アナグマ

40代独身男性

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40代独身男性がマッチングアプリをやってみた結果

 私は時々熟女デリヘルを利用しているのだけれど、7月の初旬に行為を終えた後にホテルでデリヘル嬢と話していると「熟女が好きだったらマッチングアプリをやってみたらいいんじゃない? 出会いがあると思うよ」と言われた。日常生活において、同年代あるいは少し年上の女性と出会うことは難しい。職場などで知り合う同世代はほぼ結婚しているし、不倫等で関係を持てばそれは確実にトラブルの要因となってしまう。そういう事情もあって、それまでマッチングアプリをやったことはなかったけれど、試しにやってみるか

    • 10年前に書いた詩

      あのひとは 夕方まで泣いていた わたしは 靴下を乾かしていた スケートシューズ 吹雪は終わったけれど 街中のアスファルトは すべて凍りついているから 学校には行かなくてもいい スケートシューズを取り出して 走り出す少女たち カーテンみたいに揺れながら 幾つもの色が街に散らばる 朝になればと あなたは 幾度もその先の言葉を考えて 子守唄みたいにして 遠い海の 波の音を響かせていた 狂気を眠らせるために 冬空はきれいな青で 缶コーヒーは温かい わたしはあなたにもらった

      • つめたがい

         今は海から離れたところに住んでいるけれど、東京に出てくるまでは海の近くに住んでいた。母の田舎には長い砂浜があって、日曜日には車に乗ってよく出かけた。砂浜では貝殻を拾った。特に好きな貝はつめた貝だった。  つめた貝は貝を捕食する。けれど、私は生きているつめた貝を見た記憶がなくて、いつも貝殻で拾っていた。だから、獰猛というよりも、そのかたつむりのような形に、神秘的なものを感じていた。アンヌ・モロー・リンドバーグは『海からの贈り物』の中で、つめた貝の様子をこんなふうに書いてい

        • 親を許さないあるいは捨てるための方法を学ぶということについて

           安倍元首相の銃撃事件を起こした山上徹也の家庭環境を知れば知るほど、私は辛く悲しい気持ちになってしまう。幼い頃に家庭環境が不安定だった人々は、彼と自分の境遇を重ねてしまうと思う。私は彼ほど悲惨な状況に置かれていたわけではないが、幼い頃の環境は苦しいものであったから、その辺りの事情を書きながら、表題である「親を許さないあるいは捨てるための方法を学ぶということについて」考えていきたい。  私の父は統合失調症で、50歳のときに自殺している。父が統合失調症を発症した時期は私が小学6

        40代独身男性がマッチングアプリをやってみた結果

          ホッピービバレッジはホッピーが労働者の酒であること忘れている(労働者からの批判)

           私は鹿児島の出身で、東京で生活するようになるまでホッピーのことは知らなかった。焼酎には甲類と乙類という区分があって、勿論、鹿児島は乙類(本格)焼酎文化圏であり甲類焼酎をビール風飲料であるホッピーで割るという習慣はなかった。だから、東京で生活を始めて、お酒を飲めるようになってからホッピーを知ったときは不思議な文化だなと感じたものである。けれども、そのうちに不思議さは消えていき、それは私の日常へと変わっていった。そして、東京に出てきてホッピーを知ることができて本当に良かったと思

          ホッピービバレッジはホッピーが労働者の酒であること忘れている(労働者からの批判)

          おじさんとサブスクリプション

           自分の人生で時間とお金を費やしたもののひとつが音楽である。毎月の小遣いでこつこつとCDを買い集め、東京に出てきてからはレコードマップを買って専門店も巡るようになった。ライブもたくさん行った。生活費を除いた給与の殆ど音楽に費やしてきた時期もある。そんななか音楽の定額聴き放題サービスが登場した。けれども最初の頃、私はそうしたサービスには飛びつかなかった。なぜなら音質に問題があったからである。どんなにたくさんの音楽を聴くことができたとしても圧縮の音質は私には耐えがたかった。しかし

          おじさんとサブスクリプション

          オリンピック開会式の失敗あるいは勘違いサブカルおじさんの悲劇

           私はオリンピックにあまり興味がなく、40数年生きてきたがその開会式をきちんと観たことはこれまで一度もない。だが、今回の東京オリンピックの開会式は観ようと思っていた。そこには今の日本の姿が分かりやすく象徴されるからである。そして、その姿はみっともなく悲しかった。これが今の日本であるということなのかもしれない。このみっともなさと悲しさは、画面に映し出される安っぽい演出だけに起因するわけではなく、同時に自身の過去と重なり合うところもあったから尚更辛かった。  今回のオリンピック

          オリンピック開会式の失敗あるいは勘違いサブカルおじさんの悲劇

          生まれ変わったらなりたいモノ(もう人間にはなりたくない件について)

           異世界転生ものというジャンルがあるけれども、いつも不思議に思うのは異世界でも人間になりたいという感情である。スライムへの転生もあるではないかとの声もあるかもしれないが、ずっとドロドロのスライム状態ではなく結局人間の姿になっているから、やはり人でありたいという気持ちに変わりはない。  私は人生は辛く悲しいことばかりであると思っているし、それは人として生まれた宿命なのではないかとも感じている。これまで様々な人生の悲劇を見てきたし、勿論私もその舞台に立っており救済されることはな

          生まれ変わったらなりたいモノ(もう人間にはなりたくない件について)

          40代独身はメンヘラを卒業することは可能か?

           40代独身の男女がメンヘラを卒業、あるいはそれをある程度緩和させることは可能なのであろうかと考えることがある。というのも、最近メンヘラを拗らせて50代を迎えてしまった独身の人々に接する機会が何度かあり、これは他人事ではないと改めて感じたからからである。なおここで私が定義するメンヘラとは、心に問題を抱えていて人間関係に障害を起こしてはいるが、最低限度の社会生活はを営むことができる人々を指す(社会生活が営めない場合は、専門家による医療的なケアが求められる)。そういった人々が拗ら

          40代独身はメンヘラを卒業することは可能か?

          多目的トイレあるいは芸の役割について

           某芸人のスキャンダルが世間を賑わしている。その内容の是非については私の論じるところではないので、別の視点から今回のスキャンダルを論じてみたいと思う。  多目的トイレでの性行為は合理性ではなく、人間の不合理性(衝動性もっと言ってしまえばどうしようもなさ)を象徴していると言えるであろう。けれども、そうした不合理性を言葉や身体の技術を用いて新たなものとして作り出し、非合理的なものを抱えている人間に対してカタルシスを感じさせるということが、芸あるいは芸術の力であり、それを人間は必

          多目的トイレあるいは芸の役割について

          情報エンターテインメントの時代 素人と専門家について

           ここ20年くらいの間、テレビ番組はアニメと気になったドキュメンタリーくらいしか見ていない。その理由はニュースも含めて全体的に騒がしいからである。自身が歳を重ねたからというのもあるのかもしれないが、報道番組がほぼエンターテインメント化してしまったことが大きいように思う。そして、エンターテインメント化してしまったのもそれなりの理由があるように思うので、そのことについて考えてみたい。  幼い頃、ニュースを見ていると、キャスターは淡々と番組を進行しながら専門家に意見を聞くというよ

          情報エンターテインメントの時代 素人と専門家について

          コミュ障と痔の手術

          痔という漢字には何かこう禍々しいものがある。そして、実際にその症状は禍々しい。私は大学生の頃から痔を患っており、それを中年になるまで放っておいた。年々痛みと出血が酷くなるにも関わらず、場所が場所ということもあり、ごまかしていた。今、振り返るとあの時の痛みや苦しみが大切な判断を狂わせていたのではないかと思う。そういえば、近衛文麿も痔を患っていたと本で読んだことがある。もし、彼が痔でなかったら、その後の歴史は変わっていたのではないかと思うことがある。そのくらい、痔の痛みや出

          コミュ障と痔の手術

          人生の悲しみあるいは距離について

           四十数年生きてきて、人生は悲しいものであると実感している。若い頃からそういう予感はしていたけれど、今では予感は実感へと変わってしまった。幼い頃、父が酔って「お前は人生が何だか分かるか? そのうち教えてやる」と私に言ったことがある。結局、人生が何であるかを教えてもらう前に父は自殺してしまった。けれども、それが回答だったということなのかもしれない。  先日、長く連絡を取っていなかった知人から連絡が入った。その人は離婚や不幸な恋愛を繰り返し人生に失敗してしまったという印象がある

          人生の悲しみあるいは距離について

          底辺企業はテレワークの夢を見るか?

           非常事態宣言が出された後も私は普通に電車で出勤している。テレワークという言葉が連呼されているけれども、底辺企業に所属している私にとって、それはレベル99にでもなれば使える魔法なのであろうかという認識であり、つまりは夢物語なのである。  人々は底辺企業の恐ろしさを認識していないのだなと改めて思う。そもそも情報伝達の主な手段が紙とFAX、そして口頭なのである。そういった組織がテレワークに移行できるはずがない。令和の時代に昭和みたいなことをやっている企業は実はそれなりに存在して

          底辺企業はテレワークの夢を見るか?

          聖剣を求めて(ゲームボーイを抱きしめて泣いた日)

            私が小学生から中学生にかけての頃、スクウェアは憧れの会社だった。とにかく発売されるゲームのどれもが面白くて、心ときめいていた。特に私にとって植松伸夫と伊藤賢治の作る音楽の存在は衝撃的で、どうやったらこんなすごい音楽を作れるのだろうかと幼心に感嘆したものである。因みに私が意識的に音楽作品を購入したのは、『ファイナル・ファンタジーⅠ・Ⅱ』のオーケストラアレンジ版のカセットテープである。  ゲームボーイを欲しいと思ったのは『魔界塔士Sa・Ga』をやりたかったからである。そして

          聖剣を求めて(ゲームボーイを抱きしめて泣いた日)

          やはり不倫は文化(人の業)

           有名人が不倫をしたときに、マスメディアや世間はその行為を激しく非難するわけであるけれども、社会人生活を何十年もやっていれば、不倫なんて自身が属している組織では割りと普通に行われていることを理解しているはずなのに、有名人が不倫したらそのことを忘れてしまい攻撃に転じてしまうのは何故なのであろうかと感じることがある。そのことについてあれこれ考えてみたいと思う。  1. 恋愛結婚という信仰が崩れてしまう    現代において、恋愛というのは以前ほどではないせよ、ひとつの信仰である。

          やはり不倫は文化(人の業)