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条件で自分を納得させない。
自分を知ることが、色んなツールで出来るこの時代。
何かを選ぶ時とか
自分にとって都合の良くないことが起きた時とか
日常からプライベート、仕事のシーンまで様々ある中で、自分を納得させたいとき
もちろん色んなツールで、納得材料は見つけられる
集めれば集めるほどに、納得もしやすくなる
色んな角度から、それは可能だ。
けれど
最後の最後、条件で自分を納得させるということをしない。最後は、キ
停止する、という贅沢。
今の状況、そのものが贅沢な時間だ、と感じる。
もちろん、そんなこと言っていられない!というヒトがいることも理解しているし、そうゆう観点で見たらワタシもその一人なはずだ。
けれど。
強制的に活動を止められることなど、
自分の健康を害したり、身内に何かがあったり、よっぽどのことでないとない環境の中で、
『今は、止まってください。』とお願いされている。
今、これを書いていて、よっぽどの何かが
もう、誰かになろうとしない。
ずっと前から知っていた言葉だ。
けれど、そんなこと、最初からしようと思っていない、と思っていた。
しかし、パートナーや仕事仲間との関係性の中で、やっと気づくことが出来た。これ、やっている。しかも、かなり前からずっと。
私にとって、『それ』は自然な行為だった。
関わる相手が欲するもの、期待すること、して欲しいことが少なからず読み取れると、それを表現しようととしていた。相手の希望や期待に応えら
不平・不満を、言う。
不平・不満を言ってはいけない。
そう躾けられた。
不平不満を言うことのデメリットの部分だけ切り取って。ものの見方を教えているつもりだったのだろうが、性格によっては、それが全てと捉えたりする。
最近、不平不満を言うことは、自らの好みに気づくことでもあるとわかってきた。
私はこれは嫌い
私はこうはしない
私は好まない
私はやりたくない
私が不平不満と捉えている言い方は、この様な言葉にな
人生という時間旅行。
私の強みを引き出す、私のサイクルがある。
私のこのみを感じる時間が必要だ。
次の奥の手を持つ時間が必要だ。
それをもって私は世界に貢献していきたいのに
それを持つ時間を、私は私に与えていなかった。
人が有能さを発揮するのに、遠慮はいらない。
それは、『遠慮なくやる』がどこに掛かっているかを、人それぞれ知る必要がある。
遠慮して、その作業・発言・投稿などをしない
こともあれば、
遠
満月の夜の振り返り作業
それは、ふと。
私の心に思い浮かんだ。
今日の満月の作用って、浄化とか決別とかって意味があるらしいよ⁇という話を聞いたからか。
幼い頃、そして学生時代の頃の出来事について。
このところ気になっていた。身体の反応や言語選択について、どうしてもおかしいと感じる時がある。
大人になってからトレーニングされた自分は、話し方や言葉の選択も、もちろん仕事として機能しているくらいだから多少はまとも?と
カラダから見た罪悪感
罪悪感って、
とっても不思議なもの?こと?だなぁと感じる。
今、言語化しながら思ったけど、罪悪な感じってどんなだ!笑
だいたい、「罪」とか「悪」って、●●について、とかコノ出来事でこうゆうことがあって、とか具体的な事柄があってそうゆう表現を使うけど、罪悪感って言葉自体がとても抽象的だ。
確実に、、、気のせいという可能性が高い。
でもなぜか。かなり根強く自らの中に罪悪感という言葉に言語化さ