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自己肯定感の正体とはいびつな球体だと考えている。

こんばんわ海外の田舎で1年間滞在していた経歴を持つK.Eです。今日も海外生活を通して?ではなありませんが普段から自分が感じていることを書いてみたいと思います。テーマは自己肯定感についてです。今回もいきなり~である的な文体になるので気持悪っ!と思わずに読んでみてください


一般的に自己肯定感は低い

基本的に現代人の自己肯定感は低いと考えている。特に若者は。私ももちろん例外ではない。自己肯定感が低い一つの要因としてSNSの発達は間違いなく関与しているといわれている。今までは貧乏の周りには貧乏。金持ちの周りには金持ち。一般家庭の周りには一般家庭しかいなかったため。貧乏も一般家庭も金持ちの生活を見ることができなかったらしい。ただ今はSNSで簡単にそれが見ることができるようになって「自分なんて、全然だな」と考えるようになり、自己肯定感を下げることは簡単になった。ここで言えることSNSによって自己肯定感が下がりやすくなったということともう一つ「他人との比較」で簡単に自己肯定感は下がるということだ。

別に現代社会やSNSの批評がしたくてこの記事を書いているわけではない。私が色んな人と話したり、「自己肯定感、低いんだよね」って言う人との話を聞いて自分の中で「自己肯定感とは」というものの答えが少しずつできつつあるのでそれを文章化してみたいと思った。

自分が小学生や中学生の時を思い出してみてほしい。私が小学生の頃は単純に「足が速くて」「絵が上手い」人がモテていた。小学生の時に「モテ」にのみコミットして自己肯定感をあげたいのであれば「ダッシュを沢山する」「絵を練習する」というだけでよかったのだ。(もちろん身体の成長度合いによって足が速くならないこともある)この時点において「モテ」をグラフ(レーダーチャート)に表すと評価点が二つのグラフが出来上がる。この2軸が高ければ高いほど「自己肯定感」は高かった。

*モテる=自己肯定感ではないことも承知しています。

自己肯定感の正体(持論)

次に中学校や高校になるとそれにプラスして優しくて面白くておしゃれで勉強ができてかっこいいという人が「モテる」ようになってくるつまりグラフ(レーダーチャート)の評価項目が増えてくるという状況になるのだ。より綺麗な五角形を持っている人間がモテる。

そして社会人大学生となってくるとそれに「お金」「貯金残高」「年収」「誠実性」「経験」など相反する複雑なものが絡み合って五角形どころかグラフは3D(立体状)になっていく。

自己肯定感はいびつな球体と考える

ただここで重要なことは一つ、世の中は価値観が複雑化しすぎて完璧な球体なんてものは存在しないということである。必死に勉強をがんばって良い大学に入って大企業に入って「高収入」をもらっても、叩き上げのベンチャー社長と比較したら劣る。ある意味ではそういった人は3次元グラフの評価項目の「学力」「まじめ」「安定した収入」の三点によりその面はなめらかであっても「野心」「挑戦心」という面が陥没していてそれによって自己肯定感が下がるという現象が引き起こされるのであろう

今のはあくまでも一つの例である。ただ一つ言えることは世の中の人はみなそのなめらかな面だけをSNSでシェアする。そして容量の良い人間は世の中から評価される要点を必要最小限度のエネルギーで網羅してなめらかな面を作り上げる。そして他人のSNSと自分のへこんでいるな面を比較して自己肯定感を下げている。なぜなら自分のへこんでいる面は自分にしか見えないからだ。

自己肯定感の扱い方

だから都合よく、社会に評価される項目(お金、美容、etc..)だけ上げるのも正解。なめらなかな面だけSNSにシェアするのも正解。自分が大事にしている価値観だけを信じ続けるのも正解。(お金が無くても友達がいれば、お金がなくても好きなバンドを応援すれば、友達がいなくてもお金さえあれば)

ひとつ私からおすすめさせてもらいたいのは自己肯定感の構造を理解するということだと思う。現代人の精神はもろく、自己肯定感は全体的に低め、特に他人との比較で下がる。自己肯定感は「いびつな球体」になっていて相手はなめらかな面を見せているだけ。そんなもんかと。

以上です。

昨日書いた別のメンタルについてのエッセイです。







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