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芥川龍之介論2.0

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2021年11月の記事一覧

芥川龍之介の恋文と性的嗜好

芥川龍之介の恋文と性的嗜好

 芥川龍之介の恋文と言えば女性にあてたものが有名だが、男性に向けたものの方が強烈である。

 あゝ 僕は君を恋ひ候 君の為には僕のすべてを抛つを辞せず候 人は僕の白線帽を羨み候へども君に共にせざる一高の制帽はまことに荊もて編めるに外ならず候 笑ひ給はむ嘲り給はむ 或は背をむけて去り給はむ されども僕は君を恋ひ候 恋ひせざるを得ず候 君の為には僕は僕の友のすべてにも反くんをも辞せず候 僕の先生に反く

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『羅生門』の謎

『羅生門』の謎

 芥川龍之介の『羅生門』にはいくつか解らないことがある。思いつくままに箇条書きにしてみると、

①猿のような老婆はいつから楼(二階)にいたのか?

②老婆は火をどこから持ってきたのか?

③何故わざわざ二階に死体が運ばれたのか?

④これまで下人は聖柄の太刀を何に使っていたのか?

⑤死人の毛で作った鬘に需要があるほど当時は女性に禿が多かったのか?

⑥餓死する前に人を食うことを考えないのか?

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芥川龍之介の論理・太宰治の意地・三島由紀夫の蟹

芥川龍之介の論理・太宰治の意地・三島由紀夫の蟹

人の悪い芥川「お父さんは相当な皮肉やさんだったけど、私や使用人にも荒いことばで何か言ったり怒ったことはない人でした」「お父さんは普段怒らないし、やさしい人だったけれど、皮肉やさんでしたね」(芥川瑠璃子『双影 芥川龍之介と夫比呂志』)これは文の言葉である。瑠璃子は「ちょっと人の悪いところもある龍之介」と書いている。

 私は既に芥川龍之介作品の核は「逆説」であると書いた。この『実感』では「死骸の幽霊

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三島の死と芥川の死

三島の死と芥川の死

 三島由紀夫の死について深沢七郎は大人の小説が書けない偽者の死だと書いている。そこにはあくまでも政治的に見せかけた三島の死を個人的な死だと切り捨てる視点がある。「シャンデリアの下でステーキを食って、なんでニホンが好きとか言うのよ」という指摘は鋭い。吉村真理ともペペロンチーノを食べていた。村上春樹ではないがどうも三島由紀夫には和食のイメージがない。

 そのことはきわめて個人的な死だとしか言われるこ

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サバイバーズ・ギルトのない風景

サバイバーズ・ギルトのない風景

 芥川龍之介が直接的に戦争について書いた作品は『首が落ちた話』と『将軍』のみであると言って良いであろうか。「東西の事」を書いた『手巾』が戦争に関して書いたのではないとしたら、そういう理屈になるのではなかろうか。

 しかしこんな残酷な風景はむしろ付け足しである。芥川にとって戦争とは単なるプロットに過ぎない。芥川は『将軍』でも『首が落ちた話』でも戦争を材料にはするが、戦争そのものを云々する意図は見

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漱石・芥川・太宰・三島のらっきょう

漱石・芥川・太宰・三島のらっきょう

 鞄に入る入らない問題、そして副知事室に4500万円トイレ設置で有名な作家猪瀬直樹は三島由紀夫について『ペルソナ 三島由紀夫伝』でこう述べている。

 らっきょう頭から生まれる絢爛たる文学といえば、やはり芥川龍之介のことを思い出さざるを得ない。芥川龍之介の小中学生時代のあだ名はやはり頭の形から「らっきょう」だった。このらっきょう頭、太宰では顔になり、精神になる。

 このらっきょう顔について、夏目

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芥川龍之介のヒーロー 芸術的気質を持った青年の「人間の悪」を発見するのは誰よりも遅い

芥川龍之介のヒーロー 芸術的気質を持った青年の「人間の悪」を発見するのは誰よりも遅い

 芥川龍之介がヒーローとして、自分にはないものを持ったキャラクターとして『羅生門』の下人を描き得た事を得意としていたことはほぼ間違いなかろう。かなう事なら芥川は下人の太さが欲しかった。

 この『木曽義仲論』にも「男らしき生涯」という芥川の理想が現れていると見て良いだろうか。しかし木曽義仲を論じるにも芥川の弱さが現れていようか。「蒼生鼓腹して治を楽む」とはなんたる阿りか。無論学生の作文である。平場

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芥川龍之介と動物的エネルギイ 抜けば祟る刀を得たり暮れの秋

芥川龍之介と動物的エネルギイ 抜けば祟る刀を得たり暮れの秋

 芥川龍之介から斎藤茂吉に宛てた手紙に表れるこの「動物的エネルギイ」は、どうにかして芥川を死の門から遠ざける筈のものだった。しかしか程に希求される程度に枯れていたものであり、『羅生門』では確かに下人の中に見られたものである。しかし、それはそもそも芥川自身の中に備わっていたものだったのだろうか。

 これは殆ど漫画の世界観である。ここには芥川の生活もなく、芥川の精神もない。寧ろ芥川でないところがあり

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芥川龍之介から見た田山花袋、谷崎潤一郎 平面描写と比類ない語の織物師

芥川龍之介から見た田山花袋、谷崎潤一郎 平面描写と比類ない語の織物師

 他人の作品を批評する中で、おのずと自身の文学論が零れるということがある。夏目漱石のように『文学論』や『文芸における哲学的基礎』によって方法論や考え方が示されていないことから、書かれている作品そのもの、あるいはこういう雑記のようなものを拾い集めていかなければ芥川龍之介の文学論は見えてこない。

 芥川にとって田山花袋の作品や人物はこう見えていた訳である。今は人物には触れまい。この単なる悪口のような

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現代文解釈の基礎『羅生門』と『こころ』

現代文解釈の基礎『羅生門』と『こころ』

 『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』(ちくま学芸文庫)という本が復刻され本屋に並べられていました。これは残念ながらまるで日本語曲解の基礎とでも呼ぶべき迷著でした。こんなものは復刻しなくてもいいでしょう。私はこれまで駄目な解釈が①書いてあることを読まない②書かれていないことを付け足す、という二つの誤りによって生じることを繰り返し説明してきました。この『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』もそのパターンに

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『羅生門』の明日へ

『羅生門』の明日へ

 『羅生門』では、下人を京都に放った芥川が、『或阿呆の一生』で廃人として閉じていることをどう受け止めればいいのだろうか。実際には晩年の芥川は精力的に編集に関わってはいたのだが、本人としては気力の衰えを否めなかったのだろうか。

 私には漱石が『鼻』を評価した意味は明確ではない。しかし『芋粥』にはいまだに隙あらば繰り返し借用する作法がある。言わばお気に入りの作法である。それはこの狐の使い方である。

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芥川龍之介『羅生門』のよこしま

芥川龍之介『羅生門』のよこしま

 『杜子春』のあまりにも「道徳的」な結びに対して、『羅生門』の結びはあまりにも救いがない。悪人が一人増えただけと見れば確かにそういう話になってしまう。しかし最初から最後までまるで救いがなく、ただ芥川の芸術至上主義が垣間見えたかと思える『地獄変』にも、どこか何かを「正そう」という正義感のようなもの、何かを徹底して拒絶する頑なな意志が見える。

 やや繰り返しにもなるが『杜子春』では、

「いくら仙人

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芥川龍之介『羅生門』の嘘

芥川龍之介『羅生門』の嘘

 『羅生門』の結びは当初「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた。」だったそうです。「下人の行方は、誰も知らない。」とう結びとは全く意味が違ってきます。あの天才・芥川がわざわざ改変していることから、ここに重要な意味が込められていることは間違いないでしょう。つまり「下人が強盗にならないという選択肢もあるのではないか」「強盗になったと明記しない方が良いのではないか」と考えたとい

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芥川龍之介の「さすが」

芥川龍之介の「さすが」

 インターネツトの世界は便利なようで、なかなか正しい情報に辿り着くことを難しくさせている側面もある。例えば深沢七郎の『風流夢譚』で皇太子妃(現在の上皇后)を殺めるマサキリについて調べようとするとほぼ『風流夢譚』に辿り着く。岩波の広辞苑の第三版でマサキリに近いものを探すと、「小手斧」(こじょんの)という言葉が見付かる。しかし使用例に乏しく、私はまだ自分の小説以外で「小手斧」(こじょんの)という言葉を

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