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芥川龍之介の恋文と性的嗜好

 芥川龍之介の恋文と言えば女性にあてたものが有名だが、男性に向けたものの方が強烈である。

 あゝ 僕は君を恋ひ候 君の為には僕のすべてを抛つを辞せず候 人は僕の白線帽を羨み候へども君に共にせざる一高の制帽はまことに荊もて編めるに外ならず候 笑ひ給はむ嘲り給はむ 或は背をむけて去り給はむ されども僕は君を恋ひ候 恋ひせざるを得ず候 君の為には僕は僕の友のすべてにも反くんをも辞せず候 僕の先生に反くをも辞せず候 将僕の自由を抛つをも辞せず候 まことに僕は君によりて生き候 君と共にするを得べくんば死亦甘かるべしと存候(芥川龍之介「山本喜誉司あて書簡」)

 これは芥川龍之介十九歳の時の恋文で、山本とは近所の石屋の息子である。芥川龍之介の妻文子の母方の叔父である。(え?) 

 この相生町は小泉町の芥川の家の近くで、母の弟の山本喜誉志の所へ、ときどき主人は遊びに来ておりました。(『追想 芥川龍之介』)

 後に小穴隆一との間に見えるいささか行き過ぎた関係も含めて考えると、芥川龍之介が両刀遣いでないと決めつけることがむしろ難しい。無論両刀とはいえ、片方は精神的なものだろう。一方、芥川龍之介の女性に対する嗜好には「寝取り」があったと考えられる。

 徴候
 恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、或はどう言う男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである。(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

 芥川龍之介の言い草では、これが恋愛の本筋なのであろう。この「寝取り」的発想は「処女崇拝」に対する考え方とつながる。芥川龍之介にとって処女ではなく人妻の方が価値があると受け止められる。

  処女崇拝
 我我は処女を妻とする為にどの位妻の選択に滑稽なる失敗を重ねて来たか、もうそろそろ処女崇拝には背中を向けても好い時分である。
   又
 処女崇拝は処女たる事実を知った後に始まるものである。即ち卒直なる感情よりも零細なる知識を重んずるものである。この故に処女崇拝者は恋愛上の衒学者と云わなければならぬ。あらゆる処女崇拝者の何か厳然と構えているのも或は偶然ではないかも知れない。
   又
 勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝以外のものである。この二つを同義語とするものは恐らく女人の俳優的才能を余りに軽々に見ているものであろう。(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

 俗に「一盗二婢」と言われるが「寝取り」の感覚は格別なのであろう。「わたしはどんなに愛していた女とでも一時間以上話しているのは退窟だった。」「わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかしそれは第三者と全然見ず知らずの間がらであるか、或は極く疎遠の間がらであるか、どちらかであることを条件としている。」とも芥川龍之介は述べている。第三者が知り合いだと駄目なのである。この感覚はまさに両刀遣いのものではなかろうか。相手の顔が思い浮かぶと駄目なのだろう。そして芥川龍之介は次々に女に手を出していく。

 旅館の女将・野々口豊子(自殺について相談)、谷崎千代子の妹・小林勢以子(ナオミのモデル)、海軍機関学校時代の同僚佐野慶造の妻・花子、電気技師の妻であり一児のある歌人・秀しげ子(愁人、芥川の子を産んだのではないかと疑われている。その子は芥川の次男と同じ豊島師範附属小学校へ?)、歌人・アイルランド文学翻訳家・片山広子(十四歳年上の四十六歳!)、そして心中未遂事件の相手・平松麻素子と実に賑やかである。

 一緒に死ぬことを約束したり、最終的には出来ない相談になってしまったりした、ます子さんでした。昭和二年七月の主人の葬儀にも、ます子さんは参列してくれましたが、廻りの者達が、皆白々しい態度をとりますし、それを一々かばって来ました。(『追想 芥川龍之介』)

 一々できた女房である。


 結婚

 結婚は性慾を調節することには有効である。が、恋愛を調節することには有効ではない。(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

 ……こう言い切る程度に結婚も芥川は遊んだ。しかしそんなことは文学とは全く関係ない話である。

※『追想 芥川龍之介』では信州諏訪の「鮎子」という女に「すっかり好きになった。宇野(浩二)の前ではいはれないが、顔が赤くなる……」という手紙を書いていることが明かされる。その手紙を後に三十万円で売りに来た女がいたそうである。

※徳田秋声の甥・貧乏文士の岡栄一郎は芥川夫婦の仲人で、呉服屋の娘と結婚したが一年くらいで離婚した。岡は「芥川のお古は嫌だ」と言ったりしていたと文は述べている。

※『追想 芥川龍之介』の最後には芥川の棺桶に入れられた「へその緒」についてこんなことが書かれている。

 小穴隆一さんは、その「へその緒」の和紙に書かれた名前が、主人の母のではなく、違った女の名前が書かれていたとの理由で、龍之介私生児説を発表されました。(中略)私は、主人がもし私生児であっても少しも構いませんが……。

  つくづくできた女房である。







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