停止する、という贅沢。
今の状況、そのものが贅沢な時間だ、と感じる。
もちろん、そんなこと言っていられない!というヒトがいることも理解しているし、そうゆう観点で見たらワタシもその一人なはずだ。
けれど。
強制的に活動を止められることなど、
自分の健康を害したり、身内に何かがあったり、よっぽどのことでないとない環境の中で、
『今は、止まってください。』とお願いされている。
今、これを書いていて、よっぽどの何かがないと止まれない・止まらないと決めている方が、よっぽど怖いわ、と思った。
15年くらいのフリーランスというStyleでの仕事。健康を届ける仕事。この業界の方々がみーんなそうではないと今は分かるけど、自分の中で考えもせず走ってきた期間、この『よっぽど』精神が身につきすぎてしまっている。バランスを欠いていることに気づきながらも、私の特技や性格、そして存在承認、承認欲求を満たすのにはこの仕事はそれに合いすぎて止まれなかった。
自分を責めたいわけじゃなく、事実。
この停止という贅沢を、まだもう少し享受したいと思う。イヤでも考える時は来るから。
雨が降る外を眺めながら、スタバのコーヒーをすするだけの時間。
クリエイティブな私が戻ってくるまで、
ここで、少し待っていようと思う。
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