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JW473 垂仁天皇即位

【垂仁天皇編】エピソード2 垂仁天皇即位


紀元前29年、皇紀632年(垂仁天皇元)1月2日、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)が大王(おおきみ)に即位(そくい)した。

垂仁天皇(すいにんてんのう)の誕生である。

そこに、妃の狭穂姫(さほひめ)(以下、さっちん)がやって来た。

系図(さっちん)

さっちん「大王! 御即位、おめでとうござりまする。」

イク「うん。ついに大王になっちゃった。もう、あとには引けないね。」

さっちん「どういうことです?」

イク「ううん。なんでもないよ。それより、父上を陵(みささぎ)に葬(ほうむ)らないとね。」

さっちん「左様ですね。して、陵の名は、何と言うのですか?」

イク「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえ・のみささぎ)だよ。長いね。」

さっちん「場所は、奈良県天理市(てんりし)の柳本町(やなぎもとちょう)に有る、行燈山古墳(あんどんやま・こふん)と言われておりますね。」

地図(崇神天皇陵:行燈山古墳)
崇神天皇陵:行燈山古墳(全景)
崇神天皇陵(拝所)

イク「そうなんだよ。ただ・・・おかしな点が有るんだよね。」

さっちん「おかしな点とは?」

イク「実は『日本書紀(にほんしょき)』に書かれた日付が、二通り有るんだ。」

さっちん「えっ? 二通り?」

イク「父上の記録の方では、8月11日に葬ったと書かれてるんだけど、僕の記録の方では、10月11日に葬ったと記載されているんだよね。どっちが正解なんだろう?」

さっちん「ま・・・まあ、私たちの時代は、伝承の時代ですから・・・。」

イク「そういうモノなのかな?」

とにもかくにも、崇神天皇(すじんてんのう)は、陵に葬られたのであった。

そして、同年11月2日。

「イク」は、母親の御間城姫(みまきひめ)(以下、みぃ)を皇太后(おおき・おおきさき)と尊んだのであった。

系図(みぃ)

みぃ「その通りです。そして、これにて、私も『くらんくあっぷ』となります。」

イク「えっ? そうなっちゃうの?」

するとそこに、崇神天皇の妃、尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)(以下、オー)と、その兄で、大臣(おおおみ)である、尾張建諸隅(おわり・の・たけもろすみ)(以下、ケモロー)がやって来た。

系図(尾張氏:オー、ケモロー)

オー「皇太后・・・。私も、これにて『くらんくあっぷ』だがね。」

ケモロー「ついに、お別れか・・・。淋しくなるがや・・・(´;ω;`)ウッ…。」

イク「そ・・・そんな、一気に『くらんくあっぷ』しなくたって・・・。」

みぃ「でも、これ以上、活躍する場面が無いのですよ。なので、先代の元に逝(い)こうと・・・。」

オー「私も同じだがね。息子たちも立派に成長したし、そろそろ娘たちの元に逝きたいんだがね。」

イク「そ・・・そうなっちゃうんだね・・・(´;ω;`)ウッ…。」

ケモロー「大王! 安心してちょうだゃぁ(ください)。我(われ)は、まだまだ活躍するでよ。」

イク「うん。これからもよろしくね。」

こうして、崇神天皇の大后(おおきさき)と妃は、引退となったのであった。 

つづく

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