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もう、誰かになろうとしない。

ずっと前から知っていた言葉だ。

けれど、そんなこと、最初からしようと思っていない、と思っていた。

しかし、パートナーや仕事仲間との関係性の中で、やっと気づくことが出来た。これ、やっている。しかも、かなり前からずっと。

私にとって、『それ』は自然な行為だった。

関わる相手が欲するもの、期待すること、して欲しいことが少なからず読み取れると、それを表現しようととしていた。相手の希望や期待に応えられる私に。

この思考のスタートは、『この人の期待に応えたい』という純粋な気持ち。それは、期待を読み取り貢献する、という私の強みだ。

しかし、自己肯定感の低かった私は、(自らの世界の中で)生き残るために、サバイバル能力として、意識せずにこの強みを使いまくってしまった。

自らの希望や欲求の優先順位を下げてまで。

故に、今のパートナーと、この能力を闇スキルと名付けた。きっと各々の闇スキルがあることだろう。

当然、純粋な自分の気持ちとサバイバル能力としての貢献と、ごちゃ混ぜになって、何が自分の意見なのか、自分はどうしたいのか。

いつも他人に自分を明け渡して。

いつも他人の期待に応える誰かになろうとして。

そうか。

私はいつも、その『誰か』になろうとしていたんだ。

人のために、と貢献したい欲求で、パーソナルコーチングのようなサービスを提供していた。

けれど、私の場合、仕事の動機それ自体が、誰かになろうとする行為だった。

この場合、

行為を変えるのではなく、動機を変える。

手段を変えるのではなく、目的を変える。

コーチングスキルに罪はない。

特殊な例かもしれないが、

もう、誰かになろうとしなくていい。

私が、私を生きる。

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