底辺企業はテレワークの夢を見るか?

 非常事態宣言が出された後も私は普通に電車で出勤している。テレワークという言葉が連呼されているけれども、底辺企業に所属している私にとって、それはレベル99にでもなれば使える魔法なのであろうかという認識であり、つまりは夢物語なのである。

 人々は底辺企業の恐ろしさを認識していないのだなと改めて思う。そもそも情報伝達の主な手段が紙とFAX、そして口頭なのである。そういった組織がテレワークに移行できるはずがない。令和の時代に昭和みたいなことをやっている企業は実はそれなりに存在していて、しかもどういうわけだか運だけはあって、ボロボロの状態でありながらもなんとか生き残っている。

 私はそれなりに転職をしてきているが、所属してきた企業の大半が底辺である。教育制度は存在しないし、マニュアルも整備されていない。組織としての体をなしていないため、情報管理とその共有ができずトラブルも多い。管理職はそもそも管理職になる訓練を受けていないため、権限と責任の関係性を理解しておらずパワハラが横行している。そういう状況だと、逆に長期間所属している一般職員が権力を握ってしまう状況も多々あり、それを管理職が抑制できないため、歪な構造から生じるパワハラ(いじめ)を生みだすこともある。私が底辺企業を渡り歩いて身に付けた習慣は、身を守るためにいつでも録音ができるように警戒しておくということである。約20年働いてきて思うのは、大人なんていい加減なものであるということである。

 底辺企業は教育システムがないと書いた。だから新卒採用は行わない。すべて中途採用である。教育している余裕などないから、個々人の経験に頼るしかないのである。けれども、それならまだよいのかもしれないと最近では思う。なぜなら、今私が所属している企業は、わけのわからないプライドが存在するのか、新卒採用を行なっているのである。学校を卒業したばかりの若い人々がこんな企業に所属してしまっては大変なことになると背筋が凍る。

 さて、話をテレワークに戻そう。私の所属する企業では、管理職がPCからメールを送ることすらできない。職員がアドレス帳にメールアドレスを登録することもできない。私がメールソフトにcsvを使って一括でアドレスを登録しただけで、(簡単で基本的なことなのに)すごいと言われてしまうのである。添付データにパスワードをかけることすらなく重要なデータをやり取りしている。未だにUSBメモリーも挿し放題である。勿論、ITインフラを構築する業者やソフトウェア会社の出入りもある。けれども、そもそも職員に話が通じないため、そうした業者の担当者は働きかけても無駄と思っており、適度な関わりも保ちつつ利益をあげようという感じになってしまっている。

 勿論、私だって職業上の倫理や小指の先くらいのプライドはある。だからまずいと思ったら一応は発言はする。けれどもそれが実る可能性は少ない。だから、会議で発言して議事録に記録を残しておいて、何かあったときに「あの時にこうしたほうがよいと言ったじゃないですか」と返して管理職の責任を問うようにしている(勿論、こうした行為は管理職の反感を買うことは分かっているが、権限のない一般職に責任を押し付けられてはたまったものではない)。これもまた底辺企業を遍歴して私が身に付けた知恵なのかもしれない。そもそも、年収300万で手取りが200万しかないのに、過大な責任を求められても困る。因みに底辺企業の報酬はこれが基本で、そこから下がっていくという印象がある。

 コロナの影響以降、弊社でも各事業者の管理者が集まる会議は中止となっている。まあ、そもそも中身のない会議ではあるから中止なのは構わないが、この状況がいつまで続くかはわからない。お偉方に「Web会議はやらないんですか?」と問いかけても「分かる人がいないんだよね」と言われてしまう。「私がやりましょうか」と言ってみても苦笑いされるだけである。そもそも、底辺企業は現状維持が基本で、危ない状況になったら慌てふためき、そのときはそのときで、変なコンサルや自己啓発にひっかかるのである。今回の騒動で思ったのは、やはり倫理と常識のない底辺企業は淘汰されるべきということである。

 そして、もうひとつ心配がある。このコロナ騒動が収束した後に、テレワークをできた人と、そうではない人との間に溝ができてしまうのではないかということである。前者にはそれなりの組織体制と報酬があるかもしれないが、後者にはそれがない。私も最近よく冗談で「死んでいくのは貧しい人からですよ」と苦笑いしているくらいである。テレワークを夢見ることすらできなかった人々の悲しみがルサンチマンに変貌し、社会に歪みが生じることがないようにと祈りたい。

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