袋角
奈良へは、中学の修学旅行で初めて行った。鹿をじっくりと間近で見たのもこの時が初めてだったように思う。先の丸い鹿の角は、一年かけて伸びたものが春に落ち、生え変わった後なのだと引率の先生が教えてくれた。持っていったインスタントカメラを後日現像すると、ほとんどは見事にピンぼけしており、その中でも鹿を映した写真が沢山残っていた。
旅館の慣れない枕と浅い夜、その日、私は夢を見た。
運動部に所属していた私は、女子の中でもかなりの短髪だった。セーラー服にくるぶしソックスでという出で立ちで鏡に映るその額には、しっとりと柔らかな角が生えていた。表面には薄っすらと金色の産毛が光っている。目を凝らせば、ビロードの奥に細やかな血管が走っているのが見える。二股に別れた短い方に触れれば、それは温かく血が通っていた。
起き抜けのシャワーを浴びに風呂場の鏡を見やると、なんてことはない、いつもの見慣れた顔が覗き返す。あれから幾年月が経った。蛇口を捻る指先には、昨日ガラスで切って捲れた薄皮が白っぽく浮いていて、その奥はほんのりと赤みを帯びていた。そこからじんわりと熱が伝わって痛む。久しぶりに怪我をすると、少しの傷でも酷く身体に浸みいる気がした。
どうして、今更あの時のことを思い出したのかは分からなかった。もしかしたら。私はずっと、何者かに、性別を、何かを超えた存在に、なりたかったのかも知れない。
湯が肩口から身体を伝って流れては、排水溝へと吸い込まれていく。
外れた上蓋の向こうで、長い髪の毛がくるくると廻るのを見つめていた。
袋角(ふくろづの)
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