マガジンのカバー画像

ジャパンウォーズ(JW)第一部 神武東征〜欠史八代

261
ジャパンのウォーズについて、改めて書いて参ります。いろいろ新しい情報が入ったので、書き直そうと思ったわけです。写真も載せて参ります。
運営しているクリエイター

#欠史八代

JW81 二代目即位

JW81 二代目即位

【綏靖天皇編】エピソード9 二代目即位

手研耳命(たぎしみみ・のみこと)暗殺の翌年、すなわち紀元前581年、皇紀80年(綏靖天皇元)1月8日、神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が、大王(おおきみ)に即位(そくい)した。

そこへ、弟磯城(おとしき)こと黒速(くろはや)(以下、クロ)と春日大日諸(かすが・の・おおひもろ)(以下、モロ)がやって来た。

クロ「大王! ご即

もっとみる
JW82 大后がいっぱい

JW82 大后がいっぱい

【綏靖天皇編】エピソード10 大后がいっぱい

紀元前580年、皇紀81年(綏靖天皇2)1月、大王(おおきみ)となった綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)の大后(おおきさき)が立てられた。

そして、大后候補は三名もいるのであった。

最初に名乗りを上げたのは、ヌンちゃんの母親である、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)(以下、タタラ)の

もっとみる
JW83 神八井耳の神社

JW83 神八井耳の神社

【綏靖天皇編】エピソード11 神八井耳の神社

第二代大王(おおきみ)となった、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)の大后(おおきさき)が決定された。

そして、その二年後、すなわち、紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、前回の予告通り、兄の神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死を迎えようとしていた。

カンヤ「よ

もっとみる
JW84 言向け和し

JW84 言向け和し

【綏靖天皇編】エピソード12 言向け和し

紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死を迎えようとしていた。

それを聞き、弟の綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が訪れる。

そのとき、大倭武速持(やまと・の・たけはやもち)(以下、モチ)と磯城太真稚彦(しき・の・ふとまわかひこ)

もっとみる
JW85 そして父になる

JW85 そして父になる

【綏靖天皇編】エピソード13 そして父になる

紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死去した。

皇族や大臣の死を薨去(こうきょ)ともいう。

ここで、三人の家来が解説を始めた。

一人目は、椎根津彦(しいねつひこ)の孫で、志麻津見(しまつみ)の息子、大倭武速持(やまと・の・たけはやもち)(以下、モチ)。

次に、弟磯城(おとしき)の

もっとみる
JW87 日嗣皇子の妃

JW87 日嗣皇子の妃

【綏靖天皇編】エピソード15 日嗣皇子の妃

前回は速瓶玉命(はやみかたま・のみこと)ことパヤオの神社を紹介させてもらった。

そして、あれから11年の歳月が流れた。

すなわち、紀元前557年、皇紀104年(綏靖天皇25)1月7日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が皇太子を定めたのである。

ヌンちゃん「せやで。ついに日嗣

もっとみる
JW88 そして祖父になる

JW88 そして祖父になる

【綏靖天皇編】エピソード16 そして祖父になる

紀元前557年、皇紀104年(綏靖天皇25)1月7日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が皇太子を定めた。

皇太子こと日嗣皇子(ひつぎのみこ)となったのは、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)(以下、タマテ)であった。

そして、皇太子妃について、家臣たちと語らう

もっとみる
JW89 そして神になる

JW89 そして神になる

【綏靖天皇編】エピソード17 そして神になる

紀元前549年、皇紀112年(綏靖天皇33)5月10日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)は、ついに、その日を迎えようとしていた。

そこに三人の大后(おおきさき)がやって来た。

すなわち、五十鈴依媛(いすずよりひめ)(以下、イスズ)と川派媛(かわまたびめ)(以下、カワ)、糸織

もっとみる
JW90 三代目即位

JW90 三代目即位

【安寧天皇編】エピソード1 三代目即位

紀元前549年、皇紀112年(綏靖天皇33)5月10日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が崩御(ほうぎょ)した。

ちなみに、崩御とは天皇が亡くなることである。

そして、同年の7月3日、日嗣皇子(ひつぎのみこ)こと皇太子が、新たな大王(おおきみ)として即位(そくい)した。

磯城津

もっとみる
JW91 父の古墳と遷宮

JW91 父の古墳と遷宮

【安寧天皇編】エピソード2 父の古墳と遷宮

紀元前548年、皇紀113年(安寧天皇元)10月11日、先代の綏靖天皇(すいぜいてんのう)(以下、ヌンちゃん)の陵(みささぎ)が完成した。

この地に、ヌンちゃんは葬られたのである。

ここで、新たに大王(おおきみ)となった、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)が、ツッコミを入れてきた。

もっとみる
JW92 疑惑の影

JW92 疑惑の影

【安寧天皇編】エピソード3 疑惑の影

紀元前546年、皇紀115年(安寧天皇3)1月5日、立后(りっこう)がおこなわれた。

立后とは、大后(おおきさき)を定めることである。

ここで、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)が語り始めた。

タマテ「私の妃(きさき)については、エピソード87と88で紹介しているので、割愛させていただきます

もっとみる
JW93 三兄弟の妄想

JW93 三兄弟の妄想

【安寧天皇編】エピソード4 三兄弟の妄想

紀元前538年、皇紀123年(安寧天皇11)1月1日、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が皇太子に就任。

父の磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)も、励ましの言葉を送る。

そんな矢先、長男の息石耳命(おきそみみ・のみこと)(以下、トコッチ)と三男の磯城津彦(

もっとみる
JW94 出雲より愛を込めて

JW94 出雲より愛を込めて

【安寧天皇編】エピソード5 出雲より愛を込めて

紀元前536年、皇紀125年(安寧天皇13)のある日、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)は、何を思ったのか、勅命(ちょくめい)を下した。

皇太子決定から二年後のことである。

タマテ「勅命とは、天皇の命令という意味です。」

ここで、大伴稚日臣(おおとも・の・わかひおみ)(以下、ワッキ

もっとみる
JW95 海の中の祭壇

JW95 海の中の祭壇

【安寧天皇編】エピソード6 海の中の祭壇

紀元前536年、皇紀125年(安寧天皇13)のある日、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)は、何を思ったのか、勅命(ちょくめい)を下した。

内容は、出雲(いずも)の日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)を遷座(せんざ)せよ・・・というものである。

出雲(いずも)の君主、櫛瓺前(くしみかさき)(以下

もっとみる