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原点に戻してくれる言葉

退職の意志を伝えるために職場の上司と話した。
淡々と、退職します。と伝えるつもりだったが、自分がこれまで考えてきたこと、悩んできたこと、組織に対して感じること、仕事に対する誇りやスタンスなど様々なことを語り合える時間となった。

皮肉にも退職を決意し、それを伝える場ということにはなったが、これまでの「どうせ誰も耳を貸してくれない」という不信感や卑屈な気持ちが少しだけ清算された気がした。

もちろん引き留めはされたが、静かで確かな意志を伝え、相手も受け止めてくれた感触があるので後悔はない。

終わってから最寄り駅に戻り、少し気持ちとおなかに隙間ができたので、家の近くのお気に入りのお店に一人でランチを食べに行った。

商店街の出入り口付近の路地を少し入ったところにあるカウンター席だけの小さな小さなお店で、外装も黒く目立たない。昼はふかふかのパンと真っ白なごはんが両方ついている定食を出してくれる。
寡黙で腰が低いおやじ(“店主”や“おじさん”ではなく“おやじ”がぴったり)が一人でやりくりしており(口癖は「あっすいません」)、その人柄も含め雰囲気全体が“謙虚”で“慎ましい”という言葉がしっくりくるお店であるが、出される料理は素朴かつ外れがなく、その佇まいとは裏腹に自信にあふれているところが好きだ。

料理が美味しいのもあるが、私はおやじの実直な仕事ぶりを眺めるだけで元気をもらえる気がして度々この店を訪れる。
ちなみにおやじと世間話などの会話を交わしたことは一度もない。

今日は一人のサラリーマンの男性が先に食事をしており、私は一番離れた端の席に座った。
しばらくするとその男性が食事を終えて立ち上がり、

「おいしいもん食べて、また頑張れそうですわ!」

と、言いながらお会計をして店を出て行った。

その時、おやじを見ると、何とも言えない良い顔でお礼を言い、つい私もにっこりしながら一緒になって男性を目線で見送った。

働くことは、美しいなと思った。

そして、客の男性が放った言葉は、きっとおやじを働くことの原点に戻してくれる言葉なんだと思った。

思い返せば私にもそんな言葉があった。
職業上、人の相談を受けることがひとつの大きな業務だ。
相談を受けて、その場で何らかの支援につながることもあればつながらないこともある。
しかし、人に自分の話を聞いてもらえた、伝えられた、抱えていた荷物を少し降ろすことができたと感じるだけで人は救われることがある。
青白い顔で窓口に来られた方が、ゆっくり話を聞いているうちに少しだけ表情に光が差し、帰り際に

「来てよかったです。」

と言われるとき、自分がこの職業に就く意味や選んだ原点を思い出させられる。

「助けて」を表に出すことは想像以上に難しい。
それは自分自身も身をもって知っていることだ。
しかし、そこを踏み出して繋がってくれた勇気を心から称賛したい気持ちと、一緒にその人の人生を見つめて課題に取り組んで行こうという気持ちが湧いてくる。逆に力をもらう。

そのすべてが綺麗ごとに思えるときもあるし、他人の人生なんか知らないと匙を投げてしまいたくなったことも何度もあるが、自分にも戻るべき原点や、そこに立ち戻れる言葉があったことを思い出した。

過去を受け入れ、新たな道に進もうとする今、その事実はきっと自身を前に進めてくれる何かになる気がする。

私はおやじに
「おいしかったです、また来ます、ごちそうさま。」
と言って、店を出た。

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