鞄に入る入らない問題、そして副知事室に4500万円トイレ設置で有名な作家猪瀬直樹は三島由紀夫について『ペルソナ 三島由紀夫伝』でこう述べている。
らっきょう頭から生まれる絢爛たる文学といえば、やはり芥川龍之介のことを思い出さざるを得ない。芥川龍之介の小中学生時代のあだ名はやはり頭の形から「らっきょう」だった。このらっきょう頭、太宰では顔になり、精神になる。
このらっきょう顔について、夏目漱石はあくまでも良い意味で、褒める意味で使っている。
これだけだと褒めていることが曖昧だが確かに褒めているのである。
だかららっきょう顔を恥じる必要はないのだ。しかし精神としてのらっきょうは芥川龍之介と三島由紀夫の空虚を指摘する。
何もない……、三島由紀夫の遺作『豊饒の海』の最後の光景だ。これはどんなこじつけかと思われる方もあるかも知れないが、実は芥川瑠璃子が『双影 芥川龍之介と夫比呂志』でマルグリッド・ユルスナールの『三島あるいは空虚のヴィジョン』(澁澤龍彦訳)から引用し、芥川龍之介について考えているのだ。
ここで述べられている内容そのものはさして云々すべき深いレベルではない。しかし芥川瑠璃子が芥川龍之介の自殺について考えるとき、三島由紀夫の死について書かれた『三島あるいは空虚のヴィジョン』を引いているというその形式が面白い。芥川龍之介の中に何もなかったことを三島由紀夫を通じて確認しているようでさえあるからである。剥製の白鳥の腹には脱脂綿でも詰められているのだろうか。