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JW417 祀られた男

【東国鎮定編】エピソード8 祀られた男


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

崇神天皇の皇子(みこ)、豊城入彦(とよきいりひこ)(以下、トッティ)は東国へと旅立った。

付き従う者たちは、下記の通り。

トッティの息子、八綱田(やつなた)(以下、つなお)。

系図(トッティ、つなお)

そして、采女筑箪(うねめ・の・つくば)(以下、つっくん)である。

一行は、知知夫国(ちちぶ・のくに:現在の埼玉県秩父地方)に入り、国造(くにみやつこ)の知知夫彦(ちちぶひこ)(以下、ちぶ彦)と出会ったのであった。

地図(知知夫国)

ちぶ彦「さて、私は国造となりましたので、祖神を祀(まつ)りました。それが、秩父神社(ちちぶじんじゃ)です。祭神は、当然、思兼神(おもいかねのかみ)にございます。」

秩父神社(鳥居と拝殿)

トッティ「どこの国造(くにのみやつこ)も、考えることは同じなんだなぁ。」

ちぶ彦「しかし、祭神は、他にもおられますよ。鎌倉時代には、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が合祀(ごうし)されました。初めに現れた神ですね。」

つなお「それで全てか?」

ちぶ彦「いえいえ、西暦1953年(昭和28)に、秩父宮(ちちぶ・のみや)雍仁親王(やすひと・しんのう)が祀られました。そして、更なる衝撃が・・・。」

つっくん「どういうことだってばさ?」

ちぶ彦「十九代目、允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世に、私も祀られちゃったんですよね。」

つっくん「自分で建てた社(やしろ)に、自分が祀られるって、そんなのアリかよ?!」

ちぶ彦「有りみたいですねぇ。私の子孫、知知夫狭手男(ちちぶ・の・さてお)が合祀してしまったんですよ。祀りたい時に祀らないと、身体に毒ですからねぇ。」

トッティ「初めて聞いたっぺよ!」

つっくん「ところでさぁ、何処(どこ)に鎮座(ちんざ)したんだってばさ?」

ちぶ彦「良い質問ですね。鎮座地は、二千年後の埼玉県秩父市(ちちぶし)の番場町(ばんばまち)です。」

地図(秩父神社)

トッティ「そ・・・そうか。こ・・・これで、解説は終わりか?」

ちぶ彦「はい。私の解説は以上です。では、みなさん、毛野国(けぬ・のくに:現在の群馬県と栃木県)は、ここから北の地です。気を付けて、行ってらっしゃいませ。」

トッティ「お・・・おう! 言われなくても、気を付けて行くっぺよ!」

こうして、一行は、ついに毛野国に、足を踏み入れたのであった。

トッティ「長かった・・・。ホントに長かったっぺ。」

つなお「父上? して、我(われ)らは、何を成したのですか?」

トッティ「よくぞ聞いてくれたと、褒(ほ)めてやるっぺよ。まず、我々は、二千年後の群馬県高崎市(たかさきし)に入ったっぺ。」

地図(群馬県高崎市へ)

つっくん「ここに、なんか有るのか?」

トッティ「その通り! ここに、倉賀野神社(くらがのじんじゃ)が有るんだっぺよ。」

つなお「父上? して、何処(いずこ)の神が祀(まつ)られているのですか?」

トッティ「大国魂神(おおくにたまのかみ)が祀られてるっぺよ。」

次回、倉賀野神社の解説がおこなわれる。

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