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JW384 唸る首塚

【崇神改革編】エピソード11 唸る首塚


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

紀元前74年、皇紀587年(崇神天皇24)のある日・・・。

ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。

地図(磯城瑞籬宮)

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)の元に、ある人物たちが参内(さんだい)していた。

その人物とは、大吉備津日子(おおきびつひこ)(以下、芹彦(せりひこ))と、その娘で、ミマキの義理の母、包媛(かねひめ)(以下、カネ)である。

系図(芹彦とカネ)

ミマキ「大伯父上! 吉備(きび:現在の岡山県と広島県東部)より参られたのでござるか?」

芹彦「そのようなこと、どうでも良い! 温羅(うら)を討ち取って、十三年・・・。首塚は唸(うな)りっぱなしじゃ! 鎮(しず)めることは出来ぬのか?!」

カネ「大王(おおきみ)! 前回から数えても、七年経っているのですよ! 地元の者は、苦しんでいるのです。神々は、なにゆえ、吉備の民(おおみたから)を、お見捨てになるのです?!」

ミマキ「み・・・見捨ててなど、おりませぬぞ。神々も、良き策が見つからぬ有り様にて・・・。」

芹彦「不甲斐ない! 神々と話が出来るのは、汝(なれ)だけなのじゃぞ!」

カネ「ん? 父上? もしかして・・・。これは、作者の陰謀では?」

芹彦「どうした?! カネ?! 陰謀とは、なんぞや?!」

カネ「いるではありませんか! 伯母上が!」

ミマキ「た・・・たしかに、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)こと『モモ』伯母上がおりまするな・・・。なにゆえ、思い出さなかったのであろうか?」

こうして、モモは、讃岐(さぬき:現在の香川県)から、急遽、吉備に呼び出されたのであった。

系図(モモ)
地図(讃岐から吉備へ)

モモを迎えた者たちは、下記の通り。

ミマキ、芹彦、カネ。

芹彦の妻、高田姫(たかだひめ)(以下、たか)。

芹彦の家来衆、犬飼建(いぬかいたける)(以下、犬)。

留玉臣(とめたまおみ)(以下、トメ)。

楽楽森彦(ささもりひこ)(以下、サモリ)。

大稲船(おおいなふね)(以下、オーイナ)。

そして、遣霊彦(やりたまひこ)(以下、ジョン)とヨーコ。

二人の息子、ジュリアンとショーンである。

モモ「あんたたちねぇ、十三年も、私の存在を忘れるって、どういうこと?!」

カネ「伯母上・・・。申し訳ありません。きっと、作者の陰謀ではないかと・・・。」

モモ「カネ・・・。あなたは悪くないのよ。悪いのは、大王! あんたよ!」

ミマキ「さ・・・作者オリジナル設定で、わざわざ、吉備まで参ったのでござるぞ? そこまで申さずとも良いではありませぬか!」

ジュリアン「お・・・大王が、タジタジじゃ。」

オーイナ「ええもん見せてもろうたのう・・・。」

ショーン「わしは、猛烈に感動しとる!」

するとそこに、若日子建吉備津日子(わかひこたけ・きびつひこ)(以下、タケ)と、タケの子、武彦(たけひこ)(以下、たっちゃん)が乱入してきた。

系図(タケとたっちゃん)

タケ「此度(こたび)のこと、二つの伝承が入り乱れたことによるモノじゃ。」

たっちゃん「モモ伯母上が解決したバージョンと、芹彦伯父上が解決したバージョンが有るのでござる。」

二つのバージョンとは? 

次回につづく

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