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JW433 名方浜宮は何処

【崇神経綸編】エピソード8 名方浜宮は何処


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

すなわち、紀元前44年、皇紀617年(崇神天皇54)。

ここは、吉備国(きび・のくに:現在の岡山県と広島県東部)。

地図(吉備国)

天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)が引越を要請。

宮の名は、吉備名方浜宮(きびのなかたはま・のみや)。

御杖代(みつえしろ)の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)(以下、きぃ)は、この地を訪れ、候補地の解説をおこなうのであった。

従うのは、舎人(とねり)の紀麻呂良(き・の・まろら)(以下、マロロ)である。

きぃ「では、吉備国の神社を解説したいと思いまする。まずは、岡山市から参りましょう。」

マロロ「吉備津宮(きびつみや)が有る、北区(きたく)から参りまするか?」

地図(吉備津宮)

そのとき、大吉備津日子(おおきびつひこ)(以下、芹彦(せりひこ))と、高田姫(たかだひめ)(以下、たか)の夫妻が、颯爽(さっそう)と現れた。

系図(きぃ、芹彦、たか)

芹彦「その名も、伊勢神社(いせじんじゃ)じゃ! 祭神は『アマ』様に決まっておろう!」

たか「鎮座地(ちんざち)は、北区の番町(ばんちょう)にござりまする。豊受大神(とようけのおおかみ)も祀(まつ)られておりまする。」

地図(伊勢神社)
伊勢神社(鳥居と拝殿)

きぃ「次は、岡山市の南区(みなみく)ですね? こちらの社(やしろ)は・・・。」

するとそこに、若日子建吉備津日子(わかひこたけ・きびつひこ)(以下、タケ)と、タケの子、武彦(たけひこ)(以下、たっちゃん)が颯爽と現れた。

系図(タケ、たっちゃん)

タケ「南区の浜野(はまの)に鎮座する、内宮(ないくう)じゃ。」

たっちゃん「こちらの祭神は『アマ』様だけでなく、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)も祀られておりまするぞ。更には、倭姫命(やまとひめ・のみこと)も!」

地図(内宮)
内宮(鳥居と拝殿)

きぃ「倭姫? どのような神様なのですか? 聞いたことがありませぬ。」

芹彦「おい! 『たっちゃん』! それは、異国(とつくに)の言の葉で『フライング』と申すのじゃぞ! 『きぃ』ちゃんの姪(めい)などと、口が裂(さ)けても言ってはならぬ!」

たっちゃん「も・・・申し訳ありませぬ!」

タケ「言うておるぞ・・・。」

きぃ「と・・・とにかく、聞かなかったことにして、次に参りましょう。次は、倉敷市(くらしきし)ですね? こちらの候補地は、何という社なのですか?」

マロロ「穴門山神社(あなとやまじんじゃ)にござりまする。倉敷市の真備町妹(まびちょうせ)に鎮座しておりまする。不思議なのが、祭神にござりまする。『アマ』様ではないようでして・・・。」

たか「左様にござりまする。穴門武姫命(あなとのたけひめ・のみこと)にござりまする。」

地図(穴門山神社)
穴門山神社(入口と拝殿)

たっちゃん「ちなみに、祭神は、我(われ)の娘じゃ。登場は、まだ先なのじゃが・・・。それに、なにゆえ祀られているのか、詳しいことは、よく分からぬ。」

マロロ「高梁市(たかはしし)の川上町高山市(かわかみちょう・こうやまいち)にも、候補地がござりまするぞ。穴門山神社(あなとやまじんじゃ)にござる。同じ名前にござりまするな。」

地図(穴門山神社)
穴門山神社(鳥居と拝殿)

芹彦「こちらは、穴門武姫命だけでなく『アマ』様も祀られておるぞ! それに、食物の神、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)も祀られておる! そして、なぜか、十四代目も!」

吉備名方浜宮の候補地紹介は、まだまだ続くのであった。

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