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今すぐ使える文章テクニック

こちらは八幡謙介が2013年に発表した実用書です。

noteにて試し読み公開しています。


今すぐ使える文章テクニック
文章校正のテクニック ~誤字・脱字・誤変換を効率よく発見する方法


 個人・プロ問わず、作家の皆さんは、日夜作品の推敲に余念がないと思いますが、文章の校正、つまり「誤字・脱字・誤変換のチェック」については、あまり語られていないようです。まあ確かに、探して、見つけて、訂正するという地味な作業なので、誰でもできるし、テクニックなんぞ必要なさそうな気がします。しかし、個人作家さんの作品を読んでみると、売り物にもかかわらず、驚くほど「誤字・脱字・誤変換」が残っています。(以下、「誤字・脱字・誤変換」を「誤字」で総称)。
 KDPでは無料サンプルが気軽にDLできることが魅力です。私も気になったものは落として読んでみるのですが、誤字の多い作品を手にすると、非常に残念な気持ちになります。ひどいものはもう、一ページ目から誤字があります。そんな作品は、すぐに読むのをやめてアカウントから削除します。大切な冒頭シーンで、誤字を放置したまま出版するような気配りのない作家の作品を、私は読みたいとは思いません。ましてや、お金を払ってDLなんてもってのほかです。きっと多くの読者もそう思っていることでしょう。
『ちょっとぐらい誤字があってもいいじゃん? それより作品そのもので評価してよ』
 という考えもあるのかもしれませんが、それは作者の甘えです。文章のあらゆる要素が作品に影響しているのが小説ですから、誤字は純粋に、作品そのものの落ち度と考えるべきでしょう。しかし、逆にいえば、誤字をなくせばそれだけで作品の質が上がるということです。
 文章やプロットを練り上げる推敲テクニックも重要ですが、誤字を徹底的に駆逐する校正テクニックも、作家には絶対に必要な能力です。私自身まだまだ未熟ですが、出版社を介しての仕事と、個人での電子出版の経験から得た校正テクニックを、少しばかりご紹介したいと思います。

 私の出版デビューは、2009年の「ギタリスト身体論」というギター教則本でした。これは、持ち込み原稿が採用されたものです。当然、持ち込みの原稿は、完璧でなければ心証を悪くします。ですから私は、素人ながら校正に苦心しました。そのとき、図らずも採用した方法は、いったん紙に印刷してから校正する、というものです。なんとなく、その方が誤字を発見しやすい気がしたからです。後々、プロの作家さんも校正は必ず印刷した原稿で行うということを知り、自分の感覚があながち間違っていなかったことを知りました。
 しかし人は油断するものです。「ギタリスト身体論」が好評を博し、二作目三作目と教則本が出せるようになりました。その過程で一度私は、油断してPCモニタで校正をし、入稿したことがあります。当然、出版社から送られてきたゲラは、誤字でいっぱいでした。改めて紙での校正が必要不可欠だと知ると同時に、自分の浅はかさを痛感しました。それ以後、教則本の校正は必ず紙で行ってきました(小説の校正では、KINDLEを使いました、後段参照)。
 しかしなぜ、紙で校正した方が誤字を発見しやすいのでしょうか? 私の経験はともかく、著名な作家さんもやはり紙での校正を推奨しています。実はこれには、れっきとした研究が存在していたのです。


反射光と透過光 

~マーシャル・マクルーハンの研究


 我々は TVやPCのモニタに写った文字を「透過光」を介して、紙に印刷された文字を「反射光」を介して読んでいるのだそうです。簡単に言うと、「透過光」は、それ自体(モニタ)が放つ光、「反射光」は、蛍光灯などの光を(紙が)反射したものです。メディア論のマーシャル・マクルーハン氏の研究によると、「透過光」で見る場合と「反射光」で見る場合では、我々の脳の情報処理モードが違っているのだそうです。以下、箇条書きでその違いを挙げておきましょう。

透過光
 デヴァイス:TV、PCなどのモニタ、iPadなどのタブレット
 脳の状態:くつろぎモード
 情報を受動的に受けとめようとする→誤字を探す作業には向いていない

反射光
 デヴァイス:映画、印刷物、Eインクの端末(KINDLE)
 脳の状態:分析モード
 能動的に情報をチェック→校正向き!

 これが、『紙に印刷した方が校正がしやすい』という意見の科学的根拠です。ちなみに、私は拙著「セームセーム・バット・ディッファレン」をKINDLEで校正してみましたが(データをKINDLEに送り、それを読みながら誤字を発見したら一太郎で修正していく。一端全て終わったら、また新しいデータをKINDLEに送る……)、感覚的に紙での校正に近いものが得られました。
 長編小説などは、紙代、インク代、印刷時間等を考えると Eインクで表示される読書端末を使った方が、長い目で見ると経済的なのかもしれません。ちなみに、iPadなどのタブレットは駄目ですよ、「透過光」なので。
 さて、校正はPCモニタではなく、紙に印刷してからか、Eインクで行うべきだということが分かりました。じゃあこれで校正は完璧! とはいきません。むしろここからが地獄です(笑)
 既に述べた通り、私は初めての出版物である「ギタリスト身体論」の校正を紙で行い、完成した(つもりの)原稿を出版社に送りました。企画が通り、組版→校正と進んだのですが、ゲラを見て驚きました。あれだけ何度も何度もチェックし、完璧だと確信したにもかかわらず、ゲラは誤字のオンパレードだったのです。さらに再校→再々校と進めても、本当に誤字がひとりでにインクとなって湧いてきたんじゃないかと思うぐらい、後から後から発見してしまいます。しかも校正は、私一人ではなく、百戦錬磨のプロ編集者との共同作業です。それでも見落としはたくさんしているのです。
 一回の校正で、私は最低でも二度は精読します。編集者も同じでしょう。ということは、初校から再々校までいったとして、二人の人間が六回ずつ、計十二回はきっちりと誤字をチェックしながら読まれていることになります。もちろん、入稿の時点で私自身何度も読み返して個人校正していることは言うまでもありません。しかし、それでも刊行後に必ず誤字を発見します。ここまでご説明すると、私が「誤字は湧いてくるんじゃないか?」と言ったのも理解していただけるかと思います。
 しつこいようですが、上記は二人で行っている作業です。私はともかく、編集者は原稿を扱うプロです。それでも見落としは絶対にあるのです。ましてや、アマチュアの個人作家がたった数回、一人で、しかもモニタを見ながら校正しただけでは、誤字の嵐であることは当然です。
 では、紙に印刷して十五回から二十回程度校正すればいいのか?
 確かに、回数が多いほど精度は上がるでしょう。しかし、ただ数をこなすよりも、もう少し効率のよい校正法があるので、今度はそれをご紹介しましょう。


最初から読まない


 私が発見した最も効果的な校正法は、最初から読まないことです。といっても、既に実践している人も多いかと思いますが。校正のために作品を精読する際、律儀に最初から読んでいませんか? たとえば、プロットの推敲なら流れを把握しながら読む必要があるので、最初から読み進めるべきでしょう。しかし、誤字を発見し訂正するという目的であれば、最初から順番に読む必要はありません。
 同じ人間が最初から読む場合、疲れて集中力が落ちてくるポイントはだいたい一緒です。いったん休憩して、また読み始めても、また同じあたりで疲れてくるので、何度読んでも同じポイントで誤字を見落としてしまいます。それを防ぐため、一度最終章から読んでみます。十章あれば、第十章を読んで、第九章、第八章と逆に読み進めていきます。しかしこれだと、また同じポイントで疲れが出ます。ですから今度はランダムに読んでいきます。たとえば、第五章、第二章、第七章……と。こうすることで、誤字の見落としは相当減ると思います。

(試し読み終了)

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