#岩波書店
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する197 この宇宙で私一人にだけ見えているのだろうか
米舂
岩波はこの「米舂」に注解をつけて、
……とする。これはかなり独特の解釈ではなかろうか。
ここでは当時の女性が「東西両国を通じて一種の装飾品」であり、「米舂にもなれん志願兵にもなれない」と言われているのであって、それは知恵があるからでもなく、力が足りないからでも無かろう。そもそも「米舂」に「力だけがあるもの」という意味はない。
後にこのように「米を舂くこと」≠「知恵がないこと」
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する196 案外つながっている
芳原
岩波はこの「芳原」に注解をつけて、
……とする。その通りであろうが、「芳原」の表記もさして珍しいものではなさそうだ。
国立国会図書館デジタルライブラリー内では2900程度の使用例があり、さして明確な区別なく使われていた表記のようだ。
胃内廓清
岩波はこの「胃内廓清」に注解をつけて、
……とする。まさにその通りで、「廓清」は主に社会的政治的な物事に関して用いられるようだ。こ
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する193 夏目漱石『明暗』をどう読むか43 ここでいったん休止
裸でいらっしゃい
この場面読者の何割かはお延とお秀がまわしを締めて女相撲をしているシーンを思い浮かべる筈だ。女相撲と蛇使いの見世物は条例で禁止されている。しかし言葉は自由だ。二人は実際に言葉で相撲を取っているのだ。
相撲でなければ飛び掛かりはしない。一度書いた「相撲」という言葉に自分で引っかかり、漱石はお延の脇の下迄覗いている。 かなり助平な書き方だ。
いえ正直よ、秀子さんの方が
嫂
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する192 夏目漱石『明暗』をどう読むか42 ダメな時もある
昨日は「馬鹿野郎」のところでかなり悩んだ。悩んでいたら何十年ぶりかで胃が痛くなり、何十年ぶりかで胃薬を買って飲んだ。昨日までは本当に気が付いていなかった。しかし一旦気が付いて前後を読み直してみるとやはり津田は「ただの友達ではあるまい」という小林の言葉に過剰反応しており、その苛立ちには軽々しく男と男を結びつけようとする小林の気ままさに対する批判がある。胃が痛い。薬を飲んでもなお痛い。ツボも色々試し
もっとみる岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する191 夏目漱石『明暗』をどう読むか41 ホモフォビアだったのか?
彼女は全く津田の手にあまる細君であった
お延が割と早い時期に実家から出て叔父の岡本の家で世話になっていたことを考えると、お延に対してこれまで持っていた「健気な新妻」のイメージがほんの少し変わってくると昨日書いた。
そして津田が言うようにお延が「津田の手にあまる細君」なのだとしたら、そのお延の強かさのうちには生い立ちの複雑さが関わっていないものだろうか。「お延の平生から推して、津田はむしろご
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する190 夏目漱石『明暗』をどう読むか 40 しつこいハンサム
自然頭の中に湧いて出るものに対して、責任はもてない
容貌の劣者・お延は津田から疎まれていたわけではない。寄って来られたら嬉しい、寄ってこないと淋しいくらいの感情はあるようだ。それにしても「自然頭の中に湧いて出るものに対して、責任はもてない」という弁解さえないのだから凄い。なんというか人間の心がないというのではなく、根本的に何かが欠けている。悪く言えば「コンクリ殺人」のようなものに通じるような気
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する189 夏目漱石『明暗』をどう読むか 38 縦に読もう
彼は向うの短所ばかりに気を奪られた
そういえば津田の長所と短所って何だろう。
【短所】
・安月給
・見栄っ張り
・不潔
・金銭管理がいい加減
・ねちねちしている
・未練たらしい
【長所】
・ハンサム
・背が高い
・英語とドイツ語が読める
ここに看護婦を殴らせろといった男とは反対の性質が加えられることから、檄しやすくはなく、陰謀論にも陥らないということになろうか。ここで言われている「自
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する185 夏目漱石『明暗』をどう読むか34 しがらんでいく「私」
自分達さえよければ
翻訳された『明暗』を読んで、外国人の方々は大正時代の女性がかくばかりに大胆に議論をすることに驚くようだ。もっと慎ましやかにしていて自分を出さないという日本女性のイメージが覆るらしい。女性の職業はまだ限られていて、女性が男性に帰属していた生きていた時代なんだと考えてみると、やはりお延の大演説はかなり時代を先どったものである。
しかし津田の受け止め方、お延の呆れ、いずれも違
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する184 夏目漱石『明暗』をどう読むか33 そんなことを言うはずがない
秀子さんのおっしゃる通りよ
互いに自律した三つ主体が、会話という相互行為の場において、しぐさや表情、言葉の抑揚などを駆使して、それぞれの目的を達しようとした時、主体は互いに牽制し合い、自律性を制限されていくことがある。
と、漱石は実地で示している。理屈は捏ねない。少なくともお延はお秀と正面からぶつからないように上辺だけ調子を合わせることによって、その非論理性を津田由雄に突き崩させ、間接的に
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する183 夏目漱石『明暗』をどう読むか32 そうでないならなんなのか
一種の意味から余儀なくされる
言葉が解らないという時、その言葉の意味を知らない時もあれば、言葉そのものは分かるが言い回しにおいて意味が解らなくなるという時もある。この「一種の意味から余儀なくされる」もそういう意味では解らない言葉なのではなかろうか。
ここは津田の考えである。ここを、
・お延は「私などよりも嫂さんを大事にしています」というお秀の言葉を聞いているので、少し改まった言葉づかいを
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する182 夏目漱石『明暗』をどう読むか31ホイホイの罠ではなかったが罠として機能するかも
よく病気をするのは、するだけの余裕があるからだよ
二十八章にあったこんな馬鹿々々しい会話は、案外真面目なものかもしれない。
人間の体には様々な菌が共生している。どんなにご立派でご清潔でも完全体というわけにはいかない。病名がつくかつかないかは別にしてどこか偏っているものだ。余裕がないと病気にならないかどうかは別にして、余り閑だと病気になるかもしれない。
逆に満身創痍の漱石は「なんでおれは
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する181 夏目漱石『明暗』をどう読むか30 少しは真面目にやろう
あるいは萩原朔太郎の言うところの「小説といふものはだらだらして、くだらないことを細々と書き立てるので」という批判はほとんどすべての長編小説には当てはまるかもしれない。短篇小説と長編小説では言葉の密度が違う。初期村上春樹作品などで比較すると明らかに書き分けている感じがある。川端康成や三島由紀夫などが例外かもしれない。『奔馬』など言葉の密度が高すぎて読んでいるとかなり疲れる。
ところで夏目漱石作品
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する180 夏目漱石『明暗』をどう読むか29 大げさに言っている訳ではない
私は別に誰かに喧嘩を売っている訳でも無いし、岩波書店を馬鹿にしているわけでもない。しかし本当に残念なのだ。
こんなに嚙み合わないことがあるのかというくらい嚙み合わない。例えば、
こういう間違いはしばしば起こりえることだろう。ちょっと勘違いしていました、で済む話だ。旅順ではなくて奉天ね、で済む話だ。
また、「牡蠣の如く」なんて言う比喩の解釈も、まあ勘違いすることもあるだろう。よく読めば
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する179 夏目漱石『明暗』をどう読むか28 パラレルワールドでは校正は難しい
世間は自分のズボラに適当するように出来上っていない
これは又世界の成り立ちの不思議なところかもしれない。
悪いのはどう考えても津田由雄なのだが、いつの間にか堀がズボラよばわりされている。要するに津田が約束の履行をすれば何ともなかったことなのである。約束の履行をしなかった津田が悪い。しかしどういう了見か話者は口利きをした堀の方に責任があるように書いている。
まあ津田はそもそも自分がどう