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なぜ罪を重ねる障がい者がいるのか? 『累犯障害者』を読みました


 この記事は暴力的・性的な表現を含みます。体調不良の恐れがある方は、閲覧をご遠慮ください。

概要

刑務所内で懲役刑を受刑している障害者のケアを担当した山本が2005年と2006年に『新潮45』に発表した障害者による犯罪を取材した3篇を加筆修正して収録。さらに2篇を書き下ろし、序章と終章を追加した内容である。

同書では、下関駅放火事件レッサーパンダ帽男殺人事件など障害者による事件、知的障害者が繰り返す軽微な事件や売春、暴力団が障害者を食い物にする事例、ろうあ者同士の犯罪、知的障害者の冤罪事件など、これまでメディアが及び腰になってあまり報道してこなかった障害者の一面が紹介されている。その上で山本は、障害者への福祉行政と刑務所と裁判での処遇には以下のような問題点があるとしている。すべての受刑者は入所後、作業の適応力を調べるための知能テストを受けるが、その結果によると全受刑者のうち4分の1が知的障害者であった。また彼らが刑務所内で行う作業は、結んだ紐を解いたり、一つの箱の中の数種の色の蝋のかけらをそれぞれに分けるといった、およそ生産労働とは呼べないものばかりである。
それ以外にも各種の身体障害および精神障害を持つ受刑者が多数存在し、彼らは劣悪な生育歴の中でほとんど福祉と結びつくことがなく、おにぎり一個の万引き(窃盗罪)や無銭飲食・無賃乗車(詐欺罪)のような微罪で、繰り返し刑務所に入ることによって生き延びている。刑務所が最後の「セーフティネット」となっている。
累犯障害者に刑事訴訟法の定めるところの訴訟能力や受刑能力が備わっているかどうかは、極めて疑わしい。しかし、身元引受人や受け入れてくれる福祉施設がなく、また自力で再就職し生活の基盤を確保することも困難であるため、刑務所に入らなければ生存すら危ぶまれ、検察官裁判官もやむを得ず受刑させている面がある。
コミュニケーション能力が極めて乏しいため、冤罪被害に遭うこともしばしばある。社会では男性はやくざの鉄砲玉、女性は売春などに利用される場合が多く、結果として刑務所を終の棲家とするために最後にはより重い罪を犯す場合もある。
彼らにとっては、実社会は刑務所よりも過酷な環境であるが為に、彼ら自身やその被害者にとっても「悲劇」が繰り返されている。


山本は本著で「彼らが加害者となったら当然罰せられるべきだが、その前に彼らは人生の大半を不遇なまま過ごして来た被害者でもある事を忘れるべきではない」「彼らに十分な福祉さえ行き届いていれば、防げた事例は幾らでもあった」と主張している。

累犯障害者 - Wikipedia

 彼らは自ら悪に染まった訳ではない。環境が作った悪なのだ。
 
この記事は、その事実を世間に広める為に執筆したものである。

安住の地は刑務所だった――下関駅放火事件

2006年(平成18年)1月7日午前1時50分ごろ、下関駅構内のプレハブ倉庫から出火、駅舎に延焼し、木造平屋建ての駅舎東口が全焼。同建物(1942年建築)は特徴的な三角屋根を持ち、下関市のシンボル的な存在だった。また下関乗務員センターや出火元の倉庫も全焼、焼失面積は延べ約3,840平方メートルに及んだ。人的被害はなく、高架上にあるホームや線路、架線にも被害はなかった。

同日、現場近くにいた当時74歳の無職の男性Fが、放火の容疑で下関警察署に逮捕された。男性は当事件から5年前の2001年(平成13年)にも福岡県内で放火未遂事件を起こし逮捕されており、前月12月に福岡刑務所を出たばかりだった。男性は過去10回にわたって服役を繰り返してきた知的障害者、いわゆる「累犯障害者」であった。出所した8日後に本事件を起こした。

男性は身寄りがなく、出所後も警察に保護されるなどしていた。仕事や住む場所もないまま行くあてもなくさまよっていたが、放火事件の前日、ついに手持ちの金銭が底をついたことから、逮捕・勾留されるために、福岡県北九州市内で万引きして自ら申し出、小倉北警察署に連れて行かれた。事情聴取を受けたものの逮捕・勾留には至らず、留置場に入ることはできなかった。福岡県警察は、区役所の窓口で生活保護の相談を勧めた。

男性は北九州市の小倉北区役所に生活保護を申請しに行き、「刑務所から出てきたばかりで住むところがない」と言うと「住所がないと駄目だ」と相手にされず、そこで下関駅行きの切符を一枚と、山口県の下関市役所までの路線バス運賃190円を渡された(切符やバス代がもらえる仕組みは行旅人の記事を参照)。男性は電車で下関駅まで行って夜まで駅で過ごしていたが、駅の営業時間終了により、山口県警察から駅の外に退去するように言われ、居場所を確保できなかった。犯行の動機は「刑務所に戻りたかったから」と述べた

下関駅放火事件 - Wikipedia
 

 私は複雑性PTSDが悪化した。それから妻子を連れてホームレスとなり、生活保護を受給している。その時、ボランティア団体や役所の福祉課からも、「住所が無くとも生活保護は貰える」と説明された。住まいは福祉の方から提供される。
 そりゃそうだ。路上生活者にこそ生活保護は至急されるべき。これぞ福祉である。
 そういうセーフティーネットがないと、上記のような事件が起きてしまう。
 この章を読んだ私は、ふと想像してしまった。
 ――もしあの時、生活保護が貰えず、家族もろとも路上生活者になっていたら、罪を犯すしか生きる術はなかったのではないか。
 寒気のする妄想だ。こんな事、考えたくもなかった。しかし、他に何か生き方があったのだろうか?
 福祉。これは、日本社会の治安を守る為にも必要な、公的サービスなのである。ただ犯罪者を刑務所に入れて、刑期を終えたら出所させて後は知りませんでは、犯罪を繰り返す人が後を絶たない。
 この本に出てくる累犯障害者は、福祉に助けてもらえなかったから、仕方なく犯罪を行ったのだ。だからといってしていい事にはならないが、止められる手立てはあった。助けられたはずなのに、助けられなかった。その事実は揺るがない。
 累犯障害者は、悲惨な幼少期を過ごしている。彼らもまた、被害者だった。それがまた、新たなる被害者を生んでいる。
 この放火事件を起こした被告は、過去10回服役していた。その罪は全て、放火罪である
 NPO法人との面会で、彼はこう語っていた。

 北九州市でホームレス支援などを続けるNPO法人「抱樸(ほうぼく)」理事長で牧師の奥田知志さん(53)は逮捕直後から、報道で男性の孤独な状況を知り、面会に訪れた。

 男性は人生で一番つらかったのは「刑務所を出た時、誰も迎えに来なかったこと」と答えた。父親に火の付いた薪を体に押しつけられた生い立ちも打ち明けた。奥田さんが「今度出所するときは必ず迎えに行く」と約束すると、涙を流した。

 服役中も60~70通の手紙をやりとりした。男性は毎回「迎えに来てくれるのが楽しみ」と書いた。こうした縁から、奥田さんが身元引受人となり、6月に仮出所がかなった。奥田さん夫妻の出迎えに男性は声を上げて泣いた。生まれて初めての出迎えだったという。

 出所に当たり、保護観察所や自治体、保護司、受け入れ施設など7機関が協議を重ね、連携して受け入れ態勢を整えた。現在、男性は抱樸が運営する施設に入所。週4日はデイサービスに通い、「一番幸せな時間」とカラオケや体操などを楽しむ。7月の七夕では短冊に「自分のしあわせ みんなしあ(わ)せ」と書いて祈った。

84歳 もう刑務所には… 下関駅放火事件から10年 累犯障害者男性 人生の半分服役 司法と福祉連携 出所後フォロー (2ページ目)

レッサーパンダ帽の男――浅草・女子短大生刺殺事件

2001年4月30日午前10時35分頃、被害者(当時19歳、女子短大生)はブラジリアン柔術大会に出場する友人の応援をするために台東リバーサイドスポーツセンターに向かう途中であった。被害者の後を追うように、毛皮のコートを着てレッサーパンダを模した帽子を被った男(加害者)が、同じ道を進んでいた。交差点で被害者が加害者を確認した際に驚いた顔をしたため、加害者は自分が馬鹿にされたと思い込み、被害者を狭い路地に引き込んで胸や腹、背中などを包丁で刺し、失血により死亡させた。

現場近くで「動物のぬいぐるみを頭に載せた男」「レッサーパンダのような帽子を被った男」が何度も目撃されていたことから、捜査機関はこの男を容疑者とみて捜査を開始。5月10日、東京都代々木で加害者(当時29歳)が逮捕された。

事件直後から「レッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被った成人男性による犯行」という異様さに注目したマスコミ、特に週刊誌は、この事件を大々的に取り上げようとしていたが、容疑者が軽度の知的障害者と判明した後は報道が鎮静化した。加害者の家庭では17歳の時に母が病死し、加害者は家出や放浪を繰り返しており、窃盗など4件の前科があった。

レッサーパンダのぬいぐるみ帽子は函館市で購入したものであるが、警察の取り調べに対して加害者はこの帽子を「犬の顔(を模したもの)」だと思っていたと答えている。また、「なぜ、その帽子を被って歩いていたのか?」という質問に対しては、「大切なもので、毎日抱いて寝ている」と答えた。

(中略)

加害者の妹は中卒で働いて一家を支えていたが、殺人事件の1年半後に25歳で病死した。
加害者はかつて勤務していた仕事場で同僚達から凄まじい暴力を受けており、逮捕当時も前歯が殆ど欠損していた。プライドが高く、逮捕後の取調べにおいても自分に知的障害があることを認めようとしなかった。障害者の認定を受ける要件は満たしており、過去に障害者手帳を保有していたが自分で破り捨てている。

レッサーパンダ帽男殺人事件

 言うまでもなく、この事件を起こした彼やその家族も、生活保護や障害年金といった制度を知らなかった。あるいは、知っていても理解できなかったと考えられる。
 恐らく、障害者手帳を自ら破り捨てている事から、自分が知的障害者を受け入れられなかったのではないかと推察できる。だから、もし福祉サービスを知っていても、利用しなかったであろう。
 現に私も、「皆が汗水垂らして収めた税金を貰うなんて出来ない」と言って、受給を拒んでいる路上生活者と話した事がある。だが、そこは強引にでも、福祉サービスを利用させて良いのではないだろうか。私はそう思う。
 これについて、とあるSNSに書いた事がある。その時きた返信は「なんで貰わないって言ってる奴に生活保護あげるんだよwww」であった。
 この心無い言葉を発した人は、累犯障害者についての理解が足りない事は明白である。障害者を守る為である事はもちろん、日本社会の治安を維持する為にも、社会からドロップアウトしてしまった人に、福祉を利用してもらう必要があるのだ。

 また、この事件について、加害者の妹さんについての話も知ってほしい。きっと、福祉の在り方について考える機会になる。

その陰で加害者の妹アキコさん=仮名=が亡くなっていたことはあまり知られていない。

事件から数か月後、彼女を取材した。両腕に携帯用の酸素ボンベを抱え、鼻には管をあてている。髪の抜けた頭をバンダナで覆う。体は思うように動かない。肺や脳が腫瘍で侵された末期がんだった。

「これまで楽しいことなんて一度もなかった」

何度も何度も繰り返し訴えた。彼女にそう言わせた25年間とは何だったんだろう。

1000字提言-「ある事件」 (dinf.ne.jp)

 続きはぜひ、引用元で読んでほしい。

障害者を食い物にする人々――宇都宮・誤認逮捕事件


04年に2つの強盗事件で逮捕、起訴された後に真犯人が判明し、無罪が確定した宇都宮市に住む知的障害者が、精神的苦痛を受けたとして国と栃木県に計500万円の慰謝料を求めた国家賠償請求訴訟の判決が28日、宇都宮地裁であった。福島節男裁判長は、「警察官が知的障害者の迎合的である特性を利用し、被害者供述に合致した虚偽の自白調書を作成した」などと認定。ほぼ原告側の主張に沿って、県警と宇都宮地検の操作の違法性を認め、国と県に計100万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

朝日新聞記事(2008年2月29日 金曜日) (dinf.ne.jp)

 我が国の刑事司法は、自白調書に強く依存している。また、知的障害者は、強い物言いをしてくる相手に言い返せない事もあり、検察に言われるがまま自白してしまう事がある。
 また、知的障害者を食い物にする輩もいる。
 この本に登場する事件だと、知的障害を持つ人達と養子縁組を結んで、タコ部屋の如きアパートの一室に押し込め、障害年金や生活保護を実質的に管理しているという。
 被害にあっている人達は自分の意見を言いにくい立場にあるから、誰かに助けを求められず、今も食い物にされている。

生きがいはセックス――売春する知的障害女性たち

婦人保護施設(ふじんほごしせつ)は、売春防止法(昭和31年法律第118号)第36条および配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(平成13年法律第31号)第5条により、都道府県により設置される要保護女子および同伴児童を収容保護するための施設である。

婦人保護施設 - Wikipedia

 要は、売春婦を更生する為の施設だ。また、最近はDV被害を訴える人などを入れる施設としても機能している。
 また、作中では、こう語られている。

障害者と売春の関係は根深い。我が国では古くより、知的障害者の女性を売春婦として働かせるために勾引かどわかしてきた歴史があり、売春防止法以前の公娼にはかなりの割合で知的障害者がいたといわれる。

『累犯障害者』P117~118

 「楽しかったらからいいじゃない」
 作中に出てくる、売春を続けていた女性は、著者の問いかけにそう答えたそうだ。
 彼女達にとって、売春は快楽を感じられる楽しい行為であり、また、「可愛い」や「綺麗」といった、男の薄っぺらい発言を言葉通りに受け取る。
 彼女らにとって、人恋しさを満たして幸せを与えてくれる、楽しい行為みたいだ。
 また、母娘ふたりとも知的障害者である場合もあって、その人の話にとても心が重たくなった。
 とある母は何度も離婚していた。ある日、その相手の一人が、重度の知的障害を持つ娘を輪姦させていた、という話が出てくる。
 読んでいて、とても胸が痛くなる。
 この娘さんは確実に被害者だが、最初に紹介した例だと、本人も同意の上で性行為に及んでいるので、実質、「被害者のいない事件」と言える。しかし、その女性もまた何度も中絶したりと、過酷な人生を歩んでいる。売春に手を出してしまったが為に。

売春する恐れのある女性を保護するという目的で設けられている、婦人保護施設。都内のある保護施設では利用者の約70%に、軽度の知的障害と精神疾患を併発している疑いがあるといいます。

(中略)

一般企業で働いてみても環境に適応できずやめてしまい、アルバイトも長続きせず、最終的に性風俗に流れていく。これは、よくあるパターンのひとつです。


仕事でミスを出して叱責されることが増えると、知的障害者や発達障害者の多くはこれまで「努力が足りない」と責められてきた過去から、自己肯定感が下がりやすくなります。すると「やっぱり自分にはこの仕事はできない」と諦め、すぐに仕事をやめてしまいます。

無職の期間が長引くと、経済状況が悪化します。するとどんどん視野が狭くなり、今日か明日といった目先のことしか考えられなくなるのです。

そんなときに繁華街で「高収入を保証!」とうたう性風俗の看板を目にしたら、どうでしょう。「生きるために仕方がない」と思い詰める人がいても、わたしたちに責められるでしょうか。

なぜ障害者女性が性産業に流れていくのか

ある知的障害女性の青春――障害者を利用する偽装結婚の実態

 この章では、偽装結婚のブローカーに利用されている知的障害者が登場する。彼女は自分が偽装結婚している事を悪いと思っていないどころか、そもそも、「偽装結婚」という単語の意味すら理解できていない様子だった。
 また、彼女は福祉より、ヤクザと一緒に居る事を選んでいる。
 それは、本当の意味で福祉を理解したうえでの拒否なのか、理解できないから現状維持を望んでいるのか、はたまたヤクザの恐怖に支配されて、そう言うしかなかったのか――

多重人格という檻――性的虐待が生む情緒障害者たち

この重篤な疾患が生じる心理メカニズムとして、実は自律的な適応への試みが深く関与していると考えられます。戦慄の体験をもつ人にとって、それを認識しながら生きることはあまりにも過酷で、精神状態を保つことはおろか、生きることすらままならないのです。そこで、その体験にまつわる認識や感情を「自分ではない」として、「別の人」を生み出し、そこに割り当てることで危機から回避させることになります。多種多様な認識と感情を別の人が担い、徐々にその数が増えていくものです。

「下着がない状態で手をつないで人通りの中を…」29の人格を持つ女性が受けた、幼い頃の性的虐待 | 文春オンライン (bunshun.jp)

 父親からの性的虐待に耐えかねて、多重人格になった女性が登場する。
 性産業に従事する女性の中には、少なからず、性的虐待を受けてきた女性がいるそうだ。その過去を塗り替える為に、トラウマを克服する為に、不特定多数とそういった行為に及ぶのだそう。
 そういった、性的虐待を受けた子供の心を治療する専門的児童施設は、日本には少ない。そこが問題なのである。
 また、こうして性と障害者に関する話をしてきた。ここまで読んで、あなたはどう思っただろうか。
 特に、知的障害者とセックスの問題だ。

「知的障害者」と聞いて、あなたはどんな人物を思い浮かべるだろうか。

コミュニケーションが難しい、自分の意思で動くことができない、あらゆる場面で支援が必要、外見は大人なのに中身は子ども、幼く可愛らしい、素直で従順、守ってあげなくてはならない、等々。

どこか差別的な気がして、「知的障害者」と口に出すのも憚られる、どのように接すればよいか分からないし、ほとんど関わりがない存在。ましてや、彼らが「セクシュアリティ」とどのように向き合っているのか、知る人はほとんどいない。障害があっても同じ人間とは言いつつ、

「知的障害者はセックスしないでしょ」

「知的障害者にセックスさせたらダメだよね」

「知的障害者に性教育なんて必要あるの?」

そう考える人も少なくないかもしれない。

「知的障害者はセックスしてはいけないのか」という問いに対する答えは、もちろん「NO」だ。

知的障害者はセックスしてはいけないのか?

 現状の福祉では、売春や風俗などの性産業にいる知的障害者を止め、障害年金や生活保護で助けてから、別の就職先・障害者雇用での就労を勧める。
 確かにこの選択肢の提示によって助けられる人もいるだろう。だが、そうでない人もいるはずだ。
 現に、前の章で紹介した性産業に従事する女性は、自分の仕事を「楽しい」と言って、幸せを感じている。彼女にとっての天職を奪い取る事が、果たして福祉なのだろうか?

 福祉関係者は、障害者と性について、目を背けてはならない。

閉鎖社会の犯罪――浜松・ろうあ者不倫殺人事件

 司法の中には、ろうあ者差別・軽視が存在する
 日本の刑法によれば、ろうあ者に対して刑事罰を科さない(または減刑する)規定が存在した。具体的には、刑法第40条により、「瘖唖者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ軽減ス」と規定されていた。(1995年に削除されている)
 また、本作に登場するろうあ者の話では、「通訳者が誤って通訳しており、供述調書に自分の主張と正反対の事を書かれた」などといった話が出てくる。その理由は、ろうあ者のコミュニティが作った手話と、健常者が学習する日本語対応手話は、外国語のように別物だからだ。
 また、手話に関する裁判で注目すべきものが、今年行われた。

道立のろう学校に通う児童など2人が、日常的に使っている「日本手話」で授業が受けられず学習する権利を侵害されたなどとして道に賠償を求めた裁判で、札幌地方裁判所は「日本手話で授業ができる教員の確保には限界があり、ほかの手段も使って授業の水準を保つことには合理性がある」などとして、原告の訴えを退けました。

日本手話で授業受けられず権利侵害 原告訴え退ける 札幌地裁|NHK 北海道のニュース

 果たしてこの判決は、日本の教育現場にとって、正しいものと言えるのだろうか?

 また、この章で私が興味深いと感じたのは、ろうあ者と健常者の世界は別物なのではないか、という点。
 作中ではこう語られている。

彼らの精神世界は、われわれとは異なるのではないか。言語世界の有りようが違うと、感受性や倫理観さえも違ってくるのではないか。そう感じることが度々だった。

『累犯障害者』P227

 近代言語学の祖・ソシュールは、「言葉が世界を分断する」という格言を残した。つまりは、言葉が世界を作っているのだ。だから、我々とは違う言語を使って、健常者とは違う社会・デフコミュニティに生きる彼らは、我々とは違う文化や考え方を持っている。我々とは違う世界の見方をしている。
 そこの理解から始めることが、多様性であり、お互いが共存する為に必要な事だ。

ろうあ者暴力団――「仲間」を狙いうちにする障害者たち

 この章では、公判停止になった二つの裁判が紹介される。
 この被告人に共通するのは、ろうあ者でありながら教育を全く受けておらず、読み書きはもちろん手話も出来ないので、意思疎通のやりようがないのだ。だから裁判が機能せず、停止するに至った。
 どちらも高齢者だったが、彼らは人生の殆どを、他人と交流せずに過ごした事になる。
 このふたつの事件とも、福祉を利用して救っていれば、起きなかった犯罪だ。
 なぜ彼らが教育を受けられなかったのか、本人から語られることはない。
 彼らは一体、どんな人生を歩んできたのだろうか。

 また、上記の事件は社会が救えなかったろうあ者だが、自ら裏社会に入ったろうあ者もいる。

阿部太容疑者(テレビ朝日「ANN NEWS」より)
「容疑は昨年6月、聴覚障害者の女性(65)を手話で脅し、李容疑者と以前同居していた男性(82)を連れ戻す、との約束文を無理矢理書かせたというものですが、この話には前段があります。阿部容疑者らはこの男性と聴覚障害者のグループで知り合った後、身の回りの世話をすると称し、預かっていた預金通帳の口座から勝手に現金を引き出していた疑いもある。それに気付いた女性が東京都内の区役所に相談して、区が男性を隔離。阿部容疑者らが男性を奪い返そうとしたのです」

「被災で困ってるから金をよこせ」と手話で
 率いる組の組員はほとんどが聴覚障害者で、阿部容疑者は5年前にも逮捕されている。被害者はやはり聴覚障害者。「東日本大震災の津波で家が流された。困ってるから金をよこせ」などと、被災をダシに手話で脅していたという。同じ聴覚障害者コミュニティーで、一方では組員を集め、他方では被害者を物色してきたわけだ。

 内閣府によると、全国の聴覚障害者の数は2013年時点で30万人弱。このなかにヤクザの組が存在すること自体が驚きだが、ほかにもそんな組は存在するという。

手話で「金よこせ」 聴覚障害者ばかりの暴力団、弱者を脅す驚きの手口

 また、本作には、「ろうあ者の集い」に参加して詐欺相手を探る輩も登場する。ろうあ者同士だと信用されるから、騙しやすいという訳だ。
 福祉の場を悪に利用しようとするろうあ者もいる。障害者だからといって品行方正であるわけではなく、同じ人間なので、負の感情を持つ人もいて、それが爆発して殺人事件にまで発展する。

私が昔勤めていた会社で経験したこと。

そのろうあ者の男性は、手話もダメ、日本語もダメというダブルリミテッドな状態だった。あるとき仕事で上司からミスを指摘された事をきっかけに、普段のストレスが爆発してしまった。驚いた上司は「同じろうあ者なら、彼の気持ちがわかるはず」と社内にいるほかの部署で働く先輩ろうあ者に会わせたが、同じろう学校卒の、同じろうあ者なのに話が通じない。

先輩のろうあ者曰く「アイツが何を言っているか、オレにはわからん。同じ学校の後輩とは思えない」。

当の本人は私に、ただ「オレは悪くない。悪いのは●●だ」というばかり。

人は周囲と意思疎通ができなくなると、「マイ・ルール」いわゆる思い込みで判断するようになる。「もし私がこうしたら、あの人はどう思うだろうか?」という頭が働かなくなり、上にあるような”考えがとんでもない方向にいってしまう”ことになる。

これまで子供が日本手話を習得する主な場所は、聾学校の子供集団だったが、この場がもうなくなりつつある。そのため今後ますますこういう子が増えていくと思う。

ろうあ者の殺人事件と、聴覚障害児の教育-子ども×障がい×高齢者×外国人=多文化共生社会 (canpan.info)

終章 行き着く先はどこに――福祉・刑務所・裁判所の問題点

「刑務所から出てきたボクのことなんて、だれも相手にしてくれない。死にたい、助けて」

『累犯障害者』P305

 マスメディアに取り上げられる障害者は、煌めいている者が多い。
 パラリンピックに出場したとか、芸術活動に才能を見出す者など、努力して社会に貢献している人達ばかり。だが、障害者の中には上記のように犯罪に手を染めてしまう者達だっている。
 こういった社会で生きづらい人を救うのが福祉であるが、「触法障害者」と呼ばれる、悪事を行ってしまう障害者とは距離を取りたがる。福祉が助けないのだから、彼らは犯罪を繰り返すしかなくなり、刑務所を居場所とする「累犯障害者」へと変貌してしまうのだ。
 居場所が無くて刑務所に戻りたいが為に放火する人だっている。
 本当はそういう人こそ救わないと、社会が「また刑務所へお戻りなさい」と言ってるようなもの。犯罪の被害者になった方からしたら、たまったものじゃない。
 では、出所後の障害者は、どうしたらいいんだろうか?
 彼らを助ける人は少ない。むしろ、突き放す人の方が多いだろう。

「不動産会社の方や保証会社の方に教えてもらったのですが、名前をインターネットで検索して過去に犯罪を起こしたことがわかると、審査的には問題がなくても落とすそうです。

家を借りられないと、友人の家に転がり込んだり、ネットカフェや路上で暮らしたりせざるを得なくなり、住所不定のため就職先も見つからないという悪循環に陥ります。その結果、生活に困り、再び窃盗などを犯してしまうのですね。よく『再犯を防ぐには就職先を確保することが必要だ』と言われますが、その前段階として、まず住居が必要なのです」

日本はやり直しができる社会なのか?――出所者の社会復帰について考える(前編) | Ridilover Journal(リディラバジャーナル)

 一度でも社会からドロップアウトしてしまった障害者は、もう一度やり直す機会が与えられない事がある。その場合、終の棲家に刑務所を選ぶしかなくなる。もしくは、暴力団などの反社会的組織に手を貸すか。
 どちらにせよ、また、犯罪に手を出してしまうのだ。

――福祉は、一体何をやっているんだ。

『累犯障害者』P283

読書感想文

函館市の隣町、七飯町にある社会福祉法人「道南福祉ねっと」(成田孝四郎理事長、以下、ねっとと略記)は受け入れに協力している施設だ。そこで、出会ったのが軽い知的障害がある60代のやっさん。ねっとがグループホームとして借りたアパートで暮らしている。食事は職員が用意してくれる。「三度の飯があり、働くこともできる。盗みをしなくていいしね」

大工の父と専業主婦の母の一人っ子。横浜で生まれ育ち、中学卒業後は地元でメッキ工として働いた。だが25歳ごろ体を壊して退職。それから親に頼る生活になったが、両親が相次ぎ倒れ、金に困り、盗みを繰り返してきたという。ねっとに初めて来た約4年前。8度目の刑務所暮らしの末だった。最後の出所時、センターの支えはなかった。案内されたのは函館市内の更生保護施設。出所しても帰る場所がなかったり、頼れる家族がいなかったりする人のために衣食住を提供し、自立を準備する「仮の宿」だ。施設に居ることができるのは半年。今回は、保護観察所がねっとにつないだ。やっさんは、この施設に来てからの約4年間、事件を起こしていない。

最後に、課題がないわけではない。受け入れ施設の少なさだ。累犯障害者らが再犯に及ぶと、地域からの批判を受ける可能性があるとして拒否反応を示す施設も少なくない。障害者の地域生活が進む中で、求められるのは彼らとともに生きるために、福祉側がいま何をしなければならないのかを考える姿勢だ。受け入れを拒否する対応は、障害者であれ、健常者であれ、地域で共に生きるという福祉の理念に反する。そのことを考えなければ、「累犯障害者・高齢者」の地域移行は進まない。

(さとうはじめ 北海道新聞浦河支局長)

https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n422/n422009.html

 私は複雑性PTSDという、精神障害者です。
 この障害は対人関係が困難なうえ働けないのに、障害年金が貰えないので、生活保護を貰っています。
 仕事をしていない代わりに、社会復帰を目指して資格の取得や、深い病識を得る為に、毎日勉強しています。
 私は、心的外傷を受けたが為に、健常者より多く精神的苦痛を負わなければなりません。社会に適応する事は困難です。
 何十回も退職してきました。周囲をイライラさせていまう事が多々あるからです。どこに行っても上手くいかず、トラウマがフラッシュバックして働けなくなる。それを数え切れないほど、繰り返してきました。
 社会で生きていけない。罪を重ねながら生きていくしかない――
 そんな私を拾ってくれたのが、就労移行支援でした。
 そこでの活動や、ドロップアウトした経緯は、こちらのマガジンにまとめています

 情報弱者でした。私は機能不全家族の元で虐待を受けながら育った為、まともな教育を受けておらず、福祉サービスの存在を知らなかったのです。
 ――障害者になってしまった自分はもう、まともに生きていけない。
 そう思っていました。しかし、ちゃんと役所やボランティア団体に相談すれば、助けてくれる人は沢山いました。
 生活保護は、社会からの慰謝料だと思って受け取っています。
 また、SNSで他のホームレスと話していて思ったのですが、生活保護を貰う事に抵抗を感じて、路上生活を続けている人がいるようです。しかし、彼らは絶対に保護費を貰うべきでしょう。
 申請が通れば、衣食住が与えられます。これは当たり前の権利で、罪悪感を感じなくていいんです。身体や精神に疾患があるからといって、生きづらい世の中が間違っています。
 ――本当は親の責任です。
 「あなたのお子さんは障害があるから福祉を」
 そう声をかけてくれる人がいたら、助かる命は沢山あった。
 
幼少期、私の周囲にいた大人達は、家庭環境や私自身に問題があると分かっていながら、福祉を紹介してくれませんでした。もっとはやく福祉を利用出来れば、私は罪を犯さずに済んだかも知れません。しかし、彼らを恨んではいません。だって、考えてもみてください。
 目に見えない障害を持つお子さんの為に、親をこんこんと説得する。そんな面倒な事を誰が出来ますか?
 でも、やらなくちゃいけない。
 「他人の家庭なんて知らない」と言ってしまう事は簡単です。しかし、自分の身を守る為にも、治安を保つ為にも、地域住民の皆で声かけをしていく。そういった心掛けが必要です。

 司法や福祉の整備は、確実に前に進んでいます。でも、決して安心はできないそうです。

 「13年前、府中刑務所(東京)には2700人くらいの日本人(日本で生まれ育った人)受刑者がいて、そのうち知的や精神に障害がある人が全体の15%で、身体に障害のある人が28%でした。3年前に再び府中刑務所を訪れると、日本人受刑者が1800人ほどに減るなか、そのうち知的や精神に障害のある人が39%、身体に障害のある人が34%となっていました。つまりこれは、“この10年間、受刑者全体の数が減り続ける一方で、障害のある受刑者に関しては、その数が一向に減っていない”ということを示しているのではないでしょうか。彼ら障害のある受刑者が刑務所を終の棲家にせざるを得ない状況は変わっていないのです」

https://maga9.jp/190109-7/

 なぜ、障害者は苦しまなければならないのですか?
 
考えてください。
 なぜ彼らは、罪を重ねるのか。
 どうやったら、止められるのか。
 累犯障害者とは、何か。

知的障害や精神障害などがありながら、福祉の支援を受けられずに社会で孤立し、生活に困窮して盗みなどの犯罪を繰り返してしまう人たちのこと。累犯とは重ねて罪を犯すという意味。こうした問題が注目されるようになったきっかけは、政策秘書給与の流用事件で2001年に実刑判決を受け、刑務所に1年2カ月服役した山本譲司元衆議院議員が、出所後に著した「獄窓記」(03年、ポプラ社)や「累犯障害者」(06年、新潮社)から。山本元議員も参加して06年に行われた厚生労働省の科学研究費補助金「虞犯・触法等の障害者の地域生活支援に関する研究」(主任研究者・田島良昭)によれば、15カ所の一般的刑務所入所者2万7024人のうち、知的障害者またはその疑いがある者は410人、うち再犯者は285人(69.5%)を占めていた。

累犯障害者 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス


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