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1月の前半に義母が亡くなり、2月で四十九日、4月に百ヶ日を終えました。残すものと処分するものの仕分け、ゴミ出し、回収の手続き。名義変更と、不動産売却。
小さい家ながら、なかなか骨の折れることでした。
だけどダラダラしても終わらないし、勢いでやり切りました。
思えば義母が健在の昨年1月から整理を始め、全くもって進まない作業をよくぞやり遂げたと自画自賛です。
完遂までの出来事もまとめてみましたので、お付き合いください。

不動産会社と片付け業者、見積もりに

不動産屋さん。好印象…?

最初に来たのは不動産屋さん。義母の住んでた家は古い文化住宅で、まぁ引き取ってもらえたら御の字と思っていました。

不動産屋さんの反応は、
「大丈夫、大丈夫。買えます買います♪」
みたいな、やけにいい反応でした。
金額の目安としても、じゅうぶんなくらい。

買ってくれるなら良かった、
やれやれ助かった、
なんて思っていました。
が。

細かい査定額は、1週間後とのことでした。

続いて来たのは片付け屋さん

片付け屋さんが来て、部屋の中を一通り見てもらったところ、なかなかの額でした。
根切りに根切り倒して22万、、、。

結局、モノの量が多いからですね。
そりゃまぁ、88歳でしたから。
年数なりのモノがたっぷりと詰まってるので。

加えて、四人暮らししてた家から住み替えてきた今の家に、詰め込めるだけ詰め込んであったみたいです。

洋服タンスを壁一面に置いてたから、タンスの向こう側に窓があるなんて知らなかった。
ベランダにも波板を組んで物置きを作ってあったり、モノが多い。

一人暮らしでスペースがいらない分だけ、余計なモノを取っておけてしまったわけですね。
さすがに20万も取られては、赤字確定です。

ということで、1ヶ月後に再見積もりでお願いしました。

不動産屋からの電話を待つが

朝は片付け。昼には不動産屋と約束。

ここからの片付けは、以前に記事にしました。

そこから、
家の権利書が出てこない!
あったと思ったら、前の家の権利書とその前の家の権利書やないかい!!
なんてこともありまして。
結果的には、着物タンスの引き出しに敷いていた敷き紙の下から権利書は見つかりました。

それから、非常時に備えて暗証番号付きのカギボックスに合鍵を入れておいたんですが、それが開かないトラブルもありました。
結果的にはこちらの記憶違いで、介護支援事務所に確認したら解錠できました。
カギボックスを壊そうと、金ノコ買ったけど歯が立たなくて、大型クリッパーをメルカリで買おうかと悩んでいたところでした。
やれやれ。なかなかすんなり行きませんね。

で、不動産屋とのやりとりなのですが。

不動産屋、連絡してけーへんやないか!!

昼までに、との約束だったので一時にはこちらから連絡をしました。

するとまさかの、「買い取りできない」。
理由を尋ねてみても、はっきりとしない物言いで埒があかないので、言うだけのことを言って電話を切りました。

やけにヘラヘラして言うもんだから、ちょっと警戒してたけど、まさか買い取りできないとは、、、
買い取り出来ないにしても、せめてミスを認めて誠実に対応してもらわないと。電話してこないなんて論外です。
まぁ、不動産屋を紹介してくれた葬儀会社にも言っておきました。

司法書士さんに相談して

住まない家を持っていても仕方ないので、登記の手続きをお願いしている司法書士さんに相談してみました。
事情を説明すると、付き合いのある不動産屋さんを紹介してくれ、そちらにお願いすることになりました。

シン・不動産屋(こう呼びます)さんによると、家の値打ちよりも、家の前の私道が問題だったようです。
ごく狭い私道に面した四戸イチ文化住宅の端の家ですが、前の道が「いわく付き」の不動産屋名義になっているとのこと。悪名高き暴力団絡みだったとか。

事情を細かく調べてもらうことで、追加予算と時間がかかってしまったものの、どうにか妥協できる範囲で売却の目処が立ちました。

昭和の頃には、そういう変な私道がたくさんあったそうです。今は暴対法があるので、心配はいらないとのことでした。
追加予算と時間はかかってますけどね。

気がつけばもう、百ヶ日が近く

先祖のお墓にご挨拶へ

不用品の処分と不動産売却が済んだら、気がつけば百ヶ日まであと少しとなっていました。適当に遊びながらやってますから、あっという間に月日が過ぎていきます。

百ヶ日法要は、夫婦ふたりで般若心経をあげるだけの簡単なものにしました。その前に、義母のふるさとの先祖のお墓にご挨拶をば。

我が家からクルマで2時間ほど、義母の両親のお墓と、養子に出た実弟のお墓です。
それぞれのお墓の守りをしてくれている親族にもご挨拶をして、すこし思い出話も聞かせてもらって。お葬式の日には無理な日程で来てもらったので、そのお礼もできました。

お礼に伺ったのに、山盛りのお土産をもらってしまいました。遠いところよく来てくれたね、なんて言ってもらえて、有り難いでは足りません。

妻も塞ぎ込むこともなく、元気に仕事に通えています。義母をはじめ、先祖が見守ってくれているのでしょうね。

義母の生い立ちも聞かせてもらって

義母の産みのお母さんは、病気で早世しています。戦争の影響もあって、幼かった義母と二人の弟は母方の祖父母の元で育ったそうです。

祖父母の家でも、跡取りの息子さん(義母から見た叔父)を戦争で亡くしていたり、祖母の兄弟の家でも同様に跡取りを亡くしていたり、どの家も戦争によって大きく運命を狂わされていました。

私の祖父はいずれも、戦争から五体満足で帰ってきているだけに、その理不尽さを改めて聞かせてもらえたことは勉強になりました。

戦後、祖父母は殺生を嫌い、菜食主義を貫いてそれぞれ80を超えて生きたそうです。
祖父母なりに思うところがあったのでしょう。
そして、そのおかげさまで今の私達があるわけで。

妻から見たら曽祖父母になりますが、妻によると
「気難しいお爺さんだったけど、地域の人から信頼される人だった」とのことでした。
見守って下さっているでしょうから、恥ずかしくないように生きねばなりません。

二人の時間を大切に、

夫婦二人だけの生活にも、少しずつ慣れてきました。休みの日のタイムスケジュールも、落ち着いてきてゆったりと過ごしています。

そもそも、私は妻との時間が欲しくて仕事を減らしたので、意識的にゆとりを作るようにしています。

今日は月曜ですがお休みをもらっていたので、腰にお灸をしました。その後、動画に合わせてヨガをしてから出掛けました。

これまでならそんな時間の使い方は出来なかったし、いつも寝不足で不機嫌にしていたように思います。

noteには毎日の投稿が当たり前の、スーパー敏腕クリエイターの方が大勢いらっしゃいますが、張り合ったところで話になりません。
そもそも、敵対してるわけじゃないし。
私は私のペースで、ゆっくり継続させてもらうことにします。

いつもスキを下さる皆さまに感謝を。
いろんなクリエイターさんの記事を見て、刺激をいただいています。
もう少しマシな記事を書けたらいいんですが、小さなことからコツコツと、ということで。

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