納得いかないのは疑問が残っているから
仕事の電話で相手の機嫌を損ねてしまった。
「機嫌を損ねる」と書けば語弊があるので、正確には「怪訝な声色をされた」としておこう。
そもそもミスした私が悪いのだから、あーだこーだ質問攻めして困らせるのもどうかと思う。何回謝っても謝りきれない気分だ。
昔から、自分の中で納得がいかないと機嫌を悪くしてしまう。
腑に落とそうとしても「何故それをやらなければいけないのか?」「行為の意味を知りたい」というのが先に来てしまって、どんなにやり方をレクチャーされても意味を知らないからイレギュラーが起きるとパニック状態になってしまう。他の人は表情一つ変えずに颯爽と対応している中で、何も分からずただひとり取り残される状態だ。
大人になっても改善されないので、人より多く失敗経験を積まないと学習できないのである。
これが大きく出て他人に迷惑を被ってしまったことは後を絶たない。だからといって「私、グレーゾーンなんです」と説明しても火に油を注ぐだけ。癖が出たなぁと客観視してみても、自分が嫌いな自分が出ているだけの話だから余計に腹が立って仕方がない。
そうやってみんな、生きづらさを加速させるのだ。
大学4年に上がる前のことだ。当時つるんでいた知り合いと就活セミナーに行ったことがある。「セミナー」とは半分名ばかりで、実際はグループセッションを終えた後に立食パーティをする学生の交流会だった。
そのグループセッションで、私はみんなで決めたプレゼンの流れを理解できないでいた。
内容はもう忘れてしまったが、打ち合わせをしている段階だったと思う。作品構成でいう「序破急」の「破」の部分を頭に入れることがなかなかできないでいた。
メンバーは私を入れて6人。加えて自動車ディーラーの人事担当がメンターとなった。学校は全員バラバラ。それぞれが初顔合わせで約150人の前でプレゼンをしなければならなかった。基本スタイルは寸劇で、始まりの出来事をきっかけにいろんなアイデアを話し合い、結論に持っていくというもの。大判用紙に敷き詰められたロジックツリーに沿って展開を理解させようとするが…実践してみると、どうしても「破」が抜けてしまう。
見かねたリーダー格の学生が、ロジックツリーに沿って何度も噛み砕いて説明してくれた。そのうち全員がやってきて、それぞれの役割を改めて説明する格好となってしまった。その日限りの付き合いということもあり、みんな優しく接してくれた。
反面、私はとても惨めに感じた。ありがたさと申し訳なさでいっぱいだったし、何よりも現役社会人の眼前で醜態を晒してしまったことが情けなかった。
このタイプ、自分がやったほうが早いと思うタイプと反りが合わない。
ドラッグストアにいた時でも、4日間しかいなかったところでも、テキパキできる人達からは「怠けている」と見られていた。必死にやっても「遅い」と言われ、そのたびに謝ることの繰り返し。要領も悪いので、いつも見かねた人に助けてもらいながらどうにか生きている。
不器用な人間は、日常のふとした動作ひとつでも人並み以上の回数をこなさないと身につくことができない。1回成功したとしてもそれが当たり前のようにできるとは限らないからだ。
例えば、私が担当している業務だって3年目にしてやっと自分の尻拭いを自分でできるようになった。それでも未だに上司の指示を仰ぐし、分からなければ先輩に聞くことだってある。
"人がやって1回できることを100回やらなければ覚えることは不可能"
残酷に思える言葉だが、その真髄は回数の中身にあると私は考える。
某バラエティ番組で語った、浜辺美波の「努力の考え方」がまさにそれだ。
先日のnoteで「努力が嫌い」と書いたのは、何をやっても不器用だったから。
努力と思ってやっていると生きることに疲れてしまいそうで、必然的にトライアンドエラーを繰り返すのがセオリーになってしまっていた。
けど、そこに学びがひとつでもあったらそれでいいと思えるようになった。
自分が教える番になったらその経験を基に意味を伝えられるし、チャレンジに対する敷居も若干下げられそうな気がする。
しかしながら、私はいささか教えすぎる節があるらしいので、その塩梅を調節しないとダメみたいだ。
納得いくまでとことんやる。
やることが遅いのには、きちんとした理由がある。
納得できるまでやり続けると、見えてくるものが絶対ある。
それは学びか悟りか諦めかは分からないが、座標が見えたらとりあえずのゴールはできると考えれば少しは楽になると思う。
さぁ、思いっきり納得いくまで続けよう!
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