見出し画像

【嫌われたら生きていけなかった過去】があるなら、大人になった今も「嫌われたくない」と思ってしまうのは自然なことだと思うんだよね。

「気にしすぎ」
「そんなに人は自分に興味ないよ」
「全員から好かれることなんて無理だよ?」
「嫌われる勇気を持ちなさい」

32年間生きてきて、何度言われたかわからない。
あなたはどうだろう?

その言葉で「嫌われない努力」はやめられましたか。
「嫌われることを恐れる自分」を受け入れられましたか。
「気にしない自分」になれましたか?

僕は今も変われないままです。

嫌われたら生きていけなかった過去(けんごのケース)


僕は5人兄弟の末っ子として生まれた。

上の兄姉とは10歳以上歳が離れていて、子どもの頃は僕からしたら兄というより親戚のおじさんみたいなものだった。
ケンカなんてできないくらい彼らは強く、絶対的で圧倒的な存在だった。

正月やお盆。
家族がみんな集まる“楽しい時間”が僕には“緊張と恐怖の時間”だった。
大きな声でそれぞれが自分の主張をする。

「けんごは最近どうなの?」

ふいに向けられても、僕は答えられない。
面白い返しか、納得できる答えか、ちゃんとした受け応えができないと非難される。

でもいつも“正解”を思いつくわけじゃない。答えを探して言葉につまることもある。
だけど時間がかかると空気が悪くなるから、言葉を選びながら少しずつ喋る。

するとそれぞれの声が反響する。

「おいもっと大きい声で喋れんの?」
「で、結局どうしたの?」
「そこはもっとこうしなきゃだめだよ」

獲物を見つけたライオンのようにたかってくるのが怖くて、自分の話をするときはいつも緊張していた。
その場で泣かないようにすることに精一杯だった。


否定、非難、指摘、煽り。
どうしたいかよりも、どうすべきか。
正解の答えと、ウケる返しを指導された。

僕はこの頃、自分の振る舞いが悪いと周りから攻撃されることを知った。
人に言われるがまま行動することが一番楽で安全だと悟った。

兄ちゃんたちに嫌われたらここで僕は生きていけない

これが僕の「嫌われない生き方」の原点

自分の意思は、なるべく消すことにした。


僕の“生存戦略”


まるで銃弾が飛び交う戦場で緊張と恐怖を抱えながら生きるようなもので、僕にとって家は平和でも安全でもなかった。

彼らの気に障るようなことをすれば必ず強い言葉が飛んでくる。
失敗すると責められ、面白くないと非難され、遅いと怒られた。

思春期以降は「消えてしまいたい」とか、「隕石でも落ちてきて人類滅亡しないか」とか考えたことはあったけど、家出しようとか実際に何か行動を起こすことはなかった。そもそもそのアイデアはなかった。
この危険な家で僕は生きていたし、生きるしかなかった。

ただ、良いことをすればちゃんと褒めてくれる両親だった。兄からも責められずに済んだ。
だから僕は、良いことをして、悪いことをしないようにした。
小学生の頃には「完璧な良い子」が出来上がった。

「良い子」を演じたのは自分を守る防衛本能からで、厳しい環境を生き抜くための生存戦略だった。

おかげで今日まで生きてはこれたよ。


良い子生まれ 優等生育ち 悪そうなことはだいたいしないで


兄や両親と過ごして身につけた生き方は、友人や先生、同僚や上司、彼女などいろんな人たちと関わるときに必ず現れた。

「嫌われないように」

意識してなくてもその生き方しか知らないんだからしょうがない。

近い関係の人や重要な相手ほど、嫌われたくなかった。嫌われないようにした。嫌われては生きていけないから。
そんな状態で“本当の自分”なんて出せるはずがない。

自分が嫌な思いをしても相手が楽しめるようにしたし、自分が我慢することで嫌われないなら、迷いなく自分を押し殺した。
何の疑いもなくそうしていた。

家では良い子、学校では優等生。
それが通用しているうちはまだ良かった。
高校まではなんとか、ぎりぎりやれていた。

でも、大学でついに潰れた。
心が壊れた。
初めてメンタルクリニックに行ったとき、「双極性障害」と診断された。


受け入れた?変わった?本当に??


振り返ると中学生くらいからメンタルが崩れたり人間関係もうまくいかないことが多かった。
その度に

なんで自分だけこんなにうまくいかないんだろう

と悩んできた。

そんな自分を変えるために、大学を休学してからいろんなところに救いを求めた。

心理学のワークショップに行った。
セミナーに行った。
勉強会に行った。

親から、祖母からお金を借りて行ったこともあった。
これまで何十万使ったかわからない。
本気で変わろうとした。

自分で本から学びワークに取り組んだり、クリニックで2年以上カウンセリングを受けた時期もあった。

その度に多かれ少なかれ自分の変化を感じたし、「もう大丈夫だ」と自信を持つことができた。


でも、気づいたらまた同じ苦しみにたどり着く。同じパターンの繰り返し。


僕は人に自分の本当の気持ちが言えない。

だって、飾らないありのままの僕では、相手に嫌われてしまうと「わかってる」から。


受け入れたと思った自分はまだまだ表面的で、その奥からもっと深い闇がいつも顔をのぞかせる。

今も仕事を続けられるかどうかの瀬戸際に立ってる。


人生はつづく


こんなことをnoteに書いたところで、誰のためになるだろうか。

メンタルの安定のさせ方を伝えるために始めたはずなのに、誰よりも不安定でボロボロになってしまった。



それでも人生はつづく。

どこかに自分らしさを取り戻す鍵が落ちている気がして、探している。

僕は自分らしく生きることを諦めたくない。


「嫌われたくない」と言いながら、誰よりも僕自身に嫌われてるなんて、悲しすぎるからね。




生きている限り、まだ可能性はあるよね。



 

来週は予定通りカウンセリング行けるかな。
催眠療法できるといいな。


どの鍵が合うかは差してみないとわからないからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?