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犬の神憑き――全て、貴方のせいです。 第0話――
まえがき
皆さんは、ご自身の苗字について、調べた事がありますか?
私は犬上 紡と申します。
今回は、『犬上』という苗字の由来について、ある方からお話を伺いました。
犬の神憑き――前日譚――
滋賀県の犬梅村に、犬神様を家族の守り神と崇める一族がいます。
それが現代まで続く『犬上家』で、表向きにはこういう由来が語られています。
猟師が猟犬を連れて山へ狩りに出かけた。その帰りに眠たくなって、木にもたれかかり寝てしまった。
熟睡している猟師に、木の上から猿が襲いかかろうとしている。それに気付いた犬は、飼い主に吠えて知らせようとした。しかし、それをうるさく思った猟師は、犬の首を切ってしまった。
その生首は木の上まで飛んで、猿を噛み殺したという。そこから、犬は命を救う神であると捉え、崇め奉るようになった。
また、亡骸を庭に埋葬したところ、そこから立派な梅の木が生えてきたという。
犬上家の庭にある梅は、その当時から咲き誇っている。
この言い伝え自体は間違っていないようですが、屋敷神となった起源ではありません。
千年以上前。貧困に喘いでいた母娘がいました。母親の累と、娘の糸。犬上家の先祖です。
食べるものに困った親子は、飼っていた犬を食べてしまいました。この行為こそ、不幸の始まりです。
犬は不浄な生き物であり、理不尽な死に方をすると動物霊になって、災禍を巻き起こす。当時はそう信じられていました。
悲しく残酷な運命を辿った犬は、怨念を増幅させ、邪悪な存在となりました。その祟りによって村は飢餓に苦しみ、村民の恨みを買いました。あまつさえ、村長の命令で、親子は村八分にされたのです。
その後、親子は贖罪の為、犬を神として崇める事にしました。
庭に犬神様を祀る祠を建て、犬の頭蓋骨を御神体としました。
これにより、周囲から「犬神持ち」と呼ばれた家族は、苗字を「犬上」と決め、子孫代々、犬神を崇拝するようになりました。
その為の仕来りがあります。
私の一族は、生後まもない赤子の額に、墨汁で『犬』と書きます。そして、祠に参拝する。これが、犬上家にとってのお宮参りでした。
また、20回目の誕生日に、『犬』と刺青を彫ります。これが成人の通過儀礼です。
私は、左手の甲に彫ってもらいました。
これが魔除けになる上に、犬神の呪術を身に宿す役割があると考えられています。
実際、犬上家は村八分された恨みで村民全員を呪い、狂犬病と同じ症状を蔓延させ、村を混乱に陥れました。
そして、『犬神憑き』に遭った人はみな、体のどこかに犬の歯型が残されていたといいます。
村の病院が患者で溢れかえっている頃、累は、村長の家へ殴り込みに行きました。
そこには、布団の上で今にも死にそうな、衰弱した村長の姿がありました。そして、その周りを医者や家族が取り囲んでいます。
いきなり乗り込んできた累に対して怒号が飛び交っているのをよそに、村長へ近付いて、こう言ったそうです。
「私は貴方を絶対に許さない。村がこうなったのは全て、貴方のせいです」
これで呪詛を確信した村民は恐れおののき、村長が亡き後、犬上家の当主を村長として敬う事になりました。
村での地位を取り戻した犬上家は、祠を犬噛神社として解放し、「悪縁を噛み切る」という事で、縁切りにご利益があるとしました。他には、子孫繁栄や厄除けがあります。
また、呪術師として、参拝客が呪いたいという相手に呪詛をかけ、その対価にお布施を貰う事で、生計を立てました。
時間を現代に戻しましょう。私が14歳の頃です。
光文6年6月6日。凍えそうな梅雨の事。
両親は糸の切れた凧で、私一人、神社を管理していました。
銀の糸が落ちてくるかのような雨の中、浅草からある男性が訪れたのです。
体を小刻みを震わせていた彼。可哀想に思い、客間へ案内し、梅昆布茶を差し出しました。庭の梅を使った、手作りのものです。
彼は湯呑みを両手で包み、暖をとっていました。
彼は一口すすった後、口を開きます。
「犬神様の作り方が知りたい」
そう言われて驚かなかったといえば嘘になります。しかし、私はもったいぶることなく、方法を教えました。
「空腹な犬を辻に埋め、頭部だけ露出させる。口がギリギリ届かない程度の近さに餌を置き、さらに飢えさせる。しばらくして餓死寸前になった頃、犬の首を切る。すると、生首は勢いよく餌に食らいつく。その頭を辻に埋める。犬の上を数え切れない人が踏んでいく事で、怨念が増大していく。するといつしか、犬神様が夢枕に立つ。それが犬神持ちになった証拠や。その時まで、この掛け軸を見ながら毎日瞑想するとええ」
そう言って、壁にかかった掛け軸を指さしました。それは、黒い袈裟を着た犬の絵。犬神様を表していました。
男性は怪訝な顔をして、口を開きます。
「東京の道はどこもコンクリートで舗装されていて、土を掘り返すなんて難しいです」
「そうか」私は言いました。「せやったら、もう一つ方法があんで」
「本当ですか!?」
男性の表情は明るくなりました。
「アタシと結婚するんや」
男性はまた狐につままれたような顔をして、「え?」と言いました。その反応を無視して、私は言葉を続けます。
「そのかわり、アンタは自分の苗字を捨てなあかん。その覚悟を持って犬上を名乗るなら、アンタや将来身篭る子供も、犬神持ちになれる」
それからしばらくして、滋賀県にこんな都市伝説が生まれました。
「夕方、人気のない十字路で、忽然と姿を消す人が増えとるんやって。みんな、誰かに話しかけられた様子で振り返ったおもたら、いきなり消えとんねん」
これは、地元の女子高生から聞いた話です。彼女は続けてこう言いました。
「霊感ある友達が遠巻きに見た言うてたわ。袈裟を着た巨大な犬の骸骨が、十字路で誰かに話しかけとるんやって。何言うとるんや?おもて聞いたら、『死は平等に訪れる』て言うてたらしい」
あとがき――後日譚――
現在、私が村長を務めています。
法律上の正式な夫は、『SWAN SONG』という筆名で活動するブロガー・犬上 空我。
彼は先祖代々、死神を信仰する家系でした。1人でも多くの読者に呪いを拡散する為、呪術を学びに、私の所へ来たそうです。
その結果、彼は新たな憑き物を得ました。呪術を操る為の修行も指導しました。
私は彼に呪詛のいろはを教えましたが、正直、私にとって重要なのは、彼の呪いよりも、自分の犬神様でした。
滋賀県で忌み嫌われた存在である事に変わりはないし、結婚相手は県外で探すしかありません。そんな時、彼は私に見惚れた。否、「彼ら」と言った方が正確です。
しばらくして帰ってきた両親は、感情的になって反対しました。私の性生活を否定したのです。それが理解できませんでした。犬上家を繁栄させる為に、1人でも多くの子供を残す事は必要だと考えたのに。
両親と意見が合わず、自分の犬神様を使って、父と母を呪殺しました。
犬神様の為には、こうするしかなかったのです。
幸い、私は沢山の犬神様を持っています。この村の至る所に、数え切れないほどの犬を埋めてきました。
この村に入るということは、犬の上を歩くということ。犬梅村の住民が増えれば増えるほど、犬神様は増力していきます。
私の呪力に勝る者など、身内にはいません。
こうして、今では夫婦で犬噛神社を運営しています。
――いえ、厳密にいうと、空我は殆ど関与してません。
彼は浅草に居ます。時たま子作りしに帰ってくるだけ。「東京で何してるの?」って訊いたら、こう言ってました。
「浅草8丁目への出入口を生み出した。その名も、死神神社――
悩み事を抱えた人を招く、不思議な神社だ。ここを通って、妖怪がこの世に溢れ返る。この世を地獄に変える――」
加えて、「お友達の会に立派な拝殿を建築してもらった」って、自慢げに言ってました。
敷地内をねぐらとする、カラスそのものが御神体。「死の鳥」と呼んで崇拝している為、本殿は無いそうです。
また、境内には立派な「時の鐘」があり、朝6時になると6回も鐘を鳴らす、「明け六つ」が行われています。
そして、犬噛神社と死神神社には、噂を聞きつけた多種多様な方々が訪れます。理不尽な目に遭った人達の受け皿として、様々な相談にのっているのです。
今は子育てに忙しいので、夫達に殆ど任せっきりですけどね。
なんせ、犬神様が憑いているおかげで、子沢山の御利益を得ています。だからか、参拝客の男性に言い寄られる事が多く、事実上の一妻多夫制を導入する事になりました。
29歳現在、夫3人、娘6人、息子9人。
犬上の血筋は、着実に引き継がれている。その恩恵として、長生不老でいられます。だからこそ、もっと出産する予定。
――全て、犬神様の為です。ひいては、自分の為です。
以上が、犬神様から聞いた、犬上家の全貌でした。
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