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KIGO
2021年9月2日 21:50
山羊と狼は結婚できると思う?ベッドの上、僕の肩口に顔を埋める相手に小さく尋ねる。暗闇に睫毛の動く気配がする。先刻あまりに間近で見つめるものだから、瞳の中に自分が映る距離とはこんなに近いのだと驚いた。向こう側にも、僕が居たのだろうか。こういう時、漆黒の目を持つ僕らは都合がいいらしい。返事は無い。天井の換気扇が強風を受けて、がたがたと鳴っていた。その日、僕らは初めて一夜を共にした。
2021年9月1日 23:38
雨を聞く。今日も今日とて、死んだように生きている。いっそ稲妻を嫁にして、AEDで起こしてもらおうか。長い夜に、豆電球と稲光。稲妻(いなづま)
2021年5月27日 23:08
「秋」という言葉には、実りのときという意味がある。新緑の中、麦たちは、たわわに実った黄金の穂を揺らす。そう、麦の秋は、夏の季語なのだ。金色の野に風が駆ける。真っ青な空色のシャツを着て。隣の小さな手を握る。麦の秋(むぎのあき)
2021年5月18日 23:54
真っ白い小花をたくさんつける卯木(うつぎ)の花。卯月と言えば陰暦の四月の異名だが、卯木、別名卯の花が咲くのは、陽暦では五月頃となる。春から夏の変わり目は、天候が不安定で強い雨風が吹く。そんな折、海や川が波立つその白さを、卯の花になぞらえた季語が「卯波」である。もう一つ、卯の花と天候が結びついた季語、卯の花を散らして降る雨のことは「卯花腐し(うのはなくたし)」というそうだ。長雨の続く今日こ
2021年5月17日 23:55
奈良へは、中学の修学旅行で初めて行った。鹿をじっくりと間近で見たのもこの時が初めてだったように思う。先の丸い鹿の角は、一年かけて伸びたものが春に落ち、生え変わった後なのだと引率の先生が教えてくれた。持っていったインスタントカメラを後日現像すると、ほとんどは見事にピンぼけしており、その中でも鹿を映した写真が沢山残っていた。旅館の慣れない枕と浅い夜、その日、私は夢を見た。運動部に所属していた私は
2021年5月16日 23:51
植物が這っている建物が好きだ。最近は人口緑化を取り入れた施設やビル群も見かけるが、自然な生命活動には、より心惹かれる。東京でも、少し住宅地へ入り込めば、怪しいくらい緑を纏った民家と出逢えたりもする。そして、その写真を撮っている人物がいるとすれば、私はその一人である。細い手足が、器用に凹凸を捕まえている。よくよく観察すれば植物とは、毛が生えていたり、湿度があったり、大変に有機的なのだ。度を越し
2021年5月15日 13:30
風薫る朝。自転車脇のブロック塀には、小さな虹が映っていた。薄いシャカシャカのパーカーを羽織って漕ぎ出す。風を受けて、帆がばたばたと膨らんだ。雑草の生い茂る路地を通り抜けて、さっき飲んだ珈琲交じりの吐く息さえも、ぼくは、風をあつめて蒼空を翔けたいんです。薫風(くんぷう)
2021年5月8日 12:11
平安時代以降の詩歌の中で、「花」と言えば「桜の花」のことを指す。「余花」とは、山間部や北国で見られる遅咲きの桜のことで、「若葉の花」と同様に夏の季語になるのだ。こんな時期に、こんなところで再び会えるとは。余花に逢ふ再び逢ひし人のごと高浜虚子余花(よか)******立夏前、四月の写真になるのですが、桜リバイバル。こちら岐阜の飛騨の方に出かけましたら、富山よりも1、2週ばかり桜
2021年5月7日 23:53
「風炉」とは、畳の上に置いて釜をかけ、湯を沸かす茶の湯の道具である。茶室の畳を四角に切って炉をしつらえ、灰を入れて火を焚き、湯を沸かす。幼少期より、定期的に顔を見せに行く親戚夫婦の家があった。二人は母の、そのまた母の血縁か何かで、母の旧姓と同じ苗字をしていた。二人の間は子どもがいなかった。僕らとは、ほぼ祖父母と孫くらい歳が離れていたから、毎度それは大層可愛がられた。二人が住む家には、奥の和室に
2021年5月6日 20:18
立夏、暦の上では夏の到来だ。先日、藤を見た。大きく垂れ下がる立派な藤。かの有名なガウディのサクラダファミリアは、上下にひっくり返したワイヤーで模型を作り、荷重や構造をみていたそうだ。この藤も、もしや逆さに立ち上がるのかも。匂い立つ。頭上の立夏、藤の城。立夏(りっか)******写真を撮ろうと近付けば、大勢の熊蜂にめちゃくちゃ縄張り争いされた。小学校の通学路付近。こち
2021年5月4日 23:33
東京や菖蒲葺いたる家古し正岡子規この菖蒲(しょうぶ)とは、豪華な花をイメージする「花菖蒲」ではなく、細長い剣形の葉が主となる多年草を指し、こちらは区別のために「葉菖蒲」とも呼ばれる。蒲のような黄色い花穂をつけ、菖蒲湯となるのも後者の「菖蒲」の方である。菖蒲葺く。瓦葺き、茅葺きという屋根材を示すのとは別に、「葺く」には軒端に草木などを差しかざすという意味がある。正岡子規が見た東京では、
2021年5月2日 23:57
立春から数えて88日目。「八十八夜の別れ霜」という言葉があるように、この頃を過ぎると遅霜の心配もなくなるそうで。ちょっと今夜は、俳句の引用と、立春の日の投稿載せておきます。あれ、全然創作の時間が取れない、笑天気が悪い日が続きますが、明日は少し、よくなるらしい。******母ねむり八十八夜月まろし古賀まり子
2021年5月1日 23:42
四月の終わりは、春の果ても意味していた。あんなにも待ち焦がれた春が去っていくのは寂しいと、春を惜しむ季語は数多い。しかし、現代は新年度の始まりも相まって、晴れやかな春のイメージに引っ張られて、なんだか少し、無理をしているのかなと、在りもしないきらきらを出そうとしているのかなと、きっとそういう歪みが集まって、淀んだ澱が重なって、五月に病を付けてしまったのかも知れないとそんなことを
2021年4月30日 23:56
人に愛されたいと願いながら、同時に、人が見出した期待に猜疑を抱いている。そして囲まれた柵の抜け穴を求めて、誰も私を知らない世界へ行きたいと願っている。二月尽から、早二か月。抱える二律背反は今や恐怖を伴って、他者と自己の狭間を彷徨っていた。そんな私は四月人(じん)。迷える牡羊座の生まれである。四月尽(しがつじん)******