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JW255 田原本町探訪

【疫病混乱編】エピソード7 田原本町探訪


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

紀元前92年、皇紀569年(崇神天皇6)9月某日。

ここは磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。

地図(磯城瑞籬宮)

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)のお召しにより、一人の人物が参内(さんだい)していた。

ミマキの弟、彦坐王(ひこいます・のきみ)(以下、イマス)である。

系図(彦坐王)

イマス「大王(おおきみ)・・・。一体、何事にござりましょうか?」

ミマキ「うむ。わしに代わって、天照大神を祀りし、笠縫邑(かさぬい・のむら)の解説をしてもらいたいのじゃ。」

イマス「なっ! なにゆえ?」

ミマキ「渟名城入姫(ぬなきいりひめ)こと『ナッキー』が、あのような形で引退となり、他にも、作者の陰謀によって、兄弟や娘を疫(やく)で失うた。心の傷が癒えるまで、汝(いまし)に代行を御願いしたいと思うておるのじゃ。」

イマス「きょ・・・兄弟を失うたは、我(われ)も同じにござりまするぞ。」

ミマキ「そうではあるが、適任者が見つからなかったのじゃ。汝(いまし)の伯父、和珥彦国姥津(わに・の・ひこくにははつ)こと『ニーハン』殿と共に、言って参れ。」

系図(和珥彦国姥津)

イマス「か・・・かしこまりもうした。」

ミマキ「心配致すな。我が娘、豊鍬入姫(とよすきいりひめ)こと『きぃ』も付いて参る。」

系図(豊鍬入姫)

こうして、イマスは、伯父のニーハンと、姪の「きぃ」と共に、解説の旅に赴いたのであった。

イマス「して、ここはどこなのじゃ?」

きぃ「奈良県田原本町秦庄(たわらもとちょう・はたのしょう)に鎮座する、春日神社(かすがじんじゃ)にございます。」

地図(春日神社)
春日神社(鳥居)

ニーハン「春日と申せば、武甕雷神(たけみかづち・のかみ)ではありませぬか?」

きぃ「その通りにございます。本来の社名は、笠縫神社(かさぬいじんじゃ)なのですが、春日神社と共に祀(まつ)られているので、この名称で呼ばれているというわけです。」

ニーハン「なるほど・・・。隣の朱色に染められた祠(ほこら)が、春日神社にござりまするな?」

春日神社と笠縫神社(祠)

きぃ「左様にございます。」

イマス「天照大神と武甕雷神が、共に祀られておるのか・・・。」

ニーハン「こ・・・これで、終わりにござりまするか?」

きぃ「いえ、まだまだ、ございますよ。次に紹介するのは、多坐弥理都比古神社(おおにいますみしりつひこ・じんじゃ)にございます。多神社(おおじんじゃ)とも呼ばれておりまする。」

多神社(鳥居)
多神社(拝殿)

イマス「多神社と申せば、エピソード83で紹介されておるな。」

ニーハン「初代、神武天皇(じんむてんのう)の皇子(みこ)、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)こと『カンヤ』様が祀られた神社であろう?」

きぃ「その通りにございます。なぜか、そこも笠縫邑伝承地とされているのです。ちなみに、田原本町の多(おお)に鎮座(ちんざ)しておりまする。」

地図(多神社)

イマス「遠い親戚のカンヤ様を祀りし神社が、笠縫邑伝承地になるとはな・・・。それゆえ、近隣の駅名が、笠縫駅(かさぬいえき)となっておるのか?」

きぃ「左様にございますね。復古地名(ふっこちめい)というモノにございます。」

ニーハン「復古地名?」

きぃ「明治時代以降に、伝承を基に地名が名付けられたということです。」

イマス「なるほど・・・。ここが、伝承地だと宣伝するためか?」

きぃ「さすがは、叔父上! その通りにございます!」

地図(笠縫駅)

ニーハン「ところで『きぃ』様? これで、終わりにござりまするか?」

きぃ「まだ有りますよ。次に紹介するのは、多神社から東に位置する、姫皇子命神社(ひめみこのみことじんじゃ)にございます。」

地図(姫皇子命神社)

ニーハン「ま・・・まだ有るのか・・・。」

イマス「あにう・・・大王が、我(われ)に命じたわけが、分かったような気がする・・・。」

きぃ「こちらの社(やしろ)は、多神社の摂社(せっしゃ)でして、多神社と同じく、田原本町多に鎮座しておりまする。」

姫皇子命神社(鳥居)
姫皇子命神社(拝殿)

イマス「して、祭神は?」

ニーハン「何を申しておるのじゃ? 天照大神に決まっておろう?」

イマス「されど、天照大神ならば、姫皇子などと名乗るはずがありますまい?」

ニーハン「あっ!?」

きぃ「さすがは、叔父上! カンヤ様の姫皇子が祀られておりまする。それゆえ、多地区の氏神様になっているようですね。」

イマス「やはり、そういうことか・・・。御初代様のお孫さんだったとは・・・。」

きぃ「ただ、天照大神の若御魂(わかみたま)とも言われておりまする。」

ニーハン「やはり、天照大神の線も有ったではないか!」

きぃ「まあ、諸説有りということですので・・・。」

ニーハン「して『きぃ』様、今度こそ、これが最後にござりまするな?」

きぃ「そ・・・それが・・・。」

イマス「ま・・・まだ、有ると申すか?」

きぃ「次に、私たちが向かうのは、桜井市(さくらいし)にございます!」

イマス「さ・・・桜井市は、前回、あにう・・・大王が廻ったではないか!?」

ニーハン「左様! 桜井市内探訪つあ・・・とか、何とか・・・。」

きぃ「ぜ・・・前回は、宮(みや)に戻る途中の神社を紹介したのです。今回は、その道筋から外れている神社で・・・。」

こうして、一行は、桜井市に戻る形となったのであった。

イマス「して、ここが、最後の桜井市の候補地か?」

きぃ「左様にございます。その名も、長谷山口坐神社(はせやまぐちにますじんじゃ)にございます。祭神は、大山祇神(おおやまづみのかみ)にございます。長谷(はせ)の山口に鎮座する、山口神(やまぐちのかみ)ともされておりまする。」

長谷山口坐神社(鳥居)
長谷山口坐神社(拝殿)

ニーハン「こちらは、天照大神と関わりが無いような・・・。」

イマス「左様にございますな。」

次回、長谷山口坐神社の解説がおこなわれる。

つづく

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