20240309_古代ヨーロッパの歴史を学び考えたこと_ゲームチェンジの世界史_紹介と感想27
はじめに
こんにちは、Keiです。
今まで私にとって"元気が出た"と思ったコンテンツや"役に立つかもな"と思ったコンテンツや考え方を紹介してきました。今回も良い人生にするために"役に立つかもな"と思った考え方を紹介していきます。
参考書
この度、参考にした本は
『ゲームチェンジの世界史』神野正史
です。
内容と感想
前回の記事では"遊牧民族の拡散"までの部分を読んで感じた事を書きました。
今回の記事では"皇帝の登場"までの部分を読んで感じた事を書いていきます。
内容
前21世紀ごろの寒冷化の影響をうけ、自然豊かな森に移動した遊牧民がヨーロッパ人。定住が可能となったため、生活基盤が"遊牧"から"牧畜"に変わっていった。また禽獣も多かったため、狩猟も生活の基盤となっていった。その後、農耕まで始まり、時と共に牧畜・狩猟の比率が下がり、農業が生計の中枢を担うようになった。このような経緯があり、見た目が"農耕民族"、本質的には"遊牧民族"という特徴の民族となっていった。
古代ギリシャでは王も専制君主ではなく、"民会の議長"的な立場(制限君主)に過ぎなかった。アテネでは王を排除し合議制(貴族政)へと移行していった。その後も独裁者が現れる度に合議制に戻す流れが続いた。僭主(独裁者)と貴族(合議)の双方が平民を味方に取り込もうとした結果、民主化が進んで行き、民主政となっていった。民主政の完成という表現も実体は"民主政を装った僭主政"だった。"民主政の完成"という言葉はペリクレスという僭主が、独裁者を許さない民族性との折合を付けるために布いたプロパガンダだった。
古代ローマでも制限君主の王を戴いていたが、排除して貴族政へと移行していった。ノビレス(貴族)陣営の閥族派と平民陣営の平民派が争い平民派が勝ち抜く結果となった。闘争を勝ち抜いたオクタヴィアヌスは独裁権を握りながら共和政を標榜し、自らは"市民代表"と称して遜るポーズをとった。
感想
ヨーロッパ人の歴史を学ぶ良い機会になりました。定住と共に生活のスタイルが変わっていく過程は面白いと感じました。このように見ていくと"農耕を覚えた遊牧民"という表現も適していると思いました。
最終的に行きつく先が農耕であった点も面白いと思いました。遊牧、牧畜、狩猟など様々な生活スタイルがあると思いますが、人を増やして社会を形成するには農耕が適しているのだと思います。農業によるゲームチェンジの章でも学びましたが、農業の生産性の高さは他とは異なるという点を再認識できました。
ヨーロッパ人が元々遊牧民であったことを知ることで、古代ギリシャやローマの辿った流れも理解しやすいと感じました。農耕では非効率的な制限君主にした点、最終的に大衆に受け入れやすい民主政に移行していった(正確には、独裁者が民主政を利用した)点も遊牧民の特徴を抑えていると思いました。現実的に必要な"独裁者"とそれを受け付けない"民族性"の闘争も被る部分があり、面白いと感じました。
ペリクレス、オクタヴィアヌスのそれぞれが独裁を得た後のポージングはとてもためになると思いました。自身がトップという立場を表明するのではなく、民主政や共和政など1つ上の立場のものを用意し、自身はその下である点を表明することは有効な立ち居振舞いだと思います。1つの生き方として参考にできると良いと思いました。
最後に
歴史上の人物の様々な生き方を学ぶことで、自分の人生に活用できる部分があると思います。状況なども踏まえた上で自分の人生に役立てていけると良いと思いました。
様々な人物の生き方を学び、自分の人生にも役立てていきましょう!
どなたかの参考になれば幸いです。
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