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#谷崎潤一郎
三島由紀夫の書簡を読む⑩ 仮面は残って首が落ちた
天皇制は愚劣だ
この三島由紀夫の書簡集は宛先のあいうえお順で、時間を何度も行き来するのでめまいがしそうだ。
高橋清次は大日本雄弁会講談社の「少年倶楽部」の編集者であったようだ。
この時三島はノンポリ、そしてやせっぽちの「夜の仕度」を書いたばかりの学生であり、この二十代の集いに、ぎりぎり二十代の加藤周一、中村真一郎、福永武彦らが混ざっていたとしたならば、弁舌ではやはりとても歯が立たなかっ
「ふーん」の近代文学24 谷崎の「ふーん」
谷崎の文学世界は不自然だと三島由紀夫は書いている。(『「国を守る」とは何か』)。不自然というのは「時代と歴史の運命から超然としている」からだ。
そのことは谷崎の初期作品に猛烈な天皇批判を見出してみればさも尤もな話で、正直私自身は、三島由紀夫が絶賛するようには後期作品を素直に読むことができない。谷崎源氏まではいいとして『瘋癲老人日記』となると、片仮名がやかましいというのではなく、わざとらしさが
谷崎潤一郎の『鶴唳』を読む 後で何とでも言い訳ができる
私がこのnoteの読者は谷崎君一人ではないかと疑うことを、根拠のない悪ふざけだと決めつけたい人もいるかもしれないが、どうもそれは事実らしい。私が「舌打ちの流儀」を書いたのを読んで、谷崎君はこんなことを書いてきた。
つまり舌打ちとは本来無意識のものであろうはずがなく、意図してそう発しているのだと、そう谷崎君は云いたいわけだ。そして私が谷崎の日本批判に関心があり、『蘇東坡』でその尖った支那趣味に
シンプルな読みに向けて
これまで私は夏目漱石から谷崎潤一郎までのいくつかの作品について、何か書いてきた。それを「新解釈とは言えないまでも私なりの感想のようなものをまとめてみました」とでも書いてしまえばいささかでもお行儀が良かろうものを、私は「宇宙で初めての新解釈です」と云わんばかりに書いてきた。これはどう考えても私なりの感想のようなものではない。現に、『途上』のからくりにさえ、誰一人気が付いていなかったのではないか?
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