クリスティ・プイウ『ラザレスク氏の最期』ルーマニア医療の黙示録
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クリスティ・プイウ『ラザレスク氏の最期』ルーマニア医療の黙示録

Knights of Odessa

2005年になって、プイウは再び長編映画を発表する。それが一般的にルーマニア・ニューウェーブ初期の記念碑的作品とされ、革命的作品としてルーマニア映画史をプイウ以前以後に分けられるとさえ言われた本作品である。前作『Cigarettes and Coffee』で短編金熊賞を受賞したプイウは、本作品の過激な内容に対して国立映画センターから出資を断られるも、文化大臣 Răzvan Theodorescu が金熊賞の重要性に興味を示したことで許可が下りて製作がスタートした。しかし、ルーマニア映画界を取り巻く状況は日に日に悪化していた。2004年頃にかけて、映画産業に対する国の支援が徐々に縮小し、大論争を巻き起こした旧共産主義時代から残るスタジオと劇場ネットワークの民営化をめぐる政策が映画製作に悲惨な影響を与えていたのだ。2001年に254館あった劇場のうち、2005年まで存続したのはわずか84館、2007年には72館まで数を減らした。また、上映される作品の6割以上がハリウッド製だった。そんな状況下で、国立映画センターは唯一ではないにせよ、主要な資金源となって国産映画の製作に影響を及ぼし始める。ノロマで頑固な制度に辟易した若手監督たちは、自ら製作会社を設立することで対抗し、ルーマニア・ニューウェーブの素地を作っていった。勿論プイウもその一人であり、映画がプロパガンダや娯楽の道具として認識され、利用されてきたこの国に、新しいタイプの映画を提示することを目的とした製作会社マンドラゴラ社を妻アンカ・プイウ、友人アレクサンドル・ムンテアヌと共に設立した。本作品はその記念すべき第一作目でもある。

一つ前の長編『Stuff and Dough』がポスト共産主義時代を生きる若者たちの話であるとすると、本作品はその親世代の不満を反映した作品と言えるかもしれない。本作品の主人公ラザレスク氏は63歳の引退したエンジニアであるが、彼はチャウシェスク時代には紛れもないインテリ層の一人だった。工場での労働が最重要課題の一つとして産業の主柱を担っていた当時、エンジニアたちは社会的/経済的な地位と名声を享受する立場にあった。しかし、革命以後彼らの多くが資格を再取得せねばならなかったし、安い給料で満足するか、或いはシンプルに早期退職に追いやられるかのどちらかで、その落差や数の多さから鑑みると他の職種の人々よりも貧困に苦しんでいた。ラザレスク氏も娘がトロントにいるらしいが音信不通、妹夫婦はブカレストから遠く離れた場所に暮らしており、三匹の猫とともに80年代で時間が止まったような部屋に独りで暮らしている。この"見捨てられた"親世代が、己の人生で獲得してきた地位や家族からの信頼、最終的には反撃する能力に至るまでまで、残された僅かな尊厳を少しずつ完全に奪い去っていく様を克明に描写していくのだ。

本作品は脱力感を感じて救急車を呼んだラザレスクの地獄めぐりと緩やかな死を描いている。運の悪いことに(?)彼の名前はダンテ・レムスといい、地獄めぐり(ダンテ)と歴史から忘れられた存在(レムス)の双方とリンクする中々意地の悪い組み合わせに聞こえてくる。何度電話しても救急車はやって来ず、隣人に助けを求めるが事態は時時刻刻と悪化していき、上映開始から35分経って漸く救急隊員の女性ミオアラが現れ、60分近く経って漸く一つ目の病院に到着するのだが、土曜の夜であること、そして同日に起こった交通事故への対応も含めて病院はラザレスク氏への診断を満足にしようとせず、設備や病床が足りないからと地獄のたらい回しが開始される。この地獄巡りには元となった事件がある。それは1997年4月23日にブカレストの路上で死んでいるのが発見された52歳のホームレス Constantin Nica の事件だ。彼は4つの病院の間でたらい回しにされ、酔っていたために入院を拒否された挙げ句、路上に放置されて亡くなったのだ。彼の死で有罪判決を受けたのは救急救命士だけであり、プイウはこれを言語道断だと考えていた。また、プイウ本人が90年代に急性中耳炎を患ったり、マロリーワイス症候群と診断されたりした経験も反映されているらしい。それらの経験を活かし、個人によってそれぞれ死に対しての物理的/心理的距離感が異なるが、時間は平等に流れていくという断絶を一つの空間に置いたのだ。

やって来た救急隊員ミオアラもまた、ラザレスクと同年代(からちょっと若い)くらいの女性である。地獄巡りを共にする彼女は、たらい回しにされ続ける過程で、自らの健康状態を一度も顧みなかったラザレスクの親友となり母親のような存在にもあり、徐々に言葉を発せなくなっていくラザレスクの分身とも呼べる存在にもなっていく。反面で、彼女は医者ではなく救命救急士なので、本来なら診断等の行為は行えないはずだが、たらい回しにあう先々の病院で儀式的な"診断"を横で受け続けていたミオアラには、ある種の正義感に燃えてしまったことで、逆に医者に口出ししたりラザレスクの病状を決めつけたりするなどの悪影響を及ぼしてしまっている。ミオアラが女性であり救命救急士であるというのは、医療業界における男性優位/医者優位(後者は当然のことだが)に繋がり、ラザレスクが"社会から忘れられた存在"であるのと同値の様式として作用する。

チャウシェスク時代以降のルーマニア医療業界は技術と設備不足によって賄賂経済へと発展し、2000年代前半に多くの病院が国有化されて以降の医師の給料は最悪の水準となってからも賄賂は医師の収入を補う手段として残り続けた。本作品を観た当時のルーマニア人批評家は、海外で本作品を上映することが"有害"であるとしたが、ちゃんと観てみると賄賂を要求している医師は一人も登場せず、ミオアラと知り合いだからというだけで検査の便宜を図ってくれたり、確かに交通事故への対応で忙しいのに一応診察そのものは行われている。不正を行っていない医師がそれぞれの病院の指針や設備に従って仕事をしているのに対応できないという、"不足"を描いているのだ。この"不足"には設備や技術の他に、国家主導の規範作りも含まれる。

ロズニツァのフィクション四作の撮影監督を務めた Oleg Mutu による揺れ動くカメラは、ラザレスクが健康を害したと思った瞬間から始まる物語と呼応して、動揺する名もなき同居人のような親密さで地獄巡りと緩やかな死を記録し、題名で既に提示される事実に漸近していく。"ダンテ"が地獄巡り、"レムス"が忘れられた存在を意味するのであれば、"ラザレスク"はイエスによって蘇生されたラザロを表しているに違いない。直接的に死を描かないラストに深い絶望と、それでも残された一縷の希望が託されている。

ルーマニア医療業界の腐敗は本作品から15年近く経ってもアレクサンダー・ナナウ『Collective』で指摘された通り、今尚中々壊滅的であることが示唆される。『Collective』を観た時に真っ先に本作品を思い出したのは私だけではないだろう。同作の持つ破壊的なエネルギーは、その他様々な理由とともに、『ラザレスク氏の最期』という世界を驚嘆させた映画と共に生きた人々が、再びルーマニア医療業界の腐敗に触れた驚きにも起因しているのだろう。

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・作品データ

原題:Moartea domnului Lăzărescu
上映時間:150分
監督:Cristi Puiu
製作:2005年(ルーマニア)

・評価:90点

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東欧/旧ユーゴ/ロシア/サイレント映画愛好家。好きな女優は必ず寡作。筋金入りの非線形天邪鬼。2022年はハンガリー&ブルガリア&香港NWを中心的に。2020年代はカンヌ映画祭のコンペ作品をコンプするぞ! 依頼等はknightsofodessa0715 at gmail まで