コミュ障と痔の手術

   痔という漢字には何かこう禍々しいものがある。そして、実際にその症状は禍々しい。私は大学生の頃から痔を患っており、それを中年になるまで放っておいた。年々痛みと出血が酷くなるにも関わらず、場所が場所ということもあり、ごまかしていた。今、振り返るとあの時の痛みや苦しみが大切な判断を狂わせていたのではないかと思う。そういえば、近衛文麿も痔を患っていたと本で読んだことがある。もし、彼が痔でなかったら、その後の歴史は変わっていたのではないかと思うことがある。そのくらい、痔の痛みや出血は日常生活に影響するものなのである。

 そんな私が痔の手術を決意したのは、数年前、真夏にいきなり命じられた出張の時であった。しかも、滞在先は南国のお寺で、ウォシュレットもない。さらには大部屋での共同生活をしながら一週間の肉体労働である。毎朝、トイレで血だらけになり(しかもウォシュレットがないためきれいに洗い流すこともできない)、冷汗をかきながら車で高速道路を走って現場に向かうのである。その頃、滞在先は猛烈な暑さで、冷汗が働き始めると滴り落ちる汗へと変わる。救いは、仕事が終わった後の温泉と、滞在先の寺で星空を眺めながらひとり飲むビールであった。

 出張が終わり帰京すると私はすぐに肛門科を受診し手術の予約を取った。そして職場には11月には長期休暇を取ると宣言した。そもそも、この出張は、当時勤めていた会社の各部署の政治的な駆け引きの結果、私が選ばれてしまい、そのことに対して私は強い憤りを感じていた。しかもコミュ障の私にとっては寺の共同生活は本当に地獄であった。

 そして、11月に私は肛門科に入院した。古い病院でお世辞にもきれいとはいえなかったが、痔の手術は年間相当な件数を行っており、その点では安心感はあった。下半身を麻酔して手術が始まった。私はこれまで何回も手術していたので、それほど緊張はしていなかった。手術が始まると医者が「いやぁ、アナグマさんこのお尻は30代のお尻じゃないよ」と驚きの声を上げた。とにかく酷い状況であったらしい。術後、ホルモンのような自身の肛門の切れ端を見て、こんなものが存在していたのかと思ったものである。結局、状態が酷かったため、入院は当初の一週間から二週間になってしまった。

 手術自体は麻酔が効いているから痛みはないが、麻酔が切れてから猛烈な痛みが襲ってきた。痛み止めも一回しか飲めないから、それが切れたらただただ痛みに耐えるしかなかった。そして、辛かったのが排便である。チェックシートを渡されてその状況を毎日チェックするのであるが、とにかく痛いため排便からも遠ざかる。けれど慣れていかなければならない。そうしたなか、共通の痛みに耐えるという点で、大部屋に入院した患者同士で奇妙な連帯感が生まれてゆく。お互いに日々の状況を報告したり、世間話をしたりするのである。本来であればそれを心強く思うのかもしれないが、コミュ障の私にとってそれは寺での共同生活にも似ていて、あまり好きになれなかった。結局、人間は社会的な生き物で、そういう意味で私は社会に適応できないんだろうなとか、これがリア充と非リアの違いなんやろうなと切ない気持ちにもなった。

 そんな切ない気持ちを噛みしめながらも、楽しみはあった。入院した病院は食事が美味しかった。今まで幾つかの病院に入院してきたが、ここが一番美味しかったと思う。そして、治療の一環で入浴するお風呂が気持ちよかったし、痛みが落ち着いてゆくのも実感できた。そしてコミュ障ということもあり幼い頃から本を読むのが好きで、入院という時間は読書に没頭できる。またその年は早めに雪が降り、病室から雪が降るのを眺めるのも風情があった。

 時間が経過すると大部屋から次々と先に手術をした人々が退院してゆく。その時はコミュ障の私も勿論「おめでとうございます」と声をかけた。そして時には出戻ってくる人もいた。退院後、大出血をしてしまったということで。その時、大部屋では「○○さんが戻ってきたらしい…」とすぐに噂が広がった。

 そして、ようやく私も退院することとなった。まだ痛みはあったし、退院後もしばらくはお尻にガーゼを当てて生活をしなければならない。けれども、徐々に身体は快方へと向かってゆく。そして退院後の外来で「もう大丈夫でしょう」ということになった。その時、即座に私が訪ねたのは「もう酒を飲んでも大丈夫ですか?」である。痔の術後は酒は厳禁である。結局、一ヶ月以上禁酒していた。すると「酒なら樽で飲んでも大丈夫」と粋な冗談で返してくれた。

 だらだらと書いてきたが、要約すると痔で悩んでいる人はすぐに手術をしたほうがよいということである。術後はとにかく毎朝のトイレでの苦しみがないだけでも、日常生活が全然違ったものになる。人生は悲しく苦しいものであるが、それならばせめて痔の苦しみだけでも取り除けば人生は異なるものになるような気がする。私はそれに気づくのが遅かったからこそ、痔の治療についてはとにかく早くとコミュ障ではあるけれども、声をかけていきたいと思っている。

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