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JW209 趣向を変えて

【孝元天皇編】エピソード12 趣向を変えて


第八代天皇、孝元天皇(こうげんてんのう)の御世。

登場回数が少ないことに、嘆きを覚える男たちがいた。

すなわち、下記の四人である。

葛城垂見(かずらき・の・たるみ)。

大倭飯手(やまと・の・いいて)(以下、いっくん)。

大伴角日(おおとも・の・つぬひ)(以下、ツン)。

久米五十真手(くめ・の・いまて)(以下、マッテ)。

系図(四氏族)

彼らは、ある人物の屋敷に押しかけていたのであった。

垂見「そういうわけで、今回は、趣向(しゅこう)を変えて、屋敷に来たのでござるよ。」

彼らの面前にいる人物は、和邇日子押人(わにのひこおしひと)(以下、ひこお)である。

系図(ひこお)

ひこお「しゅ・・・趣向? 一体、何を言っておるのじゃ?」

いっくん「毎回、毎回、物部氏(ものべ・し)と磯城氏(しき・し)ばっかり登場して、うちらは全く登場しないでしょ? だから、今回は、この五人で解説しようと思ったんだよね。」

ひこお「せ・・・拙者(せっしゃ)も入っておるのか?」

ツン「じゃっどん、ひこお様も、登場が少ないやろ? やかい(だから)、誘おうと思ったんやじ!」

ひこお「べ・・・別に、誘わずとも・・・。」

ツン「そんなこと言わずに、加わってほしいんやじ!」

マッテ「そうっすよ! 俺たちの想いを受け止めてくれるのは、ひこお様だけっす!」

いっくん「うちら、エピソード199以降、全く出番無しなんだよ? どう思う?」

垂見「我(われ)など、エピソード178以来の登場にござるよ・・・(´;ω;`)ウッ…。」

ひこお「わ・・・分かった。分かった。では、解説しようではないか・・・。」

いっくん「そう来なくっちゃ! じゃあ、大王(おおきみ)の御世に創建された神社を紹介するよ! その名も、乳母屋神社(ちもやじんじゃ)だよ!」

乳母屋神社(鳥居)
乳母屋神社(拝殿。後方は本殿)

ひこお「して、どこに鎮座(ちんざ)しておるのじゃ?」

垂見「穴戸国(あなと・のくに)にござるよ。」

マッテ「それって、二千年後の地名だと、どこになるんすか?」

ツン「聞いて驚けっ! 山口県下関市(しものせきし)の吉見下(よしみしも)やじ!」

垂見「ちなみに、二千年後は、龍王神社(りゅうおうじんじゃ)の摂社(せっしゃ)になっているのでござるよ。」

地図(乳母屋神社〔竜王神社〕・山口県下関市吉見下)

マッテ「摂社? どういうことっすか?」

垂見「西暦1917年、皇紀2577年(大正6)に、大綿津見神社(おおわたつみじんじゃ)が合祀され、龍王神社に改称したんでござるよ。」

ツン「海の神である、大綿津見神(おおわたつみのかみ)と一緒になったんかぁ。そいで、乳母屋神社の方には、どういった神様が祀(まつ)られちょるんや?」

いっくん「祀られている神様は、玉依姫(たまよりひめ)と天児屋根命(あめのこやね・のみこと)だよ。」

ツン「天児屋根命・・・。どっかで聞いたこと有るっちゃが。」

マッテ「中臣梨迹臣(なかとみ・の・なしとみ)こと『トミー』の御先祖様っすよ。」

ツン「ああ! そんげなこつ、言っちょったなぁ。」

ひこお「よくよく考えると、ここに『トミー』がおらぬではないか・・・。彼奴(あやつ)は呼ばなかったのか?」

いっくん「誘ったのは、誘ったんだけど・・・。」

垂見「大王に呼ばれたとかで、今回は不参加になったのでござるよ。」

ひこお「そういうことならば、仕方ないのう。」

こうして、神社創建の解説を無事に終え、四人は「ひこお」の屋敷を後にしたのであった。

その帰路のこと・・・。

ツン「いやぁ。今日は良かったじ!」

いっくん「そうだね。久々の登場で、スッキリしたって感じかな?」

垂見「我(われ)も嬉しいでござるよ。」

マッテ「でも『トミー』は、どういったことで呼ばれたんすかねぇ?」

そこに、当該の人物「トミー」が駆け込んで来た。

系図(五氏族〔中臣氏追加〕)

トミー「一大事にあらしゃいます! 一大事が起きたのであらしゃいます!」

ツン「おお! 『トミー』! 大王は、何と言っちょったんや?」

トミー「神社を建てろと言われたのであらしゃいます。」

いっくん「えっ? なんて神社?」

トミー「能登生国玉比古神社(のと・いくくに・たまひこじんじゃ)にあらしゃいます!」

垂見「長い・・・でござるよ。」

トミー「安心してください。気多本宮(けたほんぐう)という別名もあらしゃいますよって。」

能登生国玉比古神社〔気多本宮〕(鳥居)
能登生国玉比古神社〔気多本宮〕(神門。後方は拝殿)

マッテ「それで、どこに鎮座するんすか?」

トミー「高志国(こし・のくに)にあらしゃいます。千年後の能登国(のと・のくに)にあらしゃいますなぁ。」

いっくん「能登国ってことは、二千年後の石川県だね?」

トミー「その通りにあらしゃいます。石川県七尾市(ななおし)の所口町(ところぐちまち)に鎮座致しますぅ。」

地図(能登生国玉比古神社〔気多本宮〕・石川県七尾市所口町)

ツン「そいで、祀られる神様は?」

トミー「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)と素戔嗚命(すさのお・のみこと)、それから、櫛名田比売(くしなだひめ)にあらしゃいますなぁ。」

マッテ「大国主様が祀られると、義理の両親が付いてくる仕組みなんすかね?」

トミー「その辺は、よう分かりませんけど、『気多神社縁起(けたじんじゃえんぎ)』によると、大国主様は、三百余りの神様を引き連れて、出雲(いずも)からやって来たそうにあらしゃいます。そして、大蛇などを退治して、海路を開いたそうにあらしゃいますなぁ。」

ツン「高志国などの北津海(きたつうみ:現在の日本海)に面した地は、ヤマトと出雲の勢力が、入り乱れるところだったのかもしれん。大王が建てたというのも、後付けかもしれんな。」

垂見「出雲とヤマトの主導権争いが有ったと・・・考えることも出来るのでござるよ。」

こうして、なにはともあれ、石川県に、気多本宮が創建されたのであった。 

つづく

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