聖剣を求めて(ゲームボーイを抱きしめて泣いた日)

  私が小学生から中学生にかけての頃、スクウェアは憧れの会社だった。とにかく発売されるゲームのどれもが面白くて、心ときめいていた。特に私にとって植松伸夫と伊藤賢治の作る音楽の存在は衝撃的で、どうやったらこんなすごい音楽を作れるのだろうかと幼心に感嘆したものである。因みに私が意識的に音楽作品を購入したのは、『ファイナル・ファンタジーⅠ・Ⅱ』のオーケストラアレンジ版のカセットテープである。

 ゲームボーイを欲しいと思ったのは『魔界塔士Sa・Ga』をやりたかったからである。そして、中学生1年生の冬に『Sa・Ga2 秘法伝説』を購入した時の高揚感は今でも覚えている。パッケージが通常のゲームボーイのソフトとは異なり大きい箱であったことにも神々しさを感じた。そして内容は、もう完璧といってもよくて夢中になった。クリスマスプレゼントで買ってもらったので、こたつに入りながら大江戸の世界を彷徨うのは風情があった。この作品で伊藤賢治のことを初めて知った。戦闘曲「必殺の一撃」とボス戦「死闘の果てに」そして「Never give up」衝撃はすごかった。しかも当時、伊藤賢治はまだ20代前半で、中学生の頃にその情報を知ったとき、若いのにすごい人が現れたものだと感じたものである。

 そして、1991年6月に『聖剣伝説〜ファイナルファンタジー外伝〜』が発売された。このゲームも本当に面白くて、今振り返ってみても、神がかっていたと思う。ボーイ・ミーツ・ガールのストーリーではあるのだけれど、幾つもの出会いと別れがあって、それがあのエンディングに繋がってゆく。ラストダンジョンのマナの神殿は、白黒のゲームボーイの画面なのに、グラフィックがとにかく美しくて、その音楽も実質2音しか使っていないのに、信じられないほど荘厳で同時に物悲しい音楽であった。エンディングでゲームのオープニングテーマである「Rising Sun」が再度流れたときの感動は今でも覚えている。そして、最後の場面、ゲームボーイの画面に映し出される小さな芽を見たときに、私はゲームボーイを抱きしめながら感動のあまり泣いてしまった。

 この作品は、全編に渡って素晴らしい音楽を味わうことのできる作品でもある。エンディングのクレジットで「ミュージック/サウンドエフェクト いとう けんじ」という文字を見たときに、ものすごい作曲家だと畏敬の念を抱いたものである。

 その後、私は親からゲーム禁止令を出されたため、ゲームに接することはなくなってしまった(親の選択は今でも間違っていたと思う)。そして、時が流れて私は三十歳半ばを迎えていた。あらゆることが上手くいかなくて、どん底の日々を過ごしていた。そんななか自宅で酒を飲んでいる時に、偶然ニコニコ動画で聖剣伝説のゲーム画面と音楽を合わせて編集した動画を見つけた。「大好きなゲームだったよなぁ」と思い出してその動画を見始めた。そして「果てしない戦場」が流れた後、私はずっと泣いていた。当時の感動と現在の悲しみが合わさって嗚咽した。

 聖剣伝説の後半は、フィールドの音楽が「聖剣を求めて」に変わるのであるが、この楽曲が素晴らしい。一旦、主人公が挫折して、それから再度旅立つという風景を、これほど象徴的に描くことのできた美しい音楽は他にない。幼い頃も心震えたが、自身が挫折してから聴くと当時とはまた異なる響きがあるようにも感じられた。

 結局、私はジェマの騎士にも、光の戦士にも、それどころか街や村の人になることすらできなかった。けれども『聖剣伝説』という素晴らしいゲームがあったことを語ることはできる。今ではそんなふうに思っている。

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