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日本人、英語しゃべれない問題② 近道はある?

 スタートして以降、週1ポストを念頭に毎週更新していたところ、やっぱりフォロワーの伸び悩み、やはり日本人の永遠のテーマである「日本人、英語しゃべれない問題」を前々回のnote取り扱ったところ、フォロワー数も伸びたので、やはりこれはみんなが興味のあるテーマなんだとあらためて実感した。というわけで、前回から具体的に分析して以降と思う。
 要するに「英会話」を伸ばすにはまず会話力というか、コミュニケーション能力をあげるのが最短の近道なのではないかというのが持論なのだが、日本語の会話と英語の会話は根本的に異なる。これは日本語のみならずイタリア語、スペイン語、などヨーロッパの言語にしてもそれは当てはまるが、留学生の多くが行いがちな脳内翻訳はうまくいっていないケースが多い。
 なぜなら、彼らの多くは英語がそもそも会話スタイル、構成、全部がまったく異なることに気づいていない人が多いと思うからだ。これでは翻訳しただけでは、意味が伝わるだけでニュアンスやジョークなどコミュニケーションに必須なものが伝わらない。
 個人的にはたとえば日本語においては、おやじギャグ以外、ほとんどジョークみたいなものはないと思っている。というか、フィットしないものなのだろう。その代わりに、日本語は巧みな話の構成みたいなものに重きを置いている。たとえば、「面白い話」は日本語では驚くようなオチ、巧みな話の展開で笑いを取り、ヨーロッパではもっと「直球のクレイジーな話」になってくる。

 オチのある話の場合、しっかりと前ぶりなどがあってこそ後半のオチで爆笑をかっさらうことができるわけで、それを知っているからこそ、話をしっかりと聞く。面白い話を誰かが始めたら、しっかりと聞く。クレイジーな話はひたすら引き付ける話をするわけで、そのスタイルに慣れている人からすると、前ぶり、すなわち普通の話の部分は聞き逃されてしまうかもしれないわけだ。フリを聞いてもらえなければオチを言ったところで、何が面白いのかわかってもらえない。「へえ、そうなんだ。大変だったね」で終わりである。こういう風に笑える話を封じられると、ジョークなどを言いつつ軽快にトークができなくなってしまい、どうしてもまじめな会話しかできないかのように映ってしまう。
 英語を話すうえではそういった言語の性格的なものを理解したうえで話せるかどうかで、上達にも差が出てくるのではないか。これに関してはたとえばドラマなんかも参考になるだろうし、要は彼らのように話すということを意識するだけでより自然な会話ができるようになると思う。そもそも異なる言語なわけで、同じように話せるわけがないからだ。
 べつに相手に合わせる必要はない、という意見の人もいるだろうしそれは百も承知しているけれど、英会話ができるようになりたいという人に関しては、ひとりだけまったく違う日本語と同じスタイルで話そうとすれば、どこか違う、取り残された人のような感じになってしまう。話の構成も結論を最後までいわなければ、途中から誰も聞いてくれなくなってしまうなんていうことにもなりかねない。
 これは翻訳小説や海外ドラマに長い間親しんできていない人にとっては簡単なことではないだろうし、必要のないものであるといえば必要ではない。でも留学準備としては個人的にはそれらを知っておくことは、文法などを叩き込むこと以上に上達への近道になるんじゃないか。もちろん、英語を勉強することのみに集中したい、コミュニケーションは後回しだという人には関係のない話なのかもしれないけれど、逆にそれなら留学する意味はないのではないかと思ってしまう。ひたすらきちんとしゃべれるようになることのみが目的であるなら、留学は費用の掛かる勉強ということ以外、ほとんど意味をなさないのではないか。
 またなぜ英語の話し方及び話の組み立てなどを知っておく必要があるのかというと、やっぱりパーティーなのでは基本的には初めて会う人が多いわけで、じっくり話をする時間もなければ酒も入っている。そういう場での会話はやっぱり日本語の会話スタイルでは圧倒的に不利になる。さらにはヨーロッパ人などはそういう場をたくさん経験していることもあって、圧倒的に日本人は後れを取ってしまうということもすくなくない。
 過去数カ月、個人的な興味で様々な話術をテーマに取り扱った書籍を読んだところ、いずれも「聞く力」にフォーカスしている書籍が目立った。中には「話術」など必要ないという書籍まであった。もちろんどちらかひとつしか選べないのであれば「聞く力」のほうがコミュニケーションは円滑にいくかもしれないが、「トーク力」があって損をすることはないし、「聞く力」を最大に発揮するためには相手に話してもらえるところまでいく技術が不可欠であることが多い。


 

それとまったく同じで、ネイティヴの英語は、どういうスタイルで行われているのかを知ることは、実はすごく重要なことで、知っているのと知らないのとでは、留学後の英会話能力に圧倒的な乖離が生まれるのではないかと個人的には確信している。
 日本語の代わりに英語で話すと考えているからうまく話せないって感じるけれど、オタクとヤンキーが会話ができないように、まったく異なるスタイルで会話がうまくいくはずがない。例えばこの場合、主導権を持つヤンキー側が会話を進めるのみで、オタク側としては聞くほかない。

 こうなると会話をリードできる側が自分のペースで進めるだけで、苦手な側としては聞くしかない。でもヤンキーとオタクのばあい、オタクは自分で自覚している分、一方的な会話となっても原因がわかっているだけ、うまく会話ができないとは思わないだろうが、英語の場合、本人がそもそも英語の喋り方のせいで会話がうまくできないと認知しているケースが少ないように思う。ただぼんやりとうまく話せないというのみで、その本質的な理由を理解できていないことが、英語がうまくしゃべれないことを克服するのがむずかしい原因なのではないだろうか。
 そんなこんなも正直、洋画や翻訳小説を読むことが、うまく英語を話すための近道でもあり、同時に盛り上がる会話のトピックにもなる。そしてなにより楽しい。10年間海外に在住したやつの最終的な結論はこれだ。

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