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人の気持ちが分かりすぎてしまうからこそ、人に冷たくなってしまう。 #181

私は、「冷たい」と人に言われます。「冷たいってなんだろう」と考えながら、割り切っている風を装いつつ、こころのどこかで気にしてしまっている自分もいたりします。

私は、人の感情や行動に対してあまり干渉しません。それは、今日初めて会った人に対してはもちろんそうですし、家族に対しても同じです。

ようは、シンプルな感情の持ち主なんだと思います。ただ、勘違いしていただきたくないのは、浅はかさゆえのものではなく、深く思考しきった上で出た、私なりの一つの”解”だということです。

シンプルに、自分自身で気づいてしまっているんだと思います。「自分がどんなに想いを馳せようとも、人は人であり、自分もまた自分なんだ」ということに。

人と人は、どんなにこころを通わせようとも、本質的に分かり合うことはできなくて。ただ、だからこそ分かり合いたいと思う。恋をして、パートナーや家族がほしいと願う。

気のおけない友人とともに過去の思い出を振り返り、自分の存在を確かめあう。それが、どんなに不毛なことだと気づいていながらも。

そんな、人の感情の”揺らめき”に気づいてしまったからこそ、よりシンプルに、「冷たい」と感じられてしまうのかもしれません。不毛な関係をよしとする人からすれば、きっとズレているのでしょう。

ただ、それは冷たいのではなく、きっと「適温」なんだと思います。カンカンに熱くなった人間関係のなかで、ゆでダコになるのはもう終わりにしませんか。


(noteはこんなテイストのほうがウケる気がしています…!)


ニコラス



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