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秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その4=変革

前回の続きです。
今日は今回の本題である『変革』についてです。

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。

▼前回の記事はこちらです


✅着手の手段

法を新しいものにしても実行力が伴わなければ、結局机上の空論になってしまう恐れがあります。

そこで商鞅はある手段にでます。

三丈もの長さの木を都の南門に植え、
『この木を北門に移せば十金を与えよう』

と布告しました。

三丈は三十尺で、この時でいうと8.3mくらい

しかし、民衆は
「嘘だろう。そんな上手い話は無いよ。」
と怪しんで誰も木を空そうとはしませんでした。

そこで、今度は賞金を五十金に引き上げました。

すると、一人の若者が
「嘘かもしれないけど、やってみよう。」
ということで、半信半疑ながら木を北門に移しました。

商鞅は当然この若者に五十金を与えます。


✅変法内容

これで発信の信用性をあげて出した『第一変法』に面白いものがあります。

隣組制
民家を五家、十家に分けて互いに監視させ、罪を犯した場合は連座制としました。

あれ?
どこかで見たこと、聞いたことありませんか?

、、、そうです。
豊臣秀吉や江戸幕府が行った、『五人組』です。

2000年も経ってから日本の政治に組み込まれているなんて、どんだけ先を行ってるんだよー。
って感じですよね。

隣組制はそれぞれの隣組に監視する事を義務とし、法律を犯したのに申告しない物には腰斬の刑に処す事。
罪を犯したのに隠蔽する者には、敵に降伏したのと同じ罪とする。
など、厳しいものでした。

しかし、厳しいだけではなく、罪をきちんと申告した者には、敵を討ち取ったのと同じだけの褒賞を与える事するといったように押し引きをしています。


他にも先に話した夷狄的なの風習を中央の先進的ものに近づけた法律や軍事的なものなど、いろいろな変法がありましたが、ここでは長くなるので細かい話はやめておきます。


✅評判

やはり不平不満が後をたたず、民衆からは一年で数千件のクレームが届くほどだったと言われています。
民衆は新法は不便だと相次いで訴えたわけです。

誰しも『今まで通り』って言葉が大好きですよね。
今でも小さな事でそういう言葉がでるくらいなので、『新法』は暮らしの風習までをも変えるものだったこのから、不満の声が上がるのは容易に考えられます。
孝公もこれを恐れていたわけです。


✅浸透

ハッキリ言って法改革は当初上手くいきませんでした。
その中で一つの事件が起こります。

『太子(たいし)』が新法を犯すことをしてしまいます。

太子とは後継ぎを差し、この時はのちの『恵文王(けいぶんおう)』のことです。
ちなみに、孝公は『公』で後継の恵文王は『王』となっています。
孝公の時代まではまだ『王』を名乗れないほど小さく貧弱な国だったわけです。
このことからも『孝公』の『商鞅』の功績が読み取れます。

法を犯したのが『太子』です。
かなりの大事件ですよね。
上が守らないのに下々が守るわけがないです。

でも罰しなければ、『新法』の効力も無くなりますし、今後の政治にも支障をきたすわけなので、商鞅は太子の教育係二人を罰することとしました。もちろんこの二人も貴族な訳です。

太子の側近にまで厳罰を与える事で、国民も含めて商鞅の法律に恐れをなして不満をいうものもいなくなったということです。


▶️今回のまとめ

着手
誰にでも出来そうなこと、半信半疑なことでも、ちゃんということを発言力と実行力を見せること

変法
習わしなど古いものに囚われないで先を見て効果を考えて規則を変えたり作ったりする

『知者が決まりを作り、愚者はそれに従う』としている

浸透
実行させるための弊害があっても、必ず実行するといった、一貫性、信念を持つこと

▶️実行するためには、浸透させるには強い信念が大切だと思います。
今、日本で上がっている政治への不平不満がここにあるは事実だと思いますね。
『言っただけ、やっただけ』になっていれば結局誰も従わないし、不満の声も出ます。
日本のいいところでもあり、悪いところでもあるものとして
『民主主義』が挙げられる気がしています。
なので、国民の顔色を気にしてなのか、不満に対する対応にら追われてしまい、本当に大切なことに届かない。と言ったことが起きてる気がしてなりません。
実行力を伴う対策を進めてもらいたいものです。


今回は『商鞅の変革』についてお話しました。


▼関連記事はこちらにもあります。
 よかったらこちらも見てやってください。


ではまた。

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