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弱さを抱えながら強くあることは可能かー第25回福島ダイアログ所感

第25回福島ダイアログ 原子力災害後に「共に生きる」に参加してきた。

多くの分断線が重なり乱れている被災後の福島において、それでも「共に生きる」ためには・・・というざっくりとしたテーマのもと、登壇者のみなさんがじっくり語る。結論めいたものとしては「他者の声に耳を傾けること」が必要だというところに落ち着いたと思う。

いろいろな価値観の人がいる。避難者と帰還者、帰還者と移住者、ジェンダー、世代のギャップ。誰も好き好んで苦しんではいない。他者とともに生きるために、他者の苦しみに耳を傾けることは重要だ。

人は、役に立たなくても、生きていていい。河川敷の石ころだって別に何の役にも立っていないけれど存在しているし、「あんなのは存在しちゃダメだ」なんて言う人はいない。苦しくて、つらくて、現実に縛られて動けないときに、何もできないからといって存在意義がないなんて思う必要はない。何もできなくても、人は生きていていいし、そこにいていい。

それを大前提として、難しいのはここからだ。

福島の被災地、とくに相双地域は、家族や近所付き合いといった人間関係、仕事、暮らしの楽しみ、その土地で暮らしてきた尊厳がごっそりと奪われ、生活が様変わりした人がたいへん多い。そして、いまも住む人が少なくビジネスが成立しづらい、大変な環境にある。公的予算こそ国からどっさり降りてきているが、いつまでもそれが続くわけではない。この地理的・経済的な条件不利のもとで苦しんでいる人も多いことと思う。

一方で、不名誉ながら世界中にその名が知れたFukushimaの地で生きる人々自身が、それぞれの幸福を追求しながら、数十年、数百年先のめざす姿をイメージして手を打っていくということは、おもしろい。実際に「フロンティアを開拓するイノベーター」たちが、社会課題の先進地たるこの地域で新しい試みを仕掛けている。確かなスキルや前向きなマインドセットを持って「ワクワク」している人たちだ。彼ら彼女らは、失われた30年の先、文明の曲がり角として象徴的なFukushimaの地で、新しいビジネスや暮らし方を創り出していくことに希望を見出しているのだと思う。私もその感覚に共感する。

不条理なダメージを負って傷ついた人と、条件不利地域でもパワフルに現状打破しようとする人。両者のあいだには深い溝がある気がしてならない。両者は「共に生きる」ことができるだろうか?

私は1年半前に双葉郡内に移住してきた健常な四年制大卒の独身男性だ。そんな強者属性もりだくさんの私でも、この地域で、やりがい搾取や権力者からのパワー・ハラスメントに遭ってきたし、無根拠なうわさが勝手に広がってしまうこともあった。健やかにやっていくには、ある程度、気にしない鈍感さとか、図太さとか、そういう力強さみたいなものが求められると思う。繊細さんではやっていけない。この地で自分で事業を起こす人ならなおさらだろう。聴く力以上に、無視して突き進む強さがないと心が折れてしまいそうだ。

ダイアログでは、田舎によくある価値観の同一性が、若年世代の移住・活躍にマイナスにはたらく可能性も指摘された。そもそもそれが都市への人口集中の一因でもあるので、さもありなん、である。しかしながら、世界が注目するFukushimaで「多様な価値観が認められない風土なので、人が寄り付かなくなりました。チャンチャン」では、あまりにも格好がつかない。

わたしはつらい、わたしは悲しい、そういう声に耳を傾けながら、自分自身に刺さる矢は気にかけず、めざす未来に突き進む。ネガティブなものごとを受け止めながら、ときには自らへのネガティブなまなざしをかわしながら、ポジティブに生きる。自分のなかに弱さへの共感を抱き続け、それでも強くあるということ。そうじゃないと、負の記憶を引き受けて新しい価値を生み出すことなんてできない・・・?

「苦しんでいる人」「他者の苦しみ」ばかりにフォーカスを当てるのは違うのかもしれない。四六時中「つらい」「悲しい」人ばかりではない。そんな中にも些細な楽しみや生きる希望を持ち続けている人がいる。そこにヒントがあるような気もする。

都市と地方、世代、ジェンダー、放射線に対する考え方、党派性、政治と経済、業界や界隈のちがいなど、いろいろな要素が絡み合っているので、まだ頭の中がごちゃごちゃとしている。だからこの文章もごちゃごちゃとしている。「共に生きる」ってそんなに生易しいことではないよね?という感覚になった。


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