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クリスティ・プイウ『Aurora』共産主義時代の家父長的世界への郷愁

傑作。クリスティ・プイウ長編三作目。2006年以降の時代は、ルーマニア映画にとって重要な時期となった。一つは国立映画センターに関し、その政策が見直されたことだろう。2006年12月に脚本を却下されたプイウは、翌年1月に記者会見を行い、センターが映画化の可能性の低いような怪しい企画に資金援助していることを指摘した。15名の批評家がプイウを支持し、委員会に向けて援助決定作品の選考基準を問う公開書簡を提出した。2008年になって、コルネリュ・ポルンボユとプイウそれぞれが、『Police, Adjective』と本作品の製作に資金援助が決定されたものの、内部の体制は変わっていなかった。2009年には、センターとの企画で選考員を務めたクリスティアン・ムンジウが内部の腐敗を曝露した公開書簡を文化大臣に提出するなど、状況は悪化する一方だった。また、2007年にルーマニアがEUに加入したことで、この競争に強力なプレイヤーが参入した。欧州映画の製作/配給に資金を提供するMEDIAプログラム(Measures to Encourage the Development of the Audio Visual Industries)に応募できるようになったのだ。本作品の製作資金のうち、7割はドイツやフランスの映画会社から得ていた。

本作品は前作『ラザレスク氏の最後』に続く、"ブカレスト郊外の六つの物語"の第二編に相当する。フォークナーやバルザックのように、六つの連作の中に同じ世界線のブカレストが広がっており、一部では登場人物を共有している。本作品は『ラザレスク氏の最後』の主要人物だった救命救急士ミオアラが本作品でも物語上で重要な対立構造を担う人物として登場する。そんな中で本作品の中心となるのは、後に殺人者となるヴィオレルである(なんと監督本人が演じている)。彼は1989年以降職にあぶれた"技術者"たちの典型的な転職先である"金属工学の専門コンサルタント"として働いている。これは前作のラザレスクと似たような経歴だが、ヴィオレルは引退するには若すぎるため、2000年代になっても生き残っている数少ない工場で働いている。ヴィオレルも同僚も、新時代の"プレカリアート"の一員であるが、ヴィオレルは同僚を見下していた。

本作品は無口で害のなさそうな男ヴィオレルが、ポスト父性社会の中で自らのアイデンティティを求めて戦いに乗り出す物語である。彼は失われた家父長的世界を懐かしみ、自らを救世主としてそれを取り戻そうとしたのだ。ヴィオレルが"懐かしき"世界に属していることは、彼が"自分の家だ"と主張する継母プシャのアパートからもよく分かる。まあまあな広さのアパートに、明らかに共産主義時代よりも前の(つまり戦前の)豪華な装飾を施した家具や様々な国の骨董品があり、ヴィオレルの祖先は相当な金持ちだったことが示唆される。基本的にブルジョア的な事物は共産主義政権によって排除されてきたはずだが、それが当時のまま残されているということからも分かる通り、恐らくヴィオレルの亡き父はセクリターテだったのだろう。そうなれば、ラザレスクなんかよりももっと共産主義時代を享受していただろう。89年のルーマニア革命以降、没落していったのもラザレスクと同様だが、その落差は彼よりも大きかったはずだ。

だからこそ、彼は"新しい世界"に取り残された不満と反感を表現した復讐として、家父長制を取り戻すべく行動を開始する。最初の標的となりそうなのは継母プシャの恋人ドル(つまり自分の義父)だが、実に取るに足らない人物なので恐らく眼中にない。彼が最も敵視しているのは元妻アメリアの父親だろう。ここで注目すべきはヴィオレルの場合と同じくアメリアの実家だろう。鉄柵に囲まれた郊外の一軒家で、家具なども現代的なため、彼らの存在は旧世界を生きるヴィオレルに対して、新世界の成功者代表=倒すべき敵のようにも見えてくる。彼がアメリアの両親を殺した後、紳士服店の女性店員にセクハラしたり、突然娘を学校から引き取って隣人に預けたりと、これまでの意志薄弱で孤独を好む姿からは考えられないほど行動的になるのも、自分が救世主として旧世界を取り戻したと思っているからだろう。

長女を学校から無理矢理引き取るのは、その父親願望を簡単に満たすためという理由の他に、赤ずきんの再現という側面もありそうだ。というのも、不倫相手のジナが「赤ずきん」について、"狼が食ったおばあちゃんの服を着ていたなら、腹から出てくるおばあちゃんは全裸なのか"という奇妙な言及がされているからだ。そうなると、ヴィオレル本人は元妻の公証人と両親を殺したことで、"自分の"家族を侵略者から守った"狩人"と自認していることになるが、我々からすると寧ろ彼こそが狼に他ならないという皮肉がキツイ。

先述の通り、本作品には『ラザレスク氏の最期』の主要人物だった救命救急士ミオアラが再登場する。彼女は継母プシャの隣人であり、引き取った娘を預ける相手として登場する。彼女の家では、甥っ子が新しいキッチンを導入しようと躍起になっているが、恐らく引退しているであろうミオアラの夫はその気もあまりなさそうで、共産主義時代の画一的で質素な家具が並ぶ家は、ある意味でラザレスクやヴィオレルと同じく時が止まっている。彼女たちの立ち位置は戦前からの暮らしを続けようとするヴィオレルたち、新時代の生活を享受するアメリアの両親の間に存在しているのだ。

すべての仕事を終えたヴィオレルは、満足感に浸りながら、呆気なく出頭する。それは、自らの成し得た"偉業"を語るためのようにも見え、実際に彼は自分の物語よりも倒した敵の物語を優先して語っている。支離滅裂にも感じる彼の行動は一貫していて、そこになんら反省がないのが一層恐ろしい。

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・作品データ

原題:Aurora
上映時間:181分
監督:Cristi Puiu
製作:2010年(ルーマニアなど)

・評価:80点

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