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kikuzirou
2021年12月30日 11:43
【綏靖天皇編】エピソード9 二代目即位手研耳命(たぎしみみ・のみこと)暗殺の翌年、すなわち紀元前581年、皇紀80年(綏靖天皇元)1月8日、神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が、大王(おおきみ)に即位(そくい)した。そこへ、弟磯城(おとしき)こと黒速(くろはや)(以下、クロ)と春日大日諸(かすが・の・おおひもろ)(以下、モロ)がやって来た。クロ「大王! ご即
2022年1月3日 04:28
【綏靖天皇編】エピソード10 大后がいっぱい紀元前580年、皇紀81年(綏靖天皇2)1月、大王(おおきみ)となった綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)の大后(おおきさき)が立てられた。そして、大后候補は三名もいるのであった。最初に名乗りを上げたのは、ヌンちゃんの母親である、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)(以下、タタラ)の
2022年1月4日 17:00
【綏靖天皇編】エピソード11 神八井耳の神社第二代大王(おおきみ)となった、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)の大后(おおきさき)が決定された。そして、その二年後、すなわち、紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、前回の予告通り、兄の神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死を迎えようとしていた。カンヤ「よ
2022年1月6日 09:25
【綏靖天皇編】エピソード12 言向け和し紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死を迎えようとしていた。それを聞き、弟の綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が訪れる。そのとき、大倭武速持(やまと・の・たけはやもち)(以下、モチ)と磯城太真稚彦(しき・の・ふとまわかひこ)
2022年1月24日 00:05
【綏靖天皇編】エピソード13 そして父になる紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死去した。皇族や大臣の死を薨去(こうきょ)ともいう。ここで、三人の家来が解説を始めた。一人目は、椎根津彦(しいねつひこ)の孫で、志麻津見(しまつみ)の息子、大倭武速持(やまと・の・たけはやもち)(以下、モチ)。次に、弟磯城(おとしき)の
2022年1月31日 10:50
【綏靖天皇編】エピソード15 日嗣皇子の妃前回は速瓶玉命(はやみかたま・のみこと)ことパヤオの神社を紹介させてもらった。そして、あれから11年の歳月が流れた。すなわち、紀元前557年、皇紀104年(綏靖天皇25)1月7日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が皇太子を定めたのである。ヌンちゃん「せやで。ついに日嗣
2022年2月1日 09:50
【綏靖天皇編】エピソード16 そして祖父になる紀元前557年、皇紀104年(綏靖天皇25)1月7日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が皇太子を定めた。皇太子こと日嗣皇子(ひつぎのみこ)となったのは、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)(以下、タマテ)であった。そして、皇太子妃について、家臣たちと語らう
2022年2月2日 10:36
【綏靖天皇編】エピソード17 そして神になる紀元前549年、皇紀112年(綏靖天皇33)5月10日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)は、ついに、その日を迎えようとしていた。そこに三人の大后(おおきさき)がやって来た。すなわち、五十鈴依媛(いすずよりひめ)(以下、イスズ)と川派媛(かわまたびめ)(以下、カワ)、糸織
2022年2月3日 14:35
【安寧天皇編】エピソード1 三代目即位紀元前549年、皇紀112年(綏靖天皇33)5月10日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が崩御(ほうぎょ)した。ちなみに、崩御とは天皇が亡くなることである。そして、同年の7月3日、日嗣皇子(ひつぎのみこ)こと皇太子が、新たな大王(おおきみ)として即位(そくい)した。磯城津
2022年2月4日 12:56
【安寧天皇編】エピソード2 父の古墳と遷宮紀元前548年、皇紀113年(安寧天皇元)10月11日、先代の綏靖天皇(すいぜいてんのう)(以下、ヌンちゃん)の陵(みささぎ)が完成した。この地に、ヌンちゃんは葬られたのである。ここで、新たに大王(おおきみ)となった、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)が、ツッコミを入れてきた。タ
2022年2月5日 13:17
【安寧天皇編】エピソード3 疑惑の影紀元前546年、皇紀115年(安寧天皇3)1月5日、立后(りっこう)がおこなわれた。立后とは、大后(おおきさき)を定めることである。ここで、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)が語り始めた。タマテ「私の妃(きさき)については、エピソード87と88で紹介しているので、割愛させていただきます
2022年2月6日 00:33
【安寧天皇編】エピソード4 三兄弟の妄想紀元前538年、皇紀123年(安寧天皇11)1月1日、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が皇太子に就任。父の磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)も、励ましの言葉を送る。そんな矢先、長男の息石耳命(おきそみみ・のみこと)(以下、トコッチ)と三男の磯城津彦(
2022年2月6日 09:42
【安寧天皇編】エピソード5 出雲より愛を込めて紀元前536年、皇紀125年(安寧天皇13)のある日、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)は、何を思ったのか、勅命(ちょくめい)を下した。皇太子決定から二年後のことである。タマテ「勅命とは、天皇の命令という意味です。」ここで、大伴稚日臣(おおとも・の・わかひおみ)(以下、ワッキ
2022年2月8日 08:14
【安寧天皇編】エピソード6 海の中の祭壇紀元前536年、皇紀125年(安寧天皇13)のある日、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)は、何を思ったのか、勅命(ちょくめい)を下した。内容は、出雲(いずも)の日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)を遷座(せんざ)せよ・・・というものである。出雲(いずも)の君主、櫛瓺前(くしみかさき)(以下