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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する185 夏目漱石『明暗』をどう読むか34 しがらんでいく「私」

自分達さえよければ

「私はいつかっから兄さんに云おう云おうと思っていたんです。嫂さんのいらっしゃる前でですよ。だけど、その機会がなかったから、今日まで云わずにいました。それを今改めてあなた方のお揃いになったところで申してしまうのです。それはほかでもありません。よござんすか、あなた方お二人は御自分達の事よりほかに何にも考えていらっしゃらない方だという事だけなんです。自分達さえよければ、いくら他が困ろうが迷惑しようが、まるでよそを向いて取り合わずにいられる方だというだけなんです」
 この断案を津田はむしろ冷静に受ける事ができた。彼はそれを自分の特色と認める上に、一般人間の特色とも認めて疑わなかったのだから。しかしお延にはまたこれほど意外な批評はなかった。彼女はただ呆れるばかりであった。幸か不幸かお秀は彼女の口を開く前にすぐ先へ行った。

(夏目漱石『明暗』)

 翻訳された『明暗』を読んで、外国人の方々は大正時代の女性がかくばかりに大胆に議論をすることに驚くようだ。もっと慎ましやかにしていて自分を出さないという日本女性のイメージが覆るらしい。女性の職業はまだ限られていて、女性が男性に帰属していた生きていた時代なんだと考えてみると、やはりお延の大演説はかなり時代を先どったものである。

 しかし津田の受け止め方、お延の呆れ、いずれも違和感がない。ここまでは何が批判されているのか解らないところだ。

 無論今回は堀がいい加減な形で津田の家計の問題に口をはさんで余計な迷惑を背負いこんでしまったという事情はあるものの、「自分達さえよければ、いくら他が困ろうが迷惑しようが」関係ないという家族は昔も今も当たり前だったはずなのだ。むしろそうではない家族というのは珍しい。今回の迷惑は堀のいい加減な親切心が招いたことだと言えなくもない。

 自分達の事よりほかに何にも考えていらっしゃらない方は沢山いる。いや、大抵は考えられない。自国に貧困や飢餓があるのに外国人を支援している人はそういう趣味の持ち主何だろうなと感心する。大抵の人は自分に身近な人のことしか関心がない。

まるで逆です

「兄さんは自分を可愛がるだけなんです。嫂さんはまた兄さんに可愛がられるだけなんです。あなた方の眼にはほかに何にもないんです。妹などは無論の事、お父さんもお母さんももうないんです」
 ここまで来たお秀は急に後を継ぎ足たした。二人の中の一人が自分を遮りはしまいかと恐れでもするような様子を見せて。
「私はただ私の眼に映った通りの事実を云うだけです。それをどうして貰いたいというのではありません。もうその時機は過ぎました。有体にいうと、その時機は今日過ぎたのです。実はたった今過ぎました。あなた方の気のつかないうちに、過ぎました。私は何事も因縁ずくと諦めるよりほかに仕方がありません。しかしその事実から割り出される結果だけは是非共あなた方に聴いていただきたいのです」
 お秀はまた津田からお延の方に眼を移した。二人はお秀のいわゆる結果なるものについて、判然した観念がなかった。したがってそれを聴く好奇心があった。だから黙っていた。
「結果は簡単です」とお秀が云った。「結果は一口で云えるほど簡単です。しかし多分あなた方には解らないでしょう。あなた方はけっして他の親切を受ける事のできない人だという意味に、多分御自分じゃ気がついていらっしゃらないでしょうから。こう云っても、あなた方にはまだ通じないかも知れないから、もう一遍繰り返します。自分だけの事しか考えられないあなた方は、人間として他の親切に応ずる資格を失なっていらっしゃるというのが私の意味なのです。つまり他の好意に感謝する事のできない人間に切り下げられているという事なのです。あなた方はそれでたくさんだと思っていらっしゃるかも知れません。どこにも不足はないと考えておいでなのかも分りません。しかし私から見ると、それはあなた方自身にとってとんでもない不幸になるのです。人間らしく嬉しがる能力を天から奪われたと同様に見えるのです。兄さん、あなたは私の出したこのお金は欲しいとおっしゃるのでしょう。しかし私のこのお金を出す親切は不用だとおっしゃるのでしょう。私から見ればそれがまるで逆です。人間としてまるで逆なのです。だから大変な不幸なのです。そうして兄さんはその不幸に気がついていらっしゃらないのです。嫂さんはまた私の持って来たこのお金を兄さんが貰わなければいいと思っていらっしゃるんです。さっきから貰わせまい貰わせまいとしていらっしゃるんです。つまりこのお金を断ることによって、併せて私の親切をも排斥しようとなさるのです。そうしてそれが嫂さんには大変なお得意になるのです。嫂さんも逆です。嫂さんは妹の実意を素直に受けるために感じられる好い心持が、今のお得意よりも何層倍人間として愉快だか、まるで御存じない方なのです」

(夏目漱石『明暗』)

 ここで言われている内容はそう無茶な話ではない。

・他人から受けるべく親切は感謝して素直に受けましょう

 単純な話だ。そうならなかった原因がお秀が津田を謝らせようとしたことにあるとお秀は認めていない。そして人格批判をしている。たまたまそうなったことを認めない。また「実はたった今過ぎました」として一度きりの出来事で全てを判断している。まるで自分にだけそうした審判を下す特権があるかの如く語っている。

 まるで暴君のようだ。

お秀の詭弁としか受取れなかった

「嫂さん何かおっしゃる事があるなら、後でゆっくり伺いますから、御迷惑でも我慢して私に云うだけ云わせてしまって下さい。なにもう直です。そんなに長くかかりゃしません」
 お秀の断り方は妙に落ちついていた。先刻津田と衝突した時に比べると、彼女はまるで反対の傾向を帯びて、激昂から沈静の方へ推し移って来た。それがこの場合いかにも案外な現象として二人の眼に映った。
「兄さん」とお秀が云った。「私はなぜもっと早くこの包んだ物を兄さんの前に出さなかったのでしょう。そうして今になってまた何できまりが悪くもなく、それをあなた方の前に出されたのでしょう。考えて下さい。嫂さんも考えて下さい」
 考えるまでもなく、二人にはそれがお秀の詭弁としか受取れなかった。ことにお延にはそう見えた。しかしお秀は真面目であった。

(夏目漱石『明暗』)

 実際人の振る舞いの中にはさまざまな理由や思いがあるものだろう。ここで「考えて下さい」と言われてもう一度お秀の親切と義務について考えてみたが、どうもお秀の態度にも良くないところがあったと思えて仕方ない。

【問①】私はなぜもっと早くこの包んだ物を兄さんの前に出さなかったのでしょう。

津田「はした金で恩に着せようとして焦らした」
お延「津田が私ばかり可愛がるので小姑が嫌がらせをした」

【問②】今になってまた何できまりが悪くもなく、それをあなた方の前に出されたのでしょう?

津田「感情的に引っ込みがつかなくて意地になった」
お延「妻が夫を支えていることを認められないから」

 さて、秀子の答えを見てみよう。

兄さんらしくしたかった

「兄さん私はこれであなたを兄さんらしくしたかったのです。たかがそれほどの金でかと兄さんはせせら笑うでしょう。しかし私から云えば金額は問題じゃありません。少しでも兄さんを兄さんらしくできる機会があれば、私はいつでもそれを利用する気なのです。私は今日ここでできるだけの努力をしました。そうしてみごとに失敗しました。ことに嫂さんがおいでになってから以後、私の失敗は急に目立って来ました。私が妹として兄さんに対する執着を永久に放り出ださなければならなくなったのはその時です。――嫂さん、後生ですから、もう少し我慢して聴いていて下さい」
 お秀はまたこう云って何か云おうとするお延を制した。
「あなた方の態度はよく私に解りました。あなた方から一時間二時間の説明を伺うより、今ここで拝見しただけで、私が勝手に判断する方が、かえってよく解るように思われますから、私はもう何なんにも伺いません。しかし私には自分を説明する必要がまだあります。そこは是非聴いていただかなければなりません」
 お延はずいぶん手前勝手な女だと思いながら黙っていた。しかし初手から勝利者の余裕が附着している彼女には、黙っていても大した不足はなかった。
「兄さん」とお秀が云った。「これを見て下さい。ちゃんと紙に包んであります。お秀が宅から用意して持って来たという証拠にはなるでしょう。そこにお秀の意味はあるのです」
 お秀はわざわざ枕元の紙包を取り上げて見せた。
「これが親切というものです。あなた方にはどうしてもその意味がお解りにならないから、仕方なしに私が自分で説明します。そうして兄さんが兄さんらしくして下さらなくっても、私は宅から持って来た親切をここへ置いて行くよりほかに途はないのだという事もいっしょに説明します。兄さん、これは妹の親切ですか義務ですか。兄さんは先刻そういう問を私におかけになりました。私はどっちも同じだと云いました。兄さんが妹の親切を受けて下さらないのに、妹はまだその親切を尽くす気でいたら、その親切は義務とどこが違うんでしょう。私の親切を兄さんの方で義務に変化させてしまうだけじゃありませんか」

(夏目漱石『明暗』)

 お秀の答えはこうらしい。

【問①】私はなぜもっと早くこの包んだ物を兄さんの前に出さなかったのでしょう。

お秀「津田に感謝させて兄さんらしくしたかった」

【問②】今になってまた何できまりが悪くもなく、それをあなた方の前に出されたのでしょう?

お秀「自宅から持って来たのは何と解釈されようとあくまでも親切だから」

 ……ここには親切ごかして嫂を可愛がり過ぎる津田を責めていること、お延を憎んでいること、の告白はない。身勝手なばかりか、誠実でもない。親切の押し売りである。


単に私のためです

お秀もう解ったよ」と津田がようやく云い出した。彼の頭に妹のいう意味は判然り入った。けれども彼女の予期する感情は少しも起らなかった。彼は先刻から蒼蠅いのを我慢して彼女の云い草を聴いていた。彼から見た妹は、親切でもなければ、誠実でもなかった。愛嬌もなければ気高くもなかった。ただ厄介なだけであった。
「もう解ったよ。それでいいよ。もうたくさんだよ」
 すでに諦めていたお秀は、別に恨しそうな顔もしなかった。ただこう云った。
「これは良人が立て替えて上げるお金ではありませんよ、兄さん。良人が京都へ保証して成り立った約束を、兄さんがお破りになったために、良人ではお父さんの方へ義理ができて、仕方なしに立て替えた事になるとしたら、なんぼ兄さんだって、心持よく受け取る気にはなれないでしょう。私もそんな事で良人を煩わせるのは厭です。だからお断りをしておきますが、これは良人とは関係のないお金です。私のです。だから兄さんも黙ってお取りになれるでしょう。私の親切はお受けにならないでも、お金だけはお取りになれるでしょう。今の私はなまじいお礼を云っていただくより、ただ黙って受取っておいて下さる方が、かえって心持が好くなっているのです。問題はもう兄さんのためじゃなくなっているんです。単に私のためです。兄さん、私のためにどうぞそれを受取って下さい」
 お秀はこれだけ云って立ち上った。お延は津田の顔を見た。その顔には何なんという合図の表情も見えなかった。彼女は仕方なしにお秀を送って階子段を降りた。二人は玄関先で尋常の挨拶を交り換せて別れた。

(夏目漱石『明暗』)

 結局お延は何も反論しなかった。津田も反論はしていない。お秀の矛盾を一々指摘するのが面倒くさかったということもあろうが、何を言われようとお延は既に勝者であり、津田はお秀をとことん追い詰めない程度には親切だったからではなかろうか。

 今になって「単に私のためです」ではなく最初からそう言って親切を示せば話は全然変わっていた筈だ。

 しかし夏目漱石の書きたいことはまさにそこではなかろうか。同じ金を渡すのでも順序によってはまるで意味が変わってくるし、他人は自分の思い通りになるわけではない。そこで自分の親切が通じないと相手を不誠実にしてしまっても身勝手なだけだ。

 お延にも意地の悪いところがあり、津田には無責任でいい加減なところがあった。しかしお秀が高慢で偏見に満ちていたことは確かだ。「これは良人とは関係のないお金です。私のです」と言いながら、もとは堀から出た金であろう。

 結局お秀は津田の誠実さを引き出すことに失敗し、反省もさせられなかった。しかしそもそも津田にとって指輪を買ったことも偶然の一つであり、お延を可愛がっているわけではないので、凡てはお秀の偏見なのだ。ただ偏見と云っても「そう見られるように」お延が見栄を張っていることも確かだ。津田の指輪に関する無責任もどうにも理解を超えたものだ。

 ただこのようにして人間関係はしがらんで行くのだなということが解る。「私」などと云うものは実に不確かな存在であるが、柵に絡めとられて何者かとして形作られていく。単に私のために生きながら、他人と関係しあっていく。大抵は余計なことをしている。

 そしてたいして自律的ではない言葉がその人を形成してしまう。言葉は戻らない。


[余談]

 この辺り、会話文が中心なので難しい言葉もなく、岩波の注はつかない。しかし解っているのかな。これがただの兄弟げんかではないことを。

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