ホッピービバレッジはホッピーが労働者の酒であること忘れている(労働者からの批判)

 私は鹿児島の出身で、東京で生活するようになるまでホッピーのことは知らなかった。焼酎には甲類と乙類という区分があって、勿論、鹿児島は乙類(本格)焼酎文化圏であり甲類焼酎をビール風飲料であるホッピーで割るという習慣はなかった。だから、東京で生活を始めて、お酒を飲めるようになってからホッピーを知ったときは不思議な文化だなと感じたものである。けれども、そのうちに不思議さは消えていき、それは私の日常へと変わっていった。そして、東京に出てきてホッピーを知ることができて本当に良かったと思うようになった。安くて美味しいお酒であり、仕事が終わって大衆酒場で飲むホッピーはいつだって最高だった。しかし、ある出来事を境に私はホッピーを飲むことをやめた。その理由をこれから綴っていきたい。

 2022年の4月に知床で観光船の沈没という事故が起きた。そのときに私は「おそらくこの観光船会社には組織としての問題があり、ブラック企業的な経営をしていたのではないか」と感じ、ネットで色々と調べてみた。するとこの会社と関係あるコンサルティング会社の存在を知ることになった。そして、そのコンサルティング会社とホッピービバレッジと関係があることも知ることになる。その流れでホッピービバレッジの社員教育の実態を私は認識することとなる。この論考では、このコンサルティング会社あるいはその代表者の考え方がホッピービバレッジへどの程度影響を与えたかを考察するものではない。それを考察するにあたっては私の情報が不足している。しかし、ホッピービバレッジの教育方針を批判することは可能である。なぜなら現段階においてもホッピービバレッジは公式サイトの「人材教育について」のページで、環境整備の名において社員にトイレ清掃を強制する写真を掲載しているからである。

 トイレ清掃は私たちの日常において必要不可欠なことである。だが、トイレを清潔に保つために、会社であれば清掃業者と打ち合わせを行うとか、自宅であればどの程度の頻度で清掃を行いどのような道具や洗剤を使用するかを考えるかということは合理的であるが、教育の一環としてそれを行うことは適切ではない。なぜなら会社という組織においては、指示する側とされる側ということが明確になっているからである。勿論、それがなければ組織を運営することはできない。そこには権力が存在する。だが、その権力を乱用してはならないから、法や倫理というものが必要になってくるわけである。だからこそトイレ清掃を教育の一環として行うのは間違っている。なぜなら、先にも述べたように会社組織には指示する側とされる側という関係性があり、部下は上長の指示を原則として拒否することはできないからである。例えば、会社の規模が小さく清掃会社に清掃業務を委託することができない場合は、会社内でその役割を当番で決め実施していくということは問題ないだろう。しかし、トイレ清掃をしかも素手で行うことを、上長からの指示を拒絶することができない状況において強制し、それを教育として認識していることが大きな問題なのである。これはどんな嫌なことでも会社の指示には必ず従うという人間を作り出すためのシステムである。経営者のいう謙虚な人間というのは、会社の指示に必ず従う人間ということにすぎない。権力を保持している社長がトイレ掃除をすることによって謙虚さを取り戻すことはできるかもしれないが(日常的にそうした清掃を行うことはないため)、指示に逆らうことのできない人間に不快なことを強制するというのは、謙虚さを育むのではなく、人としての尊厳を奪い従順で反抗しない人間を作り出す行為でしかない。そうした社員が増えれば会社が倫理的に間違ったことをした場合でも、それに歯止めをかけることができなくなり、社会的な損失が大きくなる可能性もある。ホッピービバレッジの社長がブログで述べているような「問題から逃げない心をチャレンジする気概を身につける」社員を育成することは不可能である。

 ホッピービバレッジは間違っていると感じるのは、ホッピーが労働者の酒であることを忘れているからなのである。私は先に「会社という組織においては、指示する側とされる側ということが明確になっているからである。勿論、それがなければ組織を運営することはできない」と述べた。だからこそ、納得のいかないことでも従わなければならないし、ときに不条理なこともあるだろう。しかし、そうした労働者の苦しみをほんの少し癒すのが酒であって、ホッピーはまさにその酒を代表するものであったはずだし、今でもそうだろう。それなのにその酒自体が、経営者の不合理な要求を受け入れ苦しむ労働者によって作られた酒だということになれば、労働が終わったあとに喜びを感じさせてくれるものにはならない。もしかしたら、ホッピービバレッジの社長はホッピーが労働者の酒であることに無意識に嫌悪感を抱いているのかもしれない。だから、それを解消するための思想あるいは信仰に手を出したのかもしれない。だがそれは間違っている。だから私はホッピービバレッジがその教育方針を撤回するまでは、大好きだったけれど今後一切ホッピーを飲まない。そして、今までこのことを知らずにホッピーを飲み続けてきた自身を恥じている。なぜなら私も一人の名もなき労働者であるのだから。

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