立って言う事は少ない。
この病にかかった事が無い人には理解できない症状ばかりだからだ。

うつ病にかかると「人生が非常につまらなく見えるから、生きててもしょうがない」気分になる。
楽しむ感情が潰れる。結果、死にたくなる。
「しにたい」と思う時は誰でも瞬間的にあるかもしれなけど、うつ病はずっと死にたい気持ちが続く。
だから線路とか、高所とか、そういう所に近づくと吸い寄せられるように行ってしまいそうになる。

私は辛うじて理性を保っていて、そうならないために常に誰か知り合いが要る所にいた。
「楽しい」感情ってこんなに重要だったのか。
今回はそれが良く分かった出来事だった。

私は今、とても楽しく毎日が充実している。
新しい友達も増えて、仕事も再開できて、家族とも平穏な日々を過ごせている。
新たにやりたい事も沢山湧いてくるようになり、毎日生きる事に必死だ。
辛かったあの時を乗り越え、心の強度も増した気がする。

だから、来年も生きる。


ここからは、回復期以降どのように治療や行動したかの体験談となります。
自分自身のセンシティブな話になるので、読みたい人だけ読んでください。今うつ病で悩んでいる人にアドバイスするつもりで書いているので具体的に記載しましたので、参考になる事もあるかもしれません。

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