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おにぎりの記憶

「学生時代そういうジャンクフードばっかり食べてたよ」


私は30代を過ぎてからスナック菓子を食べたり友達と外食するようになりました。

同年代の人が缶の紅茶を部活の帰りに飲んだと言う記憶に、ずっと疑問を抱いていました。

「都内でもコンビニはほとんどなかったし、自動販売機でも見たことないし???」


学生時代に友達の家に学校の帰りに寄るととても美味しいものが出て来ました。

生のたらこのホカホカのおにぎり2つ


海苔が付いてなかったのが、記憶の中に鮮明に憶えている理由でしょうか…

私が美味しそうに食べていたからか

「もう1つ食べる?」

と、2皿ペロリと食べてしまいました。

おにぎりって言うと、運動会でしか食べた記憶がなく、勿論温かくないんです。

それにタラコは
お父さんが焼いて夕飯に食べるものと思っていたので、明太子などの珍味を知らない東京人の私は生で食べることも衝撃的だったのでしょう


もう1つ蘇った記憶があります

小学校2年生の時に母に
「卵焼き自分で作りたい」
と言うと、それから自分でご飯を作ることに興味が向くようになりました。

幼少期は母の手作りの蒸しパンやプリンやドーナツ🍩のような素朴なお菓子しか食べたことがなくて、幼稚園の時に近所の友達の家に集まり紅茶のティーバッグを目の前に

「これどうやって飲むの?」
と水出しした記憶があります。

小5の時は鍵っ子の友人宅に集まると、電子レンジしか使えないとのことで、ポテトチップスにスライスチーズをかけてチンして食べた記憶が…

今考えると
昔からある地元の古いマンションの2部屋繋げてリフォームして何だか凄い家になってたけれど電子レンジしか使えないって不自由だなぁ…凄く痩せている子だったので、あんまり幸せそうに見えませんでした。

だいたい他人の家に行って何だかわからないものを家の人も出さないです。

麦茶ぐらいです。

学校には現金は持って行ってはいけなかったような…

お金を扱うことに許可が必要だったような記憶も…

何故かと言うと、中学校の近くの有名なパン屋さんに学校帰りに友達と寄った時に家に帰ってからもう一度夕方来て1回だけ買いました。

中学校は自宅からとても遠くて徒歩で往復1時間以上かかったので、歩いて帰るだけで必死だったと思います。

一度だけ帰るのが夕方になってしまい、通学路がよく知らない地域だったから怖かったことがありました。

私は部活は中1で辞めたので、1人で帰宅していました。

中学校の近くが昔からあるひなびた団地街だったので、駅近住宅街育ちの私には暗くて怖いイメージで印象が良くなかったので、一心不乱に帰ったので、土曜日などの午前中だけの授業だと友人宅に寄って遊んで帰宅しました。

この時も食べ物の記憶はほとんどありません。

2時頃帰宅して
いつものようにさつまいもの天ぷらの煮たのか卵どんぶり🍜を食べていたと思います。※小学校の時から変わってない😂😂😂

あまり疑問には思いませんでした。

以前知人のウェルネシストの人がインスタライブで

「髪の毛がストレートで綺麗な人は、ケミカルなものを食べていない、余程食事の取り方が良い人」

白髪以外困ったことはない、素直なくせっ毛(ほとんどストレート)縮毛矯正をしても何も変わらなかったのは私の見る目が厳しかったのか、他人のロングヘアを見て「黒ぐろピカピカだけど気持ち悪い」

NEWS ZEROを見てリモートの変な加工から出て来た落合陽一さんに有働由美子さんが

「今日の髪型おにぎりみたいですね」

番組の最後のコメントにキレがあるので楽しみなのですが

「あれっ、有働さん夏休み?つまんない😂😂😂」

一日が深夜番組にどんどんズレて行きまた夜ふかし

夜ふかしするのも少し足元が冷えて来ました。

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