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食事

幼い頃、硬い肉がどうにも飲み込めず口から出してしまっていた。噛み切れずに残った味のしない肉塊が嫌いだった。

なにをするにもゆっくりで、どこかマイペースなところがあった。容量がいい方ではなかったし、それは今でも変わらない。
親が離婚し転校するまでは、誰の言葉にも鈍感だった。環境が変わっても変わらない、そんなものはひとつもなかった。わたしの心も変わってしまった。投げ付けられたのは知らない言葉ではなかった、その言葉が辛かったわけでもなかった。
突き刺さる視線にたじろいでしまったが故の結末だった。初日の自己紹介でわたしの中学卒業までの6年間は決まっていたのだと高校受験を終えた頃に思い知ることになる。

未成熟だった精神は研ぎ澄まされ、くだらない茶番にも、上っ面だけの友情にも反吐が出そうだった。ここに生きる人間はどうしてこんなにも汚いのかと不思議でならなかったし、生まれ育った町との差に愕然とした。
貶め傷つける言葉が飛び交う中で息をするのも嫌で仕方がなかった。
わたしの中に渦巻く感情も同様に醜く汚いものに変貌していった。普通になりたい、それだけを願って毎日を過ごした。

放課後の教室で明かりもつけずに過ごせば先生に心配され、雨の降る屋上を撮りに行けば他学年に笑われ、好奇の目でみられるのが日常のようになっていた。
理解されない理由があるとするならば、みえていた世界も景色も違ったからだと今なら受け止められる。あの頃は上手く飲み込むことができずに、溜め込んでは薬の副作用で吐いてリストカットに逃げていた。

御守りのように身につけていた魔除のネックレスを没収された夜は不安で眠れなかった。
痛みを感じないと生きていると思えずにひたすら自分を傷つけた。死にたかったわけじゃない、痛みで生きることを実感していたのだ。
赤い流血と開いた傷口が、まだ大丈夫、生きられる、そう言ってくれているような気さえしていた。


人の本質は変わることなく生き続けている。それを知ったとき絶望するのも、馬鹿らしいとすら思った。
死を迎えるそのときまでわたしはこの世の在り方を否定し続ける。

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