JW465 彦坐王の子供たち
【崇神経綸編】エピソード40 彦坐王の子供たち
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。
崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)の元に、ある人物たちが参内(さんだい)していた。
すなわち「ミマキ」の弟、彦坐王(ひこいます・のきみ)(以下、イマス)。
その息子である、神大根王(かむのおおね・のきみ)(以下、ノーネ)。
袁邪本王(おざほ・のきみ)(以下、ザホー)。
ついでに、狭穂彦王(さほひこ・のきみ)の姿もある。
するとそこに、日嗣皇子(ひつぎのみこ)の妃、狭穂姫(さほひめ)(以下、さっちん)がやって来たのであった。
さっちん「父上! 狭穂彦兄上! 『ザホー』兄上! 『ノーネ』義兄上! お久しゅうござりまする。」
イマス「おお! 『さっちん』! 息災(そくさい)であったか?」
さっちん「はい。つつがなく、暮らしておりまする。」
ザホー「これで、妹とも、お別れなんですね。悲しくないと言ったら、嘘(うそ)になりますね。」
さっちん「えっ? それは、どういうことにござりまするか?」
ノーネ「『ザホー』の登場! 最後の登場!」
さっちん「えええぇぇぇ!」
イマス「許せ・・・『さっちん』・・・我(われ)も、これにて『くらんくあっぷ』じゃ。」
さっちん「そ・・・そんな・・・(´;ω;`)ウッ…。」
狭穂彦「仕方あるまい。本当は、父上に長生きしてもらいたかったが・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ミマキ「そうか・・・。『イマス』・・・。汝(なれ)もか・・・。では、親子水いらずで、解説を致せ。わしは、しばらく、座(ざ)を外(はず)そうぞ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
こうして「ミマキ」は、その場を去っていった。
ザホー「では、解説を始めましょうかね。厳密に言うと、私の子孫が、滋賀県に派遣されて、社(やしろ)を建てたんですよね。それが、軽野神社(かるのじんじゃ)なんです。」
ノーネ「子孫の一族、近淡海蚊野別(ちかつおうみ・の・かやのわけ)! 近淡海は、琵琶湖(びわこ)のことで、遠淡海(とおつおうみ)は、浜名湖(はまなこ)のこと!」
狭穂彦「して、祭神は?」
ザホー「祭神は、私です。父上も合祀(ごうし)されてますよ。ちなみに、中臣氏(なかとみ・し)の祖、天児屋根命(あめのこやね・のみこと)も祀られてます。なぜか分かります?」
イマス「分からぬからこそ、ロマンなのじゃ。して、鎮座地(ちんざち)は何処(いずこ)じゃ?」
ザホー「滋賀県愛荘町の(あいしょうちょう)の岩倉(いわくら)です。父上。」
さっちん「兄上の子孫が建てた社は、それだけにござりまするか?」
ザホー「いえいえ、他にも、佐波加刀神社(さわかとじんじゃ)が有りますよ。鎮座地は、滋賀県長浜市(ながはまし)の木之本町川合(きのもとちょう・かわい)ですよ。」
ノーネ「祭神は『ザホー』と父上! 狭穂彦! それから、大俣王(おおまた・のきみ)こと『おまた』も! なのに、我(われ)がいない!」
イマスと子供たちによる解説は続く。
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