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お父さんが子どもに教えられる全部のこと。

DNAの力はすごい。
 
昨日、父と一緒に2人で釣りに行った。北海道の海で魚を釣りに行った。場所は濃昼と書いて「ごきびる」と読む。北海道の濃昼漁港である。釣り人は私たち以外に5組くらいだった。

 
前日に父と電話をし、

「早朝4時から出発するか?」
「いやそれは朝早すぎるな、起きれねぇな」
「8時とかでいいだろう」

と勝手に父が決めた結果、朝8時に父は私を車で迎えに来てくれた。同じ札幌市内に住んでいるから家は近い。
 

大人になってから「父と私の2人でどこかに行く」という経験はなかったから、私は31歳になって初めて父と2人きりで会話をすることになった。父を釣りに誘ったのはそういう会話をするのが目的であるから、目的は果たすことができた。

 
釣りの最中どんな話をしたか。
 
・私の小さなころの話
・現在住んでいる家の話
・戸建てか賃貸かの論争
・一族のお墓の話
・先祖の話
・仕事の話
・私の手術の話
・これからの介護などの話
 
うん、話したかったことを話せたし、聞きたかったことも聞けた。で、父の話を聞いていて思ったことがある。
 
 
 


「父さん、話うまいな(笑)」

 

 
 

エピソードトークがすこぶるうまい。
論理立てて、聴き手に前提知識を提示して話を進めるのである。エピソードトークに登場する人物の描写も詳細で、オノマトペまで駆使しながら話すもんで、聴き手の私の脳内に話がどんどん入ってくる。いや、たぶん昔からそうだったと思うんだけど、大人になってから気づくこともある。

 
父の車が壊れた時のエピソードがおもしろくて、
 
「会社にアベちゃんっていうなんでも直す整備士がいてな、50代で真っ黒なおっさんで。まあ俺もおっさんだけど」

「それでアベちゃんにピポパポピって電話してよ」

「『はい、もしもし』ってアベちゃん言うんだわ」

「『いやぁアベちゃん、車が大破しちゃってさ、イケる?』って聞くだろ」

「そしたらアベちゃんがこう言うんだよ」

「えぇ、それでも直せますよ」

「アベちゃぁあん!!!ってな(笑)」
 
父さんの話し方は、私にそっくりだった。
多分だけど、私の話し方もこんな感じだと思う。いや、私の話し方が父に似ているのか。DNAってすごいな、である。
 
 
 
 
魚を釣りに行ったけれど、例えばカレイやアジやイワシだとかが釣れることはなった。そもそも狙っていない。釣れたのは小さな魚たちばかり。たまたま小さなフグが釣れて一瞬テンションは上がった。すぐにリリースである。フグが釣れた時はさすがにテンションが上がったけど、釣れても釣れなくてもどうでもよかった。父と2人で話ができれば、なんでもよかった。
 
 
 


「何を釣るかは問題ではないからな」

 
 


 
釣竿を海に垂らしながら、父がそう言った時、私と同じ気持ちでいるな、親子だなと感じた。DNAの力である。
 

「そうそう、何を釣るかは問題ではないよ」
 

その後に続く台詞を2人とも言わなかった。
 
釣竿を投げて、垂らして、リールをくるくる巻く。釣れない。たまに釣れる。投げる、垂らす、巻く、待つ、話す、釣れない。たまに釣れる。
 
 
 
 
小さな頃の父の印象を思い返してみると、父はなんでも直すし、なんでも自分で作っていた。工作が得意なタイプだ。
 
 
「創意工夫と諦めないことが大事だから」
 
 
よくそう言ってた。
洗濯機も冷蔵庫も自転車も、我が家にあった物は壊れたら全て父が直してくれた。先日も実家の乾燥機がぶっ壊れたらしい。劣化して。
 
「全部が壊れてる訳じゃないんだよ。
 どこが壊れてるのかを探すんだよ。
 病気の人体と一緒だから」
 
大したことを言ってるわけじゃないけど、それを聞いて、ある種の哲学を感じる。
 
 
 
父はなんでも直すし、
なんでも自分で作っていた。
 
昔住んでいた家に、木で出来た車庫があった。それは父が3か月かけて作った。土台から耐震構造や北海道の雪の重さにも耐えられるように計算して設計していた。ダイニングのテーブルで設計図を書いて。兄弟みんなでその様子を見ていた。私たちが小さな頃、その車庫に「セグロセキレイ」という白と黒の小鳥がそれはそれは小さな巣を作った。
 
「ほら見てみろ、車庫に鳥が来てるぞ。枝をくわえてるだろ。あれは巣を作ってるぞ。卵が見れるかもな」
 
兄弟みんなで父と一緒に観察した。卵は本当にあった。それから毎シーズン、セグロセキレイは我が家の車庫に巣を作った。
 
 
 
 

私は4人兄弟の長男だ。子育てはきっと大変だった。父のこんなエピソードがある。

北海道の豪雪地帯に住んでいたから、たとえ雪かきをしても父が帰ってくる頃にはまた雪が積もる。夜、仕事から帰ってきた父は車を入れるために雪かきをしていたらしい。そこへ配置薬かなにかの営業マンがやってきてこう言った。
 
「今月の営業成績が厳しく、なんとかご自宅に薬を置かせていただけませんか。我が家には小さな子どもが2人いるんです」
 
雪の中、営業マンは土下座までして懇願してきたらしい。父は短気なところがあるから雪かきをしながらこう言ったんだとか。
 


「うるせー!うちは子どもが4人だ!
 頭をあげてください!!」

 
 
 
 

 
思えば、父は私たち家族のためだけに生きてきた。

父が小さな頃は、父の父=私のおじいちゃん、はすでにガンで他界しており、父の母=私のおばあちゃん、一人に育てられたらしい。ちなみに父も私と同じ4人兄弟だが、私が長男であるのとは違い、父は末っ子だ。家は大変貧乏であったらしい。父を育てた母=私のおばあちゃん、は私が生まれる前のクリスマスイブにこれまたガンで亡くなった。だから私は父の両親に会ったことがない。写真でしか知らない。本当は会ってみたかった。
 

父は私たち家族のためだけに生きてきた。

父の幼少期は貧乏だったから、私たちに同じ思いをさせないように、死ぬほど働いてくれた。子ども心に心配になるほど働いていた。「父さんの母さんが丈夫に生んでくれたおかげだ」と父は言っていた。
 

父は私たち家族のためだけに生きてきた。

昨日、釣りをしていてもそうだった。
私は釣りをほとんどしたことがないから、準備の仕方が分からない。父さんは全部教えてくれる。一緒にやってくれる。
 
「まずここに輪っかを作るだろ」
「こう?」
「そうそう、で7回巻く」
「こうね?」
「そう、で、結ぶ」
「こう?」
「いい感じいい感じ。で、これを取り付ける」
「こうね」
「ほうら、いっちょ上がりだ」
 
きっと小さな頃に自転車に初めて乗った時だって、日曜日にみんなでカレーを作った時だってそうだった。父はこうやって教えてくれたはずだ。私が小学校6年生になった時、父は性教育までしてくれた。仕組みは分かっていたけど、父さんは真面目に教えてくれた。
 
 
 
 
釣りの最中、お腹がすいた。

「ほれ、おにぎりがあるぞ、6個」
「おお!母さんが作ってくれたの?」
「そう、中身はぜんぶタラコ」
「懐かしいね」
「コーヒーもあるぞ」
「おお~じゃあ3個ずつ食べようか」
 
私は立て続けに3個食べた。でもお腹はまだすいている。父は1個しか食べない。

「お腹いっぱいになったか?2個食べてもいいぞ」

「やったぜ、ありがとう!」

遠慮なく食べた。31歳で完全に大人の私だが、父といれば私は子どもである。親の前では子どもは何歳になっても永遠に子ども。
 
 
 
 
 
 
私が普段、仕事をしたり、人と接していると言われることがいくつかある。私の小さな自尊心が保たれること。みんな気を遣って言ってくれる。ありがたい。
 
 
・〇〇さんは、人を喜ばせることが好きなんですね

・〇〇さんと話すとポジティブになれます

・〇〇さんは、何かを教えるのが上手ですね

・〇〇さんのお話は、すっと頭に入ってくるから分かりやすいです

・〇〇さんは、他人のために何かをすれば自分に返ってくることが分かっていますね
 
 
 
自分一人の力で自分の人格を形作ってきたと思い込んでいた。なんの根拠もない自信があった。それだけ学んで努力してきたと思い込んでいた。でも違った。おごりがあった。こうやって書いたら気づいた。
 
 


これは全部父から教えてもらったものだった。

そうか、全部父さんが教えてくれてたんだ。

父さん、すげえや。
 
 
 
… 
 
 
 
 
釣りが終わって別れるとき、父は
 
「9月もまた休みがあるから、いつでも電話してきていいから。もっと大きな魚を釣らせてやりたいな、こんくらいの」
 
「そんなん釣れるの?」
 
「釣れると思ってれば釣れるよ」
 
「たしかに」
 
 
 
そうやって言って手を振った。
なんだか友だちみたいだった。

昨日の釣りはこんな具合。
 
 
 
 
 
 
 
 

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