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ダサいのは私自身だったという話

心と思考を前向きに、毎日、「自己ベストな自分」であろうと生活している中、ふと気づいてしまいました。

「ヤバい…ダサいことしてる(;´・ω・)ワタシ」

どういうことか? 先に結論を言ってしまうと「みっともない言い訳してた」ことに、ようやく自分で気づいた、という話です。

以下、本文です。

店・シャツ

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「今日はnoteに、どんな話を書こうかな?」と考えていて、「ボタンの掛け違い」という行為について書いていこうと思っていました。

ボタンの掛け違いは最後のボタンで気づくことから、物事の最初に犯してしまったことに最後になってやっと気づくような間違いのこと。 単に些細な間違いを犯す場合にも使われることがある。

これは「Weblio辞書」からの引用(加筆あり)ですが、これって、誰しもが経験のあることではないか?と思ったので、「掛け違えてしまった事実を受け止めよう」という話の展開にしようとしました。

そんなことを考えていた時、「掛け違いに気づいたのが他人だったら、どうなるだろう?」と思ったのです。

もし、皆さんがボタンの掛け違いをしたまま外出…なんてことは、ないかもしれませんが(笑)、とりあえず、想像してみてください。

「ねぇねぇ、ボタン掛け違えてるよ?(・ω・)」

私は、「開き直る」か「言い訳する」かのどちらかだと思いました。

店・ショッピングモール

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開き直った」場合、「これは、こういうファッションなんだ!」と押し通すパターンと、「あれ?ホントだ…(゚Д゚;)」と素直に認めるパターンが考えられます。

このような状況だと、どちらもエピソードトークとしては面白いと思うんですよね。

「(=゚ω゚)アイツ、ボタンの掛け違いを認めないどころか、ファッションだーとか言ってたw」とか「慌てて直してた( *´艸`)w」とかね。

しかし、「言い訳した」場合を考えると、「待ち合わせに遅れそうだったから仕方がなかった」とか「(むしろ)間違えてしまうようなデザインこの服が悪い」とか…。

ちょっと見苦しい感じになりませんか?( ̄▽ ̄;)。

で、この「ボタンの掛け違い」の話と「過去の出来事」が頭の中で結びつきました。

過去の失敗は、ちょっとしたボタンの掛け違いから起こる」と考えたのです。

…これも、ある話かもしれない( 一一)、この方向性で投稿しようかな?なんて思いました。

そのとき、ハッとしました。

(;゚Д゚)ハッ!

私が過去の経験を誰かに話すとき、「言い訳」してる、と。

要するに「あのときは私だけが悪いわけじゃなかった」と責任逃れのようなことを口にしていたのです。

…ね?ダサいでしょ?(;一_一)w

過去の出来事は、どうにもならないと知りながら、自分を見繕って何になるんでしょうね?

そこは開き直って…ん?なんか言葉が違う気もしますが、「受け入れる」ことが大切だと、思ったのです。

掛け違えた事実は変わらない。それなら受け入れた方がカッコいい(*´з`)。

石柱・光

ということで、今回の投稿は以上です。

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