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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する179 夏目漱石『明暗』をどう読むか28 パラレルワールドでは校正は難しい

世間は自分のズボラに適当するように出来上っていない

 お秀には自分の良人の堀がそれに関係しているという事が一番重要な問題であった。
「良人でも困るのよ。あんな手紙をお母さんから寄こされると」
 学校を卒業して、相当の職にありついて、新らしく家庭を構える以上、曲りなりにも親の厄介にならずに、独立した生計を営なんで行かなければならないという父の意見を翻えさせたものは堀の力であった。津田から頼まれて、また無雑作にそれを引き受けた堀は、物価の騰貴、交際の必要、時代の変化、東京と地方との区別、いろいろ都合の好い材料を勝手に並べ立てて、勤倹一方の父を口説き落したのである。その代り盆暮に津田の手に渡る賞与の大部分を割いて、月々の補助を一度に幾分か償却させるという方針を立てたのも彼であった。その案の成立と共に責任のできた彼はまた至極呑気な男であった。約束の履行などという事は、最初から深く考えなかったのみならず、遂行の時期が来た時分には、もうそれを忘れていた。詰責に近い手紙を津田の父から受取った彼は、ほとんどこの事件を念頭においていなかっただけに、驚ろかされた。しかし現金の綺麗に消費されてしまった後で、気がついたところで、どうする訳にも行かなかった。楽天的な彼はただ申し訳の返事を書いて、それを終了と心得ていた。ところが世間は自分のズボラに適当するように出来上っていないという事を、彼は津田の父から教えられなければならなかった。津田の父はいつまで経っても彼を責任者扱いにした。

(夏目漱石『明暗』)

 これは又世界の成り立ちの不思議なところかもしれない。

 悪いのはどう考えても津田由雄なのだが、いつの間にか堀がズボラよばわりされている。要するに津田が約束の履行をすれば何ともなかったことなのである。約束の履行をしなかった津田が悪い。しかしどういう了見か話者は口利きをした堀の方に責任があるように書いている。
 
 まあ津田はそもそも自分がどうして今の嫁を貰ったのか解らないような男なので、話者はそもそも津田をあてにしていないのだろう。話者に当てにされない主人公?

 そういえば津田はそもそもこの話の主人公なのだろうか?


全く無邪気であった

 同時に津田の財力には不相応と見えるくらいな立派な指輪がお延の指に輝き始めた。そうして始めにそれを見つけ出したものはお秀であった。女同志の好奇心が彼女の神経を鋭敏にした。彼女はお延の指輪を賞めた。賞めたついでにそれを買った時と所とを突きとめようとした。堀が保証して成立した津田と父との約束をまるで知らなかったお延は、平生の用心にも似ず、その点にかけて、全く無邪気であった。自分がどのくらい津田に愛されているかを、お秀に示そうとする努力が、すべての顧慮に打ち勝った。彼女はありのままをお秀に物語った。

(夏目漱石『明暗』)

 話者がそういうのだからお延は無邪気なのだろう。では津田はどうか。津田はただ迂闊なだけなのだろうか。ここはどうもただ迂闊では片付かない感じがある。いわゆる病的、あるいは事件の感じがある。

 つまりただ迂闊で指輪を買うかね、と考えてしまうところ。

 この指輪が買われた経緯に関しては明示的ではない。何時、つまりどんなタイミングで、あるには何をきっかけで買われたものなのかが明かではない。

 あるいはこの指輪が「現金の綺麗に消費されてしまった」といわれるところの原因の一つ、しかもかなり大きな原因であることは疑い得ない。要するに賞与が指輪に代わったのだろうということは何となく解る。解らないのはその時津田が何を考え、どう判断したのかということだ。

 父親が金をくれないことに文句を言いながら、津田にはまるで反省も後悔もない。あるいは指輪のことなどまるで念頭にない。「指輪」という文字は九十五章でいきなり現れる。それまでは息をひそめて隠れていて、突然飛び出して来たかのように感じられるのだ。

 津田は指輪を買った時の記憶がないか、自分の意思ではないところで指輪を買ったのではなかろうか。

 結婚の件と云い、やはり津田は真面ではない。この真面ではないというところがロジックで解けなければやはり続編は書かれるべきではなかろう。

 今のところ私には津田が何故指輪を買ったのか、その理由が定かではない。


いったいお父さんこそどういうつもりなんだろう

 津田は少くとも表面上妹の立場を認めるよりほかに道がなかった。しかし腹の中では彼女に対して気の毒だという料簡がどこにも起らないので、彼の態度は自然お秀に反響して来た。彼女は自分の前に甚だ横着な兄を見た。その兄は自分の便利よりほかにほとんど何にも考えていなかった。もし考えているとすれば新らしく貰った細君の事だけであった。そうして彼はその細君に甘くなっていた。むしろ自由にされていた。細君を満足させるために、外部に対しては、前よりは一層手前勝手にならなければならなかった。
 兄をこう見ている彼女は、津田に云わせると、最も同情に乏しい妹らしからざる態度を取って兄に向った。それを遠慮のない言葉で云い現わすと、「兄さんの困るのは自業自得だからしようがないけれども、あたしの方の始末はどうつけてくれるのですか」というような露骨千万なものになった。
 津田はどうするとも云わなかった。またどうする気もなかった。かえって想像に困難なものとして父の料簡を、お秀の前に問題とした。
「いったいお父さんこそどういうつもりなんだろう。突然金を送らないとさえ宣告すれば、由雄は工面するに違ないとでも思っているのか知ら」
「そこなのよ、兄さん」
 お秀は意味ありげに津田の顔を見た。そうしてまたつけ加えた。
「だからあたしが良人に対して困るって云うのよ」

(夏目漱石『明暗』)

 いや、知らんがな。

 お前自身の問題だろうと言いたくなるところ。無責任というか、惚けているというが、全然他人事だ。そもそもこれは津田の父親がどうのこうのする話ではなくて、津田が何とかしなくてはならない問題だ。

 ここも指輪同様迂闊とかだらしないで片付けられる問題ではないような気がする。図抜けただらしなさなどではなく、これは『明暗』の主題、自己決定と自由意志を巡る事件の一つなのではなかろうか。つまり結婚にも指輪にも借金にも津田は当事者として関与していない、少なくともそういう意識を持っているとしか読めない。

 あるいは津田は自分自身の主人公にどうしてもなれないのだ。

父の品性

 微かな暗示が津田の頭に閃いた。秋口に見る稲妻のように、それは遠いものであった、けれども鋭どいものに違なかった。それは父の品性に関係していた。今まで全く気がつかずにいたという意味で遠いという事も云える代りに、いったん気がついた以上、父の平生から押して、それを是認したくなるという点では、子としての津田に、ずいぶん鋭く切り込んで来る性質のものであった。心のうちで劈頭に「まさか」と叫んだ彼は、次の瞬間に「ことによると」と云い直さなければならなくなった。
 臆断の鏡によって照らし出された、父の心理状態は、下のような順序で、予期通りの結果に到着すべく仕組まれていた。――最初に体よく送金を拒絶する。津田が困る。今までの行きがかり上堀に訳を話す。京都に対して責任を感ずべく余儀なくされている堀は、津田の窮を救う事によって、始めて父に対する保証の義務を果す事ができる。それで否応なしに例月分を立て替えてくれる。父はただ礼を云って澄ましている。
 こう段落をつけて考えて見ると、そこには或種の要心があった。相当な理窟もあった。或程度の手腕は無論認められた。同時に何らの淡泊さがそこには存在していなかった。下劣とまで行かないでも、狐臭い狡獪いな所も少しはあった。小額の金に対する度外れの執着心が殊更に目立って見えた。要するにすべてが父らしくできていた。

(夏目漱石『明暗』)

 それにしてもここまで勝手な言い分があるだろうか。「下劣とまで行かないでも、狐臭い狡獪いな所も少しはあった。小額の金に対する度外れの執着心が殊更に目立って見えた」と言っているが、その「小額の金」も工面できないのが津田自身ではないか。

 父親の品性もよくぞここまで見下されたものだ。

 それにここで津田は堀がお金を立て替えてくれるというストーリーを勝手に拵えている。

 妹の婿さんに金を借りる? 

 結局自分は何もしないでも誰かが金の補充をしてくれると信じている。

 このいささか真面ではない無責な発想も、自分自身の主人公にどうしてもなれない津田だからこそ可能なのだろう。

できなければ死ぬまでの事さ

「つまりお前は兄さんに対して同情がないと云うんだろう」
「そうじゃないわ」
「でなければお延に同情がないというんだろう。そいつはまあどっちにしたって同じ事だがね」
「あら、嫂さんの事をあたし何とも云ってやしませんわ」
「要するにこの事件について一番悪いものはおれだと、結局こうなるんだろう。そりゃ今さら説明を伺わなくってもよく兄さんには解ってる。だから好いよ。兄さんは甘んじてその罰を受けるから。今月はお父さんからお金を貰わないで生きて行くよ」
「兄さんにそんな事ができて」
 お秀の兄を冷笑けるような調子が、すぐ津田の次の言葉を喚び起した。
「できなければ死ぬまでの事さ」

(夏目漱石『明暗』)

 この「この事件について一番悪いものはおれだ」は当たり前。誰がどう考えても津田が悪い。津田の父親や堀には責任はない。秀子が悪いわけではない。

 あえて言えば津田に指輪を買わせた「誰か」が悪い。普通に考えればその「誰か」は津田以外ではあり得ない。しかし自己決定できず自由意志もなく自分自身の主人公になれない男なら、指輪は「誰か」に買わされたものなのである。

 実際「この事件について一番悪いものはおれだ」と言いながら、津田は本当は悪いとは思っていまい。そうでなければ「兄さんは甘んじてその罰を受けるから」とか「できなければ死ぬまでの事さ」などという言葉は出てこまい。勿論ここには作品の主題と分裂した夏目漱石自身の自殺願望が出ているところでも無かろう。

 今手術を終えたばかりの人間ならば、死なないで生きるということがどれだけ大変なことなのか分かっている筈だ。この「できなければ死ぬまでの事さ」という言葉は、さして真実味のない、お秀に対する脅しにしかなっていない。

 

家には現に金がある

 家には現に金がある、お延に対して自己の体面を保つには有余るほどの金がある。のにという勝手な事実の方がどうしても先に立った。
 その上彼はどんな時にでもむかっ腹を立てる男ではなかった。己れを忘れるという事を非常に安っぽく見る彼は、また容易に己れを忘れる事のできない性質たちに父母から生みつけられていた。
「できなければ死ぬまでさ」と放り出だすように云った後で、彼はまだお秀の様子を窺っていた。腹の中に言葉通りの断乎たる何物も出て来ないのが恥ずかしいとも何とも思えなかった。彼はむしろ冷やかに胸の天秤を働かし始めた。彼はお延に事情を打ち明ける苦痛と、お秀から補助を受ける不愉快とを商量した。そうしていっそ二つのうちで後の方を冒したらどんなものだろうかと考えた。それに応ずる力を充分もっていたお秀は、第一兄の心から後悔していないのを慊らなく思った。兄の後に御本尊のお延が澄まして控えているのを悪んだ。夫の堀をこの事件の責任者ででもあるように見傚して、京都の父が遠廻しに持ちかけて来るのがいかにも業腹であった。そんなこんなの蟠りから、津田の意志が充分見え透いて来た後でも、彼女は容易に自分の方で積極的な好意を示す事をあえてしなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 最初ここはよく分からなかった。あまりにも身勝手な津田の発想についていけなかったのだ。ここで「家には現に金がある」と言われている「家」は津田の家ではなく、津田の父親の家のことだと理解できるまでに少し時間がかかった。どこまでも津田由雄は親のすねかじりをするつもりらしい。これで恐らく世帯主で主人で旦那様なのだから恐れ入る。

 しかし案外この程度のことは「金持ち」の身内に対して、金持ちでない側が持ちうるありふれた感情なのかもしれない。宝くじが当たっても誰にも話してはいけないというのはそういうことだろう。

どんな時にでもむかっ腹を立てる男ではなかった


 こういわれているけれど、そもそも津田にはこの件に関してむかっ腹を立てる資格などない筈だ。「己れを忘れるという事を非常に安っぽく見る彼は、また容易に己れを忘れる事のできない性質たちに父母から生みつけられていた」と言いながら、津田には忘れるべき己れさえないように思える。ここは単に激高しないといわれているのではなく、コントロールする部機関上すら欠いていると言われているかのようだ。

断乎たる何物も出て来ない


 やはり津田には覚悟などないのである。津田はお秀の様子を窺っていた。意識的かどうかは別として、「できなければ死ぬまでの事さ」という言葉はお秀に対して投げかけられたものなので、ここはお秀が「私が何とかする」というのを待っているのに等しい。

兄さんは淡泊でないから駄目よ

 

「そりゃお前にゃ解らない事なんだ」
「どうせ解らないから変なんでしょうよ。じゃいったい小林さんがどんな事をどんな風に嫂さんに持ちかけるって云うの」
「持ちかけるとも何とも云っていやしないじゃないか」
「持ちかける恐れがあるという意味です。云い直せば」
 津田は答えなかった。お秀は穴の開くようにその顔を見た。
「まるで想像がつかないじゃありませんか。たとえばいくらあの人が人が悪くなったにしたところで、何も云いようがないでしょう。ちょっと考えて見ても」
 津田はまだ答えなかった。お秀はどうしても津田の答えるところまで行こうとした。
「よしんば、あの人が何か云うにしたところで、嫂さんさえ取り合わなければそれまでじゃありませんか」
「そりゃ聴きかないでも解ってるよ」
「だからあたしが伺うんです。兄さんはいったい嫂さんをどう思っていらっしゃるかって。兄さんは嫂さんを信用していらっしゃるんですか、いらっしゃらないんですか」
 お秀は急に畳みかけて来た。津田にはその意味がよく解らなかった。しかしそこに相手の拍子を抜く必要があったので、彼は判然した返事を避けて、わざと笑い出さなければならなかった。
「大変な権幕だね。まるで詰問でも受けているようじゃないか」
「ごまかさないで、ちゃんとしたところをおっしゃい」
「云えばどうするというんだい」
「私はあなたの妹です」
「それがどうしたというのかね」
「兄さんは淡泊でないから駄目よ」
 津田は不思議そうに首を傾けた。
「何だか話が大変むずかしくなって来たようだが、お前少し癇違いをしているんじゃないかい。僕はそんな深い意味で小林の事を云い出したんでも何でもないよ。ただ彼奴あいつは僕の留守にお延に会って何をいうか分らない困った男だというだけなんだよ」
「ただそれだけなの」
「うんそれだけだ」
 お秀は急に的の外れたような様子をした。

(夏目漱石『明暗』)

 どうも「淡白」の意味が小林と秀子の間で偶然に一致している。お延と小林の間では同じ方向性で、お延の中でだけ、その淡白が齎す具体的な何かか加わっている。三人市虎を成すというが、こう言われるからにはやはり津田由雄は淡白ではないのだろう。

 それを津田由雄本人だけが意味は分かるものの納得していない感じで誤魔化そうとしている。

 この「淡白でない」は「好色」と言い換えてもいいだろう。何しろ津田は風呂場で待ち伏せするような男なのだ。

[付記]

 岩波は、

私 お秀の自称が「妾(わたし)」から改まり、本音の言い合いになる。「百九」「百十」も「私」。

(『定本漱石全集第十一巻』岩波書店 2017年)


 ……と注解をつける。

「九十二」「九十三」「九十四」「九十六」「九十七」が「あたし」、「九十九」は最初が「あたし」で次に、

「云えばどうするというんだい」
はあなたの妹です」
「それがどうしたというのかね」

(夏目漱石『明暗』)

 ここのところで「私」に変わって、

「結構だよ。――それで?」
あたしの方もそれだけよ」
 二人は黙らなければならなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 ここで「あたし」に戻る。「百」も「あたし」、「百一」は「あたし」「私(わたくし)」✖2、「あたし」「あたし」。

 岩波の注は「百二」の、

「云って御覧」
「云う必要はないんです。ただにその意味が解ったという事だけを承知していただけばたくさんなんです」
「そんならわざわざ断る必要はないよ。黙って独ひとりで解ったと思っているがいい」

(夏目漱石『明暗』)

 この「私(わたくし)」に付けられている。「妾(わたし)」はお延が三度使っただけで、お秀は使っていない。そして「真剣」は二度目に出てきたところで注が付けられる。

 この世界はパラレルワールドなのだろうか。

 きっとそうなのだろう。あなたと私はきっと別の『定本漱石全集』を読んでいる。

 

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