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夏目漱石論2.0

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2022年1月の記事一覧

夏目漱石作品原稿枚数

夏目漱石作品原稿枚数

 丸谷才一が『坊っちゃん』を230~240枚と勘定していたので確認してみた。

宮元淳一さんに感謝。

『三四郎』を読む② 文豪飯などどうでもよいが 淀見軒のカレーにじゃが芋は入っていたか?

『三四郎』を読む② 文豪飯などどうでもよいが 淀見軒のカレーにじゃが芋は入っていたか?

 このポンチ絵をかいた男というのは佐々木与次郎である。三四郎は与次郎にライスカレーをおごられる。二人は案外安っぽいもので結びつく。私はカレーライスが大好物だが、夏目漱石がカレーライスを食べた記録はない。ここは三四郎と与次郎の一段低い西洋化があつたとみるべきだろうか。

 予定だったところに出くわす趣味品性の備わった学生?である。小宮豊隆は三四郎が自分、鈴木三重吉が与次郎のモデルではないかと考え、ひ

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やがて色んなことが解らなくなる 『虞美人草』における「大森」の意味

やがて色んなことが解らなくなる 『虞美人草』における「大森」の意味

 大岡昇平の漱石論を読みながら羨ましかったのは、大岡昇平が『それから』や『彼岸過迄』に描かれる電車や駅の位置関係に関して実地の記憶を持っていることだった。当然『それから』や『彼岸過迄』が書かれた後も電車や駅は日々変化していたので、大岡昇平の記憶は夏目漱石が見ていた電車や駅そのものではない。しかし今の新橋駅と漱石の作中の新橋の停車場が別の駅であると知識としてではなく感覚として知っていること、昔の中野

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途轍もない漱石 娘が死んだら鯛が贈られてきただと?

途轍もない漱石 娘が死んだら鯛が贈られてきただと?

 清国の菅虎雄に宛てた夏目漱石の手紙である。

 夏目漱石は大塚楠緒子の三女が死んだとき

 見舞いに鯛を贈ったらしい。

 産後の肥立ちのために鯉を送るなら解るけど、

 鯛って…。

 それに大塚楠緒子の読みが「おおつか くすおこ」ってとういうこと?

 いや、真面目な話をすると、私はまず作家の私生活などどうでもいいと思っていてこれまで作家論は書いてもモデル論には進まなかったし、『漱石のマドン

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夏目漱石の『趣味の遺伝』はどう読まれてきたか 日露戦争への熱意の欠如という自戒を、ある種の皮肉をもって扱っている

夏目漱石の『趣味の遺伝』はどう読まれてきたか 日露戦争への熱意の欠如という自戒を、ある種の皮肉をもって扱っている

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 インド、ボンベイのPrajさんのレビューは割とシンプルに反戦小説、戦争の悲惨さを描いた作品だと見做しているようですね。浩さんが死ぬ場面など日本語ではかなりユーモラスに描かれているのですが、そのあたりのニュアンスは伝わっていないようです。それにそもそもタイトルの『趣味の遺伝』の話が見えていませんね。ただかなり長文で感想を

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『ふわふわする漱石 その哲学的基礎とウィリアム・ジェームズ』について

『ふわふわする漱石 その哲学的基礎とウィリアム・ジェームズ』について

 あらためて読み返すと確かに漱石にはふわふわしたものがある。これは私の発見ではなく『ふわふわする漱石 その哲学的基礎とウィリアム・ジェームズ』(岩下弘史/東京大学出版会/2021年)の主張である。これは1986年生まれのまだ若い研究者による節度を持った本格的な漱石論である。ふわふわする漱石が「ばらばら」な世界を「融け合う」あるいは「融け合わない」ものとして描いていく様をウィリアム・ジェームズの『多

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大岡昇平の漱石論について① 美禰子は銀行員と結婚したのか?

大岡昇平の漱石論について① 美禰子は銀行員と結婚したのか?

 夏目漱石の『心』は失敗作であるとのたまうような作家の漱石論などどうでもいい。Kが苗字ではないと気が付かない作家の漱石論などどうでもよい。そんなものは読む必要がない。時間の無駄だ。彼らはこの記事だけで消し飛ぶ理屈だ。

 しかしあの『レイテ戦記』の作者でもある大岡昇平の漱石論の貧弱さの前に、私は正式に戸惑う。改めて年譜を確認し、如何にしても私が漱石論を届けられる余地がなかったことを確認して、ようや

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『それから』を読む① 『それから』の椿は俯せに落ちたのか? 

『それから』を読む① 『それから』の椿は俯せに落ちたのか? 

 これは文芸批評というようなものではなく、夏目漱石の俳句に関する愉快なあれこれといった話で、「ここは誤読だ、これは違う」といちいち目くじら立てて議論するべき対象ではないが、一旦目についてしまうと法律でもなんでも「これは違う」とやってしまわなければ気が済まないのが私の性分である。

 これが『それから』の冒頭であるとするなら半藤一利の説明では「誰か慌しく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には

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Saiichi Maruya's theory of "Botchan" (1)

Saiichi Maruya's theory of "Botchan" (1)

It is logical to assume that Maruya Saiichi was not even aware that Nobeoka was considered to be deep in the mountains. He didn't even notice the chestnut tree, which is more important than his life,

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丸谷才一の『坊っちゃん』論について① ご覧の通りの始末である   

丸谷才一の『坊っちゃん』論について① ご覧の通りの始末である   

 こう語る丸谷才一は延岡が山奥とされることに気づいてさえいなかったという理屈になる。命より大事な栗の木にも、そして何よりも親譲りの無鉄砲で損ばかりしているという書き出しの不思議さに気づいてさえいなかったのだ。気が付かないばかりか、読み間違えもある。

 これを書いている時点で丸谷才一はもしかすると『坊ちゃん』全体を最後に読んでから、少し時間がたっていたのかも知れない。冷静に読めば「おれ」は一応女嫌

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丸谷才一の『三四郎』論について① 読み返しながら書くべき

丸谷才一の『三四郎』論について① 読み返しながら書くべき

 こう名古屋で三四郎の風呂場に入ってくる女について丸谷才一は書いているが、作中では、

 とある。つまり元は海軍の職工だったが、満州の玄関口の大連に出稼ぎに行った夫の安否は不明なので、元妻かもしれないということだ。細かいようだが重要なことだ。大連を満州に置き換えるのはやや乱暴ながら、ぎりぎり完全な間違いとは言えない。しかし職工の妻と読み違えたからには、夫の安否が不明であり、仕送りもないところの女の

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私にとっての近代文学とは① 『心』のKは苗字ではない。

私にとっての近代文学とは① 『心』のKは苗字ではない。

 もしも近代文学がこの宇宙に於いて何か価値あるものであるとしたら、それはただこの私にしか夏目漱石作品が明らかではないという、いささか真面ではない現実こそが、その希少性に於いて私だけにその価値を保証しているからではなかろうか。
 つまり、誰にでも解り得るものとしての夏目漱石作品が存在するのではなく、何万人が挑んでもたどり着けないところにある夏目漱石作品の読みが、大天才でもない私だけに可能であることこ

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江藤淳の漱石論について⑳ 登世という嫂と夏目漱石はセックスをしたのか? というどうでもいい問い

江藤淳の漱石論について⑳ 登世という嫂と夏目漱石はセックスをしたのか? というどうでもいい問い

 江藤淳のライフワークともいえる『漱石とその時代』は平たく言えば確かに小説家夏目漱石の実像に迫ろうという試みであり、作品を読み解きながらその関心はあくまで漱石にあった。いや、もう少し正確に言えば、漱石自身よりも漱石が存在した時代に焦点が当てられていたと言ってよいだろう。私はその真逆で、時代も漱石も漱石作品を理解するための資料に過ぎないと考えていて、これまでその方向性で夏目漱石作品を論じてきた。江藤

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蓮實重彦の漱石論について① 確証バイアスとしての横たわる漱石

蓮實重彦の漱石論について① 確証バイアスとしての横たわる漱石

 漱石と言えば時代と女だろうという既成の漱石論に異を唱え、漱石をやり過ごす、あるいは漱石に不意打ちを食らわせると息まいて蓮實重彦が試みたのは、漱石のコードを無視し、作品の中に現れる言葉やふるまいを表層的に論ってみる事だった。それは漱石を「明治の一知識人」という枠組みに押し込め、登世という嫂との関係において漱石作品を解体する江藤淳の漱石論に不意打ちを食らわせるものでもあった。漱石のコードを無視し、作

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