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25-3 梅すだれ 雑賀

 おふみは店の前の坂ではなくて、店の裏の畑の横にある坂を上った。紀ノ川と雑賀川に挟まれたこのあたりには村が八つある。これをまとめて雑賀荘という。げん爺は雑賀壮の西の端にあるこの村の頭をしている。
 木の茂る中の小道を上っていくとすぐに村に着いた。十五軒ほどの家が建っている。その小さな規模はタカベたちの住んでいた村とよく似ている。
 おふみに目で合図をされて東へと歩いた。おふみは村の隅の家の前で立ち止まり、ここだと首を振った。タカベが「ごめんください」と声をかけると
「お、来たか」と元気のいい声がしてげん爺が出てきた。
「大変やったなあ。鎌倉から逃げて来たんやろ。ここは平氏の土地や。源氏なんかあかんわ。ここやったらそないなことにはならへん。安心せえ」
 タカベを見るなり、げん爺は平氏と源氏の話を始めた。
「源氏に見切りをつけたんはえらいで。平氏こそが最強や。そりゃ負けたで。負けたけども源氏は滅びたやろ。しかし!平氏は滅びてへんねん。わいらの先祖は平氏や。その魂を継いで今では大名よりも強いわ!」
 がははと、抜けた歯だらけの口を開けて笑っている。
 タカベは面食らった。いったいおひでの夫は何を言ったのだろうか?これがおひでの言う「うまいこと言う」なのだろうか?「源氏を捨てて平氏へ逃げてきた」としてこれから生きていくことになるのだろうか?娘二人はどんな扱いを受けることになるのだろうか。不安が足元から胸のあたりへざわざわと這い上がってくるのを感じた。
「船頭をやっとったんやな。でも子どもが大きくなるまでは陸におりたいんやな。ええで。ここはみんな山ん中で生きとるわ。でも船がええやろ。船を作っとんのがおるで紹介したるわ」
 齢八十歳のげん爺であるが、しっかりとした足取りでタカベたちを村の中央にある家へ連れて行った。
「メギ、おるか!」
 家の前で魚を焼いている女はげん爺を見ると、
「あんた!げん爺が呼んどるで」
と家へ向かって叫んだ。すると玄関からひょいと男が顔を出した。
「なんや。どないした?」
とタカベたちを見回した。
「源氏はもうあかんねん。鎌倉から逃げて来たんや。平氏様になりたい言うてな」
 がははと笑うげん爺にタカベの顔は青ざめた。
(これからここでどんな扱いを受けることになるのだろうか。浦賀を出たのはやはり間違いだったかもしれん)
 うつむくタカベであったがメギは、
「げん爺、なにを言うてんねん。わっけわからん」
とげん爺の源平話げんぺいばなしの相手などしなかった。
「こいつはタカベや。娘二人連れてここに住むことになった。嫁と息子は賊に殺されたんや。ひどいやろ。鎌倉はそんなんや。しかし!ここはそんなことはあらへん。平氏の御霊みたまがお守りくださるんや」
と平氏の土地がどれほど頑強で安全かを話し始めたのだが、メギの嫁が
「あの家に住むん?ちょうどええやん。空いたとこや」
と割って入った。げん爺以外に平氏の話をするものなどいないのだ。ほっとするタカベは「よろしくお願いします」と頭を下げた。それに次いでげん爺は本題へ入った。
「そやそや。こいつはな、船頭をしとってん。でも子どもがちっちゃいやろ。大きなるまで海には出たない言うてんねん。おまえといっしょに船を作るんがええやろ」
「ええで。明日の朝ここへ来たら連れてったるわ。子どもは寺子屋へ行くでな。うちの坊主に言うといたるわ」
「よろしくお願いします」
 タカベはもう一度頭を下げた。それに続いてお滝も頭を下げた。するとお滝を真似してお桐も頭を下げた。それを見ておふみがふふっと笑った。

 げん爺は続けて村の西にある空き家へタカベたちを連れて行った。
「ここや。お前らにはひろいなあ。でも子どもがすぐに大きなるやろ。残っとるもんは使ってええ。米は明日取りに来い。今日はおひでんとこで食べたんやろ。明日の朝は隣からもらい。言うといたるわ」
 それだけ言うとげん爺は帰っていった。
 おふみが手招きをするのでお滝とお桐がついていくと、家の外の南側に畑があった。そこには野菜が実っている。おふみが丸いのをひとつ採ってお滝に渡した。
「これ、なに?」
 手毬のように丸い野菜だった。おふみが(食べてごらん)と口をパクパクさせるから、お滝はかぶりついた。
「なす!」
「ねえちゃん、わたしも!」
 お滝の手ごと掴んでお桐もかぶりついた。
「ほんとだ。なすだ!」
 ナスのほかにもキュウリやひょうたんの形のかぼちゃがなっている。これらは京都からもたらされた野菜だ。この家に前に住んでいた者は京都から越してきて住んでいた。そして今度は土佐へ越していった。港ではよくあるが、雑賀のこの村でも人の出入りはめずらしくなかった。海から来てまた海から出ていく。また誰かが来るだろうと、おふみが畑の野菜の世話をしていたのだ。

 つづく


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