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クリスティ・プイウ『シエラネバダ』ルーマニア、神父を待ちながら、食事を待ちながら

2016年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。クリスティ・プイウ長編五作目、"ブカレスト郊外の六つの物語"の第三編。初長編『Stuff and Dough』が監督週間、第二長編『ラザレスク氏の最期』と第三長編『Aurora』が"ある視点"部門に選出されたカンヌっ子プイウも遂にコンペ選出に至った。同じコンペには同時期にデビューし、第二長編で初コンペ&パルムドール受賞に至ったクリスティアン・ムンジウの新作『エリザのために』も並んだ。さて、本作品はシャルリー・エブド襲撃事件が起こった数日後のブカレストにて、前年に亡くなった老父エミールの死後40日の集会に集まった親戚一同を描いている。冒頭ではルーマニア映画ではおなじみの、動脈硬化で詰まりかけの血管みたいな渋滞道路が映し出される(当然のように後にひと悶着起こる)。主人公ラリーは40代の医師で故人の長男。娘を預け、妻とともにやや遅れ気味に故人の家に到着する。しかし、まだ神父は来ていないし、集まってない親族もいて、食事にもありつけない。実時間じゃないにしろ、狭い部屋で首を振り続ける閉所恐怖症的な長回しのおかげもあって、3時間近い"お預け"状態を一緒に体感できる。

『ラザレスク氏の最期』では生き残った家父長の緩やかな死、『Aurora』では家父長に憧れる若い世代の男を描いてきたわけだが、今回は"父親"が死んでしまった後の世界を描いている。プイウはこれを被害者(及び俳優)の体験→監督の体験→残された者(観客)の物語である、と示唆している。本作品において、陰謀論を信じる若者、"中立"を標榜しながら"どっちも正しいかもしれない"と言ってしまう教師、共産主義時代に誇りを持つ老女、全てに冷笑的な医師など様々な立場の人間が一方的に主張をぶつけ、会話はすれ違い続けている。様々な価値観が乱立し、共産主義や宗教や政治に対して世代で意見や視点が変わってくる。そして、くだらない喧嘩ばかりが頻発し、全員が席に着いたら始まるという超イージーな条件すら満たせずに食事が始まらない。そのどれもが、"強い父親"がいれば一括されていたような些細なものであり、"父親"の不在を強調する。その意味で、浮遊するような首振り長回しの視点は、亡くなった老父エミールのものを共有しているのだろう。もちろん懐古的な流れで家父長を思い出しているわけではなく、死んで間もない状態での新しい秩序は確立されておらず、その利点も欠点も分からないままなのだ。

また、"父親"という存在が物理的に排除された結果、女性陣の存在が浮き上がってくるのも興味深い。これまでの作品でも、特に『ラザレスク氏の最期』の救命救急士ミヨアラと『Aurora』の元妻アメリアといった女性たちは男性相手に一定の力を持った人物と描写されてきたが、今回の男性陣は完全に尻に敷かれている。共産主義以降のグローバル化した世界において、女性が社会的/政治的に果たす役割がますます可視化されていくことの現れなのかもしれない。

・作品データ

原題:Sieranevada
上映時間:173分
監督:Cristi Puiu
製作:2016年(ルーマニア等)

・評価:90点

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