妻は不妊治療を副業に切り替えた。
「副業だと思わないと、やってられないね」
今年の春、妻からそう言われて「そうだね」と返した。私たち夫婦の結婚は2019年。結婚の1年後に不妊治療をスタートしたから、もう2年になる。私は31歳、妻は4歳歳上だから35歳だ。
「男にも原因があるっていうし、俺から先にチェックしたほうが色々といいんじゃない?」
精子の量、濃度、運動率など、不妊の原因は必ずしも女性だけにあるわけではない。妻側がさんざん検査や投薬を受けて、ある日、腰の重い夫側が検査を受けると、原因は夫でした、というのはよくあるパターンらしい。
でも、妻は私に検査を勧めなかった。
推測だけど、私が検査を受けて「異常なし」だったら、妻1人に原因・責任があると判明してしまう。そんなこと、妻には耐えられない。
なのでまずは妻から病院に通った。不妊治療の実際、みたいな情報をここに書くのは私には無理なので、他の方に任せたい。モモ太夫さんの記事はよくまとまってるのでオススメだ。もっと広まれ。
不妊治療の初期、まずはタイミング法。
多くのご夫婦がここを通るはずだ。女性の排卵日をピンポイントで予測、調整してタイミングを図って子作りをするからタイミング法。
我が家がここで子宝に恵まれることはなかった。妻とはタイミングを巡って、険悪になることもあった。とっても難しい。
時期を見て次のステップ。
人工受精、顕微授精に移る。
世間一般でイメージされるやり方。
細かなところは、みなまで書かない。
我が家はここで、いくつかが受精、凍結、そして胚移植へと進んだ。妻と手を取り合って喜んだ。病院が受精卵の画像をくれるので「へぇ〜これかぁ〜」と妻と一緒に見る。なんだかここまで来るともはや、出産までが約束されたような気持ちになるから不思議だ。
「よくさ、親戚のおじさんが『ずいぶん大きくなったなぁ!お前のことは、こーんなにちっちゃい時から知ってるんだぞ!ワハハ!』って言うけどさ、俺たちに子どもが生まれたら『細胞レベルの時から知ってるぞ』って言えるよね」
絶対こういうことをみんな言ってるはずだ。
「そうだねぇ!」って妻も言う。
胚移植に進む。そこから妊娠判定、心拍確認とステップがある。我が家はここまでは行ける。
結論から書くと、妻は流産を2回経験した。
1回目は心拍確認してから9週目で。
2回目は心拍確認してから8週目で。
不妊治療を始めた頃、いや、始める前から、北海道内のあらゆる子宝神社にいった。新婚旅行では島根県出雲にも行った。出雲大社だ。最強の縁結びの神様オオクニヌシがそこにいる。あるいは私の妹が軽井沢で結婚式を挙げたときには、妻と長野県中の神社にいった。困った時の神頼みだ。根拠なんてない。
神様がいるか分からないけど、なんだか行っちゃう日本人の不思議さ。神社のお参りに関して、こんなことを聞いたことがあった。
神社に行ってお参りするときには「お願い」をしてはいけないよ、決意を表明するんだ、神様はなんでも叶えてくれるわけではないよ、お参りが自分と向き合うきっかけになるのさ。
なんかぽい。妻と並んでお参りする。
「ねぇ、どんなことをお祈りしたの?」なんてお互い聞かない。そんなことは分かってる。
お願いをしてはいけないのは分かってる。
でもいつもお願いしてきた。
出雲でも長野でも。
神様、私の隣にいる妻の願いを叶えてください。
そのためなら私はなんでもやります。
妻の願いを叶えてあげてください。
どうかお願いします。
「ねぇ、どんなことをお祈りしたの?」
なんてお互い聞かない。
そんなことは分かってるから。
不妊治療をしていると、
「今回は、今回こそは」と思う。
はじめて妊娠判定が出たときなんて、感動で2人で涙をちょちょぎらせた。うおおおお!って。病院の検査台にいる妻を想像すると涙がこぼれそうで、よくがんばったね、と伝えたら嬉しそうだった。
妊娠判定後に買い物に行くときなんて、妻はいつもお腹をさすってた。時期尚早すぎる気もするけれど、気持ちはよくわかるから何も言わない。寝る前にお腹を触る。
「本当にそこにいるの? 現実味がないなぁ。でもいるんだもんね」
「いるよ」
現代は、妊娠するとみんなアプリを入れるんでしょう。よく見るやつ。我が家もすぐに入れた。
でもダメだった。心拍は止まっていた。
「ダメだった 明日手術する」
妻からLINEがきた。私は仕事中だったけどすぐに電話した。電話の向こうの妻は大泣きしてる。
家に帰る。なんて声をかけたらいいんだろう。
テーブルの上に、料理が置いてあって、サーモンのお刺身があった。妻は泣き疲れたのか、すぐに切り替えられたのか、ケロッとした表情をしてる。それがまたツラい。ご飯を食べる。ひとくち、ふたくち。
でも、妻の気持ちを思うと食べられなくなった。2人でたくさん神社に行ったのに。あんなに頑張ってきたのに、神様あんまりじゃないか。
サーモンを運ぶ箸が止まって、私は涙がこぼれてくる。ツラかったろうに。よく夜ご飯を準備してくれた。
「なんか、ごはん食べられない…」
って言った瞬間、泣けてきて泣けてきて、ポロポロ涙が出てくる。うえーーん、って。そんな私を見て、妻は言った。
「え!?ど、どうした?なんで泣いてる!?
仕事でツライことあった?仕事辞めたいの??」
ち、違う違う。
そうじゃない、そうじゃないよ。
どこの世界に、妻が流産したその日に「仕事がツラいよ〜!え〜ん!」って泣きながらサーモン食べる旦那がいるんだ。
君のツラさを想像して泣いてるんだよ。
「あ!そういうことか!」
「うん」
「でも、もう大丈夫や!」
「そうなの?」
「あたしたちが浮かれ過ぎてただけ!」
「なるほど、たしかに!」
そうして切り替えた。私の妻は強い。
2回目の流産も経験して、妻の口から出てきたのが冒頭のセリフである。すなわち、
「副業だと思わないと、やってられないね」
命を軽んじてるとか、
そういう議論はここではしたくない。
我が家はこうなのだ。
「え、そんなんでいいの?」
と私でも思う。が、妻がそう言うならそうだ。発想の転換である。不妊治療を生活の中心にしてはいけない。ズシンと重くなるから。私たち夫婦の場合はそうだ。
だから、妻は副業的な気持ちで不妊治療をしている。経済的にキツい副業だ。ツラい。
それがいいかどうかは個々人の意見があるから、何かコメントしてくれても甘んじて受け入れるけど、うちはそう。
私個人の意見としては、綺麗事かもしれないけれど、子どもがいてもいなくても、どちらでもいい。妻が願うようにしてくれたらいい。
だから、いるかいないか分からないけど、
神様にお願いする。決意を表明する。
神様、私の隣にいる妻の願いを叶えてください。
そのためなら私はなんでもやります。
妻の願いを叶えてあげてください。
どうかお願いします。
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